平日の夕方、客の少ない書店。レジに立つソウマのところへ、旅から戻ったノアが大きな美術書を一冊持ってきました。オーストラリアで道に迷ったソウマを助けたのは、もう何年も前のこと。会計を終えると、ノアは表紙を指でたたいて「この本の話、少しだけいい?」と言いました。
ダブリンに残る一冊
……どうぞ。いまの時間、誰も来ないんで。
ありがとう。今日は、一冊の本が映画になった話。もとの本は千二百年くらい前のもので、いまもダブリンにあるの。
トリニティ・カレッジ図書館(ダブリン大学)に行けば、ケルズの書の実物に会えます。ただ、展示されているのは4巻のうち、いつも2巻だけ。全部をめくってみたければ、オンラインのデジタル版があります。中身はラテン語で書かれた四つの福音書で、礼拝に使うための本です。縦33cm・横24cmのページを、ケルトの文様が豪華に飾っています。いつごろの本かといえば、西暦800年頃と考えられています。事實[2]
全部で340葉、680ページ。上質な子牛の皮でできています。文字を書いたのは没食子インク。色のほうは、材料の一部がはるか遠くの土地から運ばれてきたそうです。事實[2]
色を遠くから運んでくる本。……一ページのために、誰かが海を渡ったってことか。いや、大げさだった。解讀
大げさじゃないよ。いい言い方だと思う。
本ができるまでの物語
『ブレンダンとケルズの秘密』は、フランスとベルギー、アイルランドの三か国で作られた、2009年の長編アニメーション映画です。監督はトム・ムーアさんとノラ・トゥーミーさん。制作会社にはカートゥーン・サルーンが入っています。上映時間は75分。日本では2017年7月29日に公開されました。事實[1]
映画は、ケルズの書がどのように作られたかを描いた作品です。事實[3]
9世紀のアイルランド。ケルズ修道院(院長はケルアッハ)では、まわりに塀をめぐらす工事の最中です。そこへ、一冊の「聖なる書」を抱えた高名な修道士エイダンがたどり着きます。アイオナ島(スコットランド)がバイキングに襲われ、逃げてきたのでした。事實[1]
物語はここまで。本がどうなるかは、観て確かめてほしい。
一時間と少しなら、俺でも止めずにいけるかもしれない。……別に、自慢じゃないけど。喜好
上映時間75分
平らな絵とステンドグラスの計画
1999年に制作が始まったこの映画には、刺激を受けた作品がいくつもあります。宮崎駿さんの作品、ディズニーの『ムーラン』、リチャード・ウィリアムズの『泥棒と靴屋』、それにグスタフ・クリムトの絵やジョン・バウアーの挿絵。このうち宮崎さんやディズニー、ウィリアムズの映画は、その文化に伝わる芸術を画面に生かしていました。トム・ムーアさんたちが目指したのは、同じことをアイルランドの芸術でやることでした。事實[1]
ムーアさんの説明では、ケルトと中世の芸術が絵作りの元になっています。遠近法はそろえず平らに見せ、色もたくさん使ったそうです。ステンドグラスに似た効果を太い輪郭線で出す計画も、清書(クリーンアップ)の段階で立てられました。事實[1]
手で書かれた本のページを、そのまま動かすみたいな絵、と私は受け取った。本と映画は違う媒体なのに、作る人は、ページの形を映画に持ちこもうとしたんだと思う。解讀
太い輪郭線で区切るのは、言葉でいえば句読点だな。どこで止まって、どこから次が始まるか。……構成の話になると、つい口が回る。解讀
テレビの特番から長編へ
題名は二度変わっています。最初の『Rebel: Turning Darkness into Light』が、2004年に『Brendan and the Secret of Kells』となり、さらに『The Secret of Kells』に落ち着きました。長編になる前は、50分のテレビ特番の企画でした。事實[3]
日本の題、途中の英語の題とほとんど同じだ。作品中的觀察
そう。私もそこで手が止まった。どういう経緯で決まったのかは分からないから、手帳には、違うところと同じところを一行ずつ書いておくだけにした。喜好
カートゥーン・サルーンは、アイルランドのキルケニーに本社を置くアニメーションスタジオです。事實[4]
そのキルケニーの城のバラ園には、この映画に出てくるキャラクター、パンガー・バン(Pángúr Bán)の彫刻があります。事實[3]
次にアイルランドへ行くときの地図に、印が二つ増えた。図書館と、バラ園。喜好
初めて観る人への入口
入口は、本のページを一枚めくるつもりで観ること。それから、観る前でも後でもいいから、デジタル化されたケルズの書を少しのぞいてみて。映画と本を並べると、違うところが見えてくると思う。喜好
……バイトのあと、観てみる。止めなかったら、報告する。喜好
楽しみにしてる。あの日の地図みたいに、また一枚、紙が増えるね。
……まだ持ってるって、なんで知ってるんですか。
『ブレンダンとケルズの秘密』は、ダブリンに残る装飾された福音書「ケルズの書」がどう作られたかを描く映画。絵は、ケルトと中世の芸術にならった平らで色の多い画面。ステンドグラス風に見せるため、輪郭線を太くする計画も立てられた。