原宿のルカーノのアトリエ。レイのコスプレ衣装の仮縫いの日でしたが、レイは足りない糸を買いに出たまま、まだ戻りません。付き添いで来ていたエマは、作業台の横に立つ木のトルソーを、写生するような目で眺めていました。ルカーノは針山を置いて、まず一言褒めてから話し始めました。
人形を主題にした続編
エマさん、今日もその立ち姿が素敵だ。モデルの目で見ても、重心が真ん中にある。
……ありがとうございます、ルカーノさん。そのトルソー、肩の関節が丸いんですね。人形みたいです。
よく見てるね。ちょうど人形の映画の話がしたかったんだ。『イノセンス』。僕の好きな美術の話だけ、するよ。
『イノセンス』という題名は、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが付けたものです。制作に協力していた鈴木さんの提案で、それまでの『攻殻機動隊2』から改められました。題名のロゴも鈴木さんのデザインです。公開は2004年3月6日。1995年の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の続きにあたる劇場用アニメ映画で、押井守さんがアニメを監督するのは、前作以来およそ9年ぶりでした。事實[1]
少女の姿をした愛玩用のガイノイド「ハダリ」が、持ち主を襲う。原因のわからない暴走で、同じような事件がいくつも起きていました。ハダリを売っているのは、ロクス・ソルス社という巨大企業です。時代は2032年。公安9課のバトーが、相棒のトグサと一緒に捜査に乗り出します。事實[1]
前の作品の続きなんですね。私、前のほうは観ていないんです。
大丈夫。僕も最初は美術だけを観に行った。話の先は、エマさんが自分で確かめて。喜好
魂のないものを、魂のないまま描けるか。それが押井監督の問いでした。魂の宿らないものに魂を与えるのがアニメーターの仕事だとしたら、その反対の注文は成り立つのか、というわけです。作画は、この問いから「人形」を主題に組み立てられました。事實[1]
服を作る人間には、ぞくっとする問いだよ。僕らはいつも、布に動きを足そうとしてる。止まっているものを、止まっているまま美しく見せるのは、ショーウィンドウのマネキンを飾るときの技なんだ。解讀
球体関節人形の系譜
公開前に、東京都現代美術館で「球体関節人形展」が開かれました。押井監督が監修し、人形作家の四谷シモンさんの作品などが並びました。事實[1]
球体関節人形とは、関節が球になっている人形のことです。自由にポーズを取らせられる仕組みで、デッサン人形やマネキンにも使われています。1965年に澁澤龍彦さんが雑誌でハンス・ベルメールの作品を紹介すると、土井典さんや四谷シモンさんが本格的に手がけるようになり、球体関節人形は鑑賞するものとして見られるようになります。事實[2]
四谷シモンさんの作り方を変えたのは、ベルメールの人形でした。1965年、澁澤龍彦さんが雑誌で紹介したその人形に衝撃を受けて、シモンさんはそれまでのやり方を捨てています。お店のディスプレイ用の人形を手がけたこともあります。渋谷東急本店が開店するときのキャンペーンのためで、その人形は「前衛マネキン」の名で雑誌に載りました。2003年には、人形作品「男」が『イノセンス』の登場人物キムのモデルになりました。事實[3]
前衛マネキン! 人形作家が、服を見せるための人形も作っていたんだ。僕の店のトルソーにも、遠い親戚がいたってことだね。喜好
雑誌の一枚で、それまでの作り方を捨てる。……分かる気がします。私も、ある映画の光の描き方を真似したくて、画材をそろえたことがあるので。喜好
人形の展覧会を、映画より先に開く。服でいえば、ショーの前に生地見本を並べるようなものだね。どんな狙いだったのかは分からないけど、僕には粋な順番に見えるよ。解讀
緑の夏から橙の冬へ
前作と見比べると、色がはっきり違います。コンピュータの画面は、前作の「緑」に対して、『イノセンス』では「橙」。季節も、前作の「夏」から「冬」に替わりました。事實[1]
夏から冬、緑から橙。コレクションでいえば、春夏から秋冬に替わるようなものだ。同じブランドでも、季節が替わると生地の厚みと色の温度が替わる。僕は橙と聞いただけで、ウールの手ざわりを想像したよ。解讀
So good……。あ、失礼しました。冬の色の映画、観てみたいです。喜好
祭りの場面では、「カメラマップ」という手法が使われました。コンピュータで作った背景の形を紙に線画で打ち出し、そこへ背景美術の担当者が描き込んでいくやり方です。カメラが大きく動く場面が多く、1カットのために150枚ものテクスチャーが必要になることもありました。プロダクションデザイナーは種田陽平さんです。事實[1]
コンピュータで形を作って、最後は人の手で描き込む。型紙は機械で切れても、仕上げの手まつりは人がやる。うちの工房と同じだよ。1カットに150枚か……僕なら、途中で一度おいしいものを食べに行くね。解讀
石切り場で録り直した音
オルゴールの曲は、一度録った音を、地下の石の空間で鳴らして録り直しています。場所は大谷石の採掘場跡。鳴らした音源のほうも、前もってオルゴールを機械で録っておいたものでした。事實[1]
石の部屋で、音を録り直すんですか。……それは、音に服を着せるみたいですね。解讀
エマさん、今のはいい言葉だ。本気で褒めてるよ。……僕の褒め言葉は多すぎて、なかなか信じてもらえないんだけどね。喜好
入口は、人形の関節と、冬の色。物語の先は僕からは言わない。エマさんは絵を描く人だから、気になった場面で一度止めて、関節がどう描かれているかを見てごらん。喜好
はい。観たら、関節だけスケッチしてきます。……レイさん、遅いですね。喜好
糸を選ぶのに時間をかける人は、いい衣装を作るんだ。待とう。急ぐ理由もないしね。喜好
『イノセンス』の公開に先立って、押井守監督の監修で「球体関節人形展」が開かれた。人形作家の四谷シモンさんの作品「男」は、作中の人物キムのモデルになった。