人形アニメーションを観るたび、画面の外にいる指先の気配をイロハは感じるのだそうです。その指先の持ち主の一人が、人形美術家でありアニメーション作家でもある川本喜八郎。今回は飯田市川本喜八郎人形美術館の公式サイトを手がかりに、その歩みをたどります。
人形アニメーション……。人形が自分で動くんですか? それとも、誰かが動かしているんですか?
撮影所の美術部から
美術館のプロフィールによると、川本喜八郎は1946年から1950年まで東宝撮影所の美術部に勤め、1950年にフリーの人形美術家になりました。事實[4]
プロフィールによれば、1953年に「ほろにが君の魔術師」を制作しています。日本初の人形アニメーションとされる作品です。同じころ、チェコの人形アニメーションの巨匠イジィ・トルンカによる「皇帝の鴬」を観て、感動したとも書かれています。事實[1]
映画のセットを作る仕事から、人形を動かす仕事へ。背景を作っていた手が、今度は主役の体を作るようになった、と想像すると、私はちょっとどきどきする。解讀
プラハで学ぶ
イジィ・トルンカに師事したのは、1963年から1964年にかけて。チェコのプラハにある人形アニメーションスタジオへ留学していた時期です。事實[2]
感動した作品の作り手のもとへ、十年ほどして実際に学びに行っている。年表にすると二行だけど、その間にどれだけの準備があったんだろうね。有依據的推測
感動した作り手のもとへ、学びに行く……。憧れの剣士の道場の門をたたく旅みたいなものですか?
近いね。違うのは、門をたたいた先が、言葉も違う遠いプラハだったことかな。解讀
プロフィールには、1977年に制作した人形アニメーション「道成寺」のことも載っています。この作品はアヌシー国際アニメーション映画祭で、エミール・レイノー賞と観客賞の二つを受けました。事實[3]
人形アニメーションは、一コマ撮るたびに、人形の指や衣の端をほんの少しだけ動かす。私には、止まっている時間をつなぎ合わせて、息をしているように見せる仕事に思える。粗い揺れや、ほんの少しの震えも、その人形の体温みたいに見えるのが好き。喜好
少しずつ動かして、止まった時間をつなぐ……。ふるさとの、人形に命を吹きこむ呪文とは正反対です。
そうかもしれない。呪文は一度で命が入るけど、人形アニメーションは、一コマごとに少しずつ、指で命を足していくの。解讀
「人形が生きている」と語る人々
美術館の紹介では、川本喜八郎は人形美術家として、NHK人形劇「三国志」などで大勢のファンを惹きつけ、芸術性の高い人形アニメーションをつくり出した人物とされています。事實[5]
飯田の人々は人形に情熱を傾けていて、その人たちが「人形が生きている」と口にするのを、飯田市を訪れた川本喜八郎は聞きました。深く心を動かされ、人形たちにいちばんふさわしい場所はこの飯田だと考えます。そうして飯田市に寄贈したのが、「三国志」「平家物語」などの人形です。事實[6]
飯田市は「人形劇のまち」の新しい拠点として美術館を建設し、2007年3月に開館。川本喜八郎は館長に就任しました。事實[7]
作品の行き先を、有名な大都市ではなく、人形を「生きている」と言い表せる人たちの町に決めた。制度の話として読んでも、作り手が自分の作品の暮らす場所を選んだという点で、とても珍しい記録だと僕は思う。解讀
動かしていないときの人形にも、命があると言ってくれる人がいる場所。撮影が終わったあとの人形の居場所まで考えていたんだね。解讀
シオルもいつか、飯田の人形たちに会いに行きたいです。動いていなくても生きているのか、確かめに。
川本喜八郎は「人形が生きている」と言い表せる人たちの町・飯田に、自分の人形たちを託した。