昼過ぎの原宿の店。奥のアトリエで、ジンは次のツアーの衣装の採寸を受けていました。注文はいつもどおり「とにかく悪そうに」。巻き尺を持ったルカーノが、作業台の上の古い漫画に目を留めました。
楽屋の棚にあった漫画
いい表紙だね。ジン、それは君の?
楽屋の棚にあった。前の出演者が置いてったやつだ。……読み始めたら止まらなくなって、持ってきた。あとでちゃんと返す。喜好
原作者の名前は「高森朝雄」。梶原一騎さんの別の名義で、本名の高森朝樹から取ったものです。『あしたのジョー』は『週刊少年マガジン』の連載漫画で、絵はちばてつやさんが描きました。同じ雑誌では、梶原さん原作の『巨人の星』が連載中でした。一人の原作者が二本を並べていると知られないよう、名前を変えたといいます。高森朝雄の正体は、連載が始まってからもしばらく伏せられていました。事實[1]
名前を変えて出る。……分かるぜ、それ。ステージの上と下で別の顔があるのは、悪いことじゃねえ。解讀
僕の世界にもあるよ。ブランドの名前と、縫っている人の名前は、たいてい別だ。
物語の舞台は、東京・山谷のドヤ街。そこへ流れてきた少年が、矢吹丈(ジョー)です。元ボクサーの丹下段平は、ジョーにボクシングの才を見て取り、ボクサーに育てようと動き出します。事實[1]
ふらっと来た奴を、誰かが見込む。俺はそういう始まりに弱い。……この先は言わねえ。自分で読め。喜好
原作の絵を拡大コピーして
テレビアニメの第1作は、1970年4月1日から1971年9月29日まで、フジテレビ系で毎週水曜19時に流れた全79話です。始まりは、虫プロダクションの出崎統さんと丸山正雄さんの自主的な試作でした。原作を気に入った二人は、拡大コピーした原作の絵を使って、自分たちでパイロットフィルムを作ります。それをフジテレビの別所孝治プロデューサーが見て、本式の企画として動き出しました。事實[1]
拡大コピー! それは型紙と同じだよ、ジン。小さな図を大きく写して、まず形を確かめる。頼まれる前に一着作ってしまうデザイナーは、だいたい本気なんだ。解讀
頼まれてねえのに作る、か。……俺が最初にギター買ったのも、誰に頼まれたわけでもねえ。中古のやつで、指が血だらけになるまで弾いた。喜好
工場から26歳の監督へ
出崎さんが貸本漫画家としてデビューしたのは、高校1年生のときです。貸本漫画誌の新人コンクールで賞を取ったのがきっかけでした。けれどテレビの普及で貸本業界が傾き、原稿の依頼が来なくなります。卒業後は東芝に就職して工場で働いたあと、1963年に虫プロダクションの求人広告を見つけてアニメーターの採用試験を受け、その年の9月に入社しました。事實[2]
『あしたのジョー』は、出崎さんが自分から持ちこんだ企画です。相手は、当時虫プロの企画室にいた丸山さん。どうしてもやりたい、という思いからでした。出崎さんにとっては、この作品が監督(チーフディレクター)としての第一作です。1970年、26歳のときでした。事實[2]
仕事が来なくなって、工場に行って、それでも戻ってきて26で頭張ってる。……それ、もう一本の『ジョー』じゃねえか。解讀
わかるよ。僕も会社で朝から晩まで服の絵を描いて、それから自分の店を開いた。回り道の時間は、あとで全部、縫い目になるんだ。喜好
目の表情と変わらない声
のちに出崎さん・丸山さんとマッドハウスを興す人たちの多くが、この作画チームにいました。虫プロ本体から外れた顔ぶれで、中心は杉野昭夫さんです。事實[1]
目の表情で気持ちを見せる描き方を、いくつもの型として固めてほしい。出崎さんは、杉野昭夫さん・金山明博さん・荒木伸吾さんの三人の作画監督に、そう注文しました。事實[2]
目の表情で語らせる! 服でいえば、ボタン一つの位置で顔つきが変わるのと同じだね。僕はそういう細部の話になると止まらないよ。解讀
続編や劇場版では、ほかの人物の声がかなり入れ替わりました。それでも矢吹丈はあおい輝彦さん、丹下段平は藤岡重慶さんのまま。二人とも、アニメの声優として出てきた人ではありません。事實[1]
メンバーが替わっても、真ん中の二人は替わらねえ。バンドなら、そういうのが一番強い。……別に、うちの話はしてねえぞ。解讀
目を追って観る
初めて観る奴は、目を追え。台詞より先に、目が何か言ってる。分かんなくなったら、段平のおっさんの顔でも見てろ。喜好
Grazie. じゃあ僕は、みんなの着ている服を見るよ。肩の線とか、袖の丈とかね。……ところで、今回の衣装も、目で語るデザインにしようか。悪そうに、でも目だけは本気、とかね。喜好
……それでいい。とにかく悪そうにな。
了解。悪そう、も美しさの一種だよ。じゃあ、腕を上げて。採寸の続きだ。……ジン、どうしていつも採寸になると落ち着かないの?
……別に。早く測れ。
テレビアニメ『あしたのジョー』は、虫プロの出崎統さんと丸山正雄さんが、個人的に作ったパイロットフィルムから始まった。原作の絵を拡大コピーして使ったものだ。出崎さんは26歳でこの作品の監督を務めた。