夕方、原宿のルカーノのアトリエ。イタリアの小さな工房から取り寄せた生地が、ようやく作業台に届きました。運ぶ道筋を一緒に考えてくれたのはガクです。包みを開ける前に、ルカーノはコーヒーを二つ淹れました。お礼に話を聞かせて、と言われたガクが選んだのは、一本の古いアニメーション映画でした。
見下された宇宙軍
ガクさん、今日も本当に助かったよ。この織り目、見て。惚れぼれする。さあ、お礼に何か話して。ガクさんの話は長いけど、僕は好きなんだ。
はは、今日は短くするよ。……たぶん。生地の話に少し似た映画の話なんだ。
『王立宇宙軍 オネアミスの翼』は、1987年公開のアニメーション映画で、製作はGAINAXです。宇宙へ行く最初の人間になろうと、ひとりの士官が手を挙げる話です。名前はシロツグ。所属は王立宇宙軍で、国はオネアミス王国。地球とどこか似た星にある国です。仲間たちと挑むのは、ロケットの打ち上げです。事實[1]
シロツグは、宇宙軍の仕事に張り合いを感じていません。あこがれていたのは、水軍のジェット戦闘機乗りでした。宇宙軍に入ったのは学校の成績で決まったことで、望んだ道ではないのです。その宇宙軍も、世間の評判は散々。失敗ばかりで何もしない軍隊だと笑われ、「落第軍隊」と見下されています。事實[1]
見下されている軍隊か。服でいえば、誰も袖を通さない制服みたいだね。解讀
僕が惹かれるのは、そういう組織にも暮らしがあるところなんだ。予算があって、決まりがあって、そこで働く一人がいる。食堂でいえば、客の少ない店の厨房にも、毎朝ちゃんと仕込みをする人がいる。解讀
この世界のスプーンは何か
ここからが本題。ルカーノ、この映画の作り手たちは、ある問いだけで1日2時間も話し合ったんだって。何だと思う?
服の話……じゃないよね。ロケットの形かな?
スプーン。
この世界のスプーンとは、そもそも何なのか。それを話し合うだけで、1日に2時間を使いました。助監督の樋口真嗣さんは、デザインのスタッフと、道具の材質や形について何度も議論を重ねています。制作は1984年に始まり、世界観づくりとデザインに1年以上をかけました。事實[1]
スプーンに2時間! 僕はその人たちが大好きだな。ボタン一つで一晩悩むのと同じだよ。喜好
僕は子どものころ、空想の国の法律と通貨まで決めて、家族に説明して首をかしげられた。でも食器までは決めなかった。この話を読んで、決めればよかったと思ったよ。喜好
戦闘機とコーヒーカップが、同じ会社の製品に見えてはいけない。監督の山賀博之さんはそう考えて、デザインの中心を一人に任せず、大勢のデザイナーに描いてもらいました。一人だけだと、どれも同じ線になってしまうからです。事實[1]
それ、すごく分かる。一着のコートでも、生地を織る工房とボタンを作る工房は別なんだ。手が違うから、同じ服の中に違う手ざわりが生まれる。解讀
産地が違う、ということだね。生地の荷を運ぶとき、僕はいつも、どの町を通ってきたかを考える。この映画の道具にも、通ってきた町がありそうだ。解讀
濁点はヒゲを一画
オネアミスの字は、右下にヒゲを一画足すと濁音になります。二画なら半濁音。日本語のカナと同じく、一字が一つの音を表す音節文字です。事實[1]
ヒゲを一画。刺繍のステッチみたいだ。一針足すだけで、別の音になる。解讀
僕は12進数のほうに引っかかった。数え方の決まりは、市場や税の決まりと一緒に育つものだから……ごめん、またやった。長くなってる。解讀
いいよ、コーヒーはまだあるから。
脚本づくりの段階で、狙いは「現実のなかのファンタジー」でした。食器や服などのデザインを、現実から少しだけずらしています。物語の背景になる宗教も、この映画のためだけに用意されました。服のほうが人より大きく動く。作画監督の一人、森山雄治さんは、たるみのある登場人物の服に、そんな動きを描き足すことがありました。事實[1]
人より動く服! ガクさん、それだよ。僕は、着ている人が止まったあとも少しだけ揺れている服が好きなんだ。どんな揺れ方をしているのか、自分の目で確かめたい。喜好
24歳の会社の最初の一本
社名の「ガイナックス」は、米子の言葉の「がいな」がもとです。「どでかい」という意味で、米子は赤井孝美さんの出身地。株式会社ガイナックス(GAINAX)は、この映画を作るために、1984年12月24日に設立されました。事實[2]
題名は、喫茶店で生まれました。企画を練っていたころ、打ち合わせの最中、隣の席の人がロイヤルミルクティーを頼みます。山賀さんがとっさに思いついたのが「ロイヤル・スペースフォース」で、日本語にして「王立宇宙軍」。山賀さんは当時24歳、スタッフの平均も24歳でした。プロとしての実績を持たない若い集団に、全国ロードショーの映画が任される。異例のことでした。事實[1]
ミルクティーから宇宙軍! 24歳か。僕が会社で朝から晩まで服の絵を描いていたころより若い。……ちょっと悔しいな。喜好
社名に地元の言葉を入れて、最後にXを足す。足もとの言葉と、外への憧れが一つの名前に同居している。若い人たちの会社らしい名前だと、僕は受け取った。解讀
初めて観る人への入口
入口は、序盤の主人公の顔つきを覚えておくこと。張り合いのない日々の顔だね。それから、看板や食器や乗り物を、少しゆっくり眺めてほしい。説明はされないけど、全部その国の品物なんだ。喜好
僕は袖口と裾を観るよ。観終わったら、どの服がどの工房で作られたか、勝手に決めてガクさんに報告する。喜好
それは聞きたいな。僕も今回は設定を調べすぎないで観直してみる。見るのはスプーンだけにしておくよ。……できるかな。喜好
『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の作り手たちは、文字や数字を作り、食器や服のデザインも現実から少しずらして、その国のものに見せた。道具の形や材質をめぐる話し合いでは、「スプーンとは何か」の一点だけで1日2時間をかけた、という。