これは、劇場アニメ『ルックバック』を最後まで観た人のための、二周目の案内です。まだ観ていない人は、ここで閉じてほしい。この58分を初めて通り抜ける時間は、一度きりだから。展開と結末に触れるところは、全部クリックしないと開かない箱に入れました。箱を開けるのは、気持ちに余裕があるときに。
一周目の僕は息を詰めていた
一周目は、正直に言うと、何も見えていなかった。二人の時間に引きこまれて、終わったときには手のひらに爪の跡がついていました。美大で絵を描いていたころの自分と、近所で色鉛筆を貸していた小さなレンの顔が、交互に浮かんでいた気がする。喜好
色鉛筆、まだ覚えてるよ。僕が凡例の色を足りなくすると、ルカーノが黙って一本貸してくれた。
返ってこなかった一本もあるけどね。二周目は、君の目を借りたい。構造を見るのは、僕よりレンのほうが得意だから。
観直す前に知っておくと楽しいこと
原作は、藤本タツキさんが2021年に『少年ジャンプ+』で発表した、143ページにおよぶ長編読み切りです。劇場アニメでは押山清高さんが監督と脚本、それにキャラクターデザインまでを兼ね、制作を受けもったのはスタジオドリアン。上映時間は58分です。事實[1]
Wikipediaの受賞歴の一覧には、押山清高さん、井上俊之さんら「原動画スタッフ」に贈られたクリエイティブ貢献賞が載っています。のちに出た原画集は、フリップブック2冊を含む3冊組で、計900ページ以上あるそうです。事實[1]
受賞者の欄に、一人の名前ではなく「原動画スタッフ」という呼び名で、線を描いた人たちの名前が並んでいる。僕はそこに胸が熱くなりました。線を引いた手そのものが、ちゃんと名前で呼ばれている。二周目は、その手の跡を探しに行く旅です。解讀
机に向かう背中を数える
僕の記憶では、この映画は机に向かって描いている人の背中が目に残ります。顔は見えない。肩と背中と、手の動きだけ。作品中的觀察
二周目は、背中が映るたびに、窓の外の季節と、机の上の紙の量を見てほしい。服を作る人間には、背中は正直な場所なんです。肩の線の落ち方で、何時間座っているかが分かる。疲れも、意地も、背中に出る。この映画の背中は、台詞より多くのことを話しています。解讀
題名と重ねると、さらに面白いよ。誰が誰の背中を見ているのか。視点がどこに置かれているかを、背中の場面ごとにメモしてみるといい。解讀
序盤、学年新聞に載った京本の漫画を見て、藤野は悔しさを抱えたまま、本格的に絵の練習を始めます。事實[1]
二周目は、このとき藤野の机のまわりで、描いた紙がどう増えていくかを見てほしい。美大受験の前の僕の部屋も、ああでした。上達は、ある日いきなり来るものじゃない。描き損じの束の厚みでしか測れないんです。その厚みを、この映画はちゃんと画面に置いている。解讀
同じ形が何度も出てくる
原作は、同じ要素をくり返す構造にそっと意味を込めていくやり方などが、『リアルサウンド』で高く評価されました。事實[1]
反復構造っていうのは、同じ場面の形を二回以上出して、二回目で意味を変える作りのこと。一周目は一回目しか知らないから、二回目に気づいても遅い。二周目は、一回目のほうに付箋を貼りながら観られる。解讀
二周目は、冒頭の紙と机に付箋を貼るつもりで観てみてください。解讀
中段為止中盤の展開(二人が組むところから)點擊展開
卒業式の日、藤野は京本に卒業証書を届けに行き、そこで京本から、自分は藤野のファンなのだと打ち明けられます。それがきっかけで藤野はまた描きはじめ、二人はやがて「藤野キョウ」という名前で一緒に漫画を描くようになる。13歳のときの応募作は準入選に選ばれ、17歳になるころには、掲載された読み切りが7本にのぼります。高校を出るとき、藤野は連載を持ってプロの漫画家になり、京本は進学先に山形市の美術大学を選ぶ。二人のコンビはここで解消します。
二周目は、二人で描いている時間の手もとを見てほしい。藤野のネームを京本が読み、やがて京本が作画に加わる。片方が物語を運び、片方が絵を描き込む。僕はここで、映像研の浅草と水崎のことも思い出しました。役割の違う二人が一枚の紙を分け合うとき、紙の上には二種類の線が並ぶ。
そして、京本が美大へ行くと決める場面。美大で油絵を描いていた僕には、ここがいちばん痛い。もっと絵がうまくなりたい、という気持ちは、誰かの隣にいたい気持ちと、ときどき両立しない。僕は二周目で初めて、京本の決断を、藤野の側ではなく京本の側から観ることができました。
結局·真相結末點擊展開
2016年1月、美術大学に入りこんだ人物が学生たちを襲い、最初に犠牲になったのが京本でした。自分が京本を外の世界へ引っぱり出したせいではないか、と藤野は苦しむ。ここで物語は二つに枝分かれします。一つは京本を失った本来の世界。もう一つは、藤野が漫画をやめていて、京本は別の道から美大に進み、その京本を藤野が凶行から救う、あったかもしれない世界です。原作では、ドアの隙間を抜けていった4コマ漫画が、事件後の藤野と事件前の京本を結んでいるかのように描かれています。最後は元の世界に戻って、漫画を描く藤野の後ろ姿で終わります。
二周目に付箋を貼っておいてほしかったのは、ここです。4コマ漫画は、ただの導入じゃなかった。最後の鍵になる。そして背中も、最後にもう一度映る。レンは「一回目の付箋が、二回目で意味を変える」と言いました。僕は、最後の背中を観て、一回目の背中をもう一度観たくなった。同じように机に向かっているのに、もう同じ背中じゃない。肩に乗っているものが違う。
原作の漫画については、最終ページの文字と2ページ目の「Don't」、それに題名を組み合わせると、オアシスの曲名ができあがる、という指摘もあります。読み直すときは、最初のページと最後のページを並べてみて。
悲しい出来事の映画として、一度で閉じてしまう人もいると思う。それでいいとも思います。でも僕は、二周目で、この映画が「それでも描く」人の背中で終わることに、もう少しだけ長く目をとめていたい。……ま、それが僕の見方だよ。
二周目の僕の見方
一周目は、二人の物語でした。二周目は、線の物語になった。線を引く人間なら、きっと誰でも、隣で描いていた誰かを思い出すはずです。解讀
次に観るとき、僕は答えを探さない。付箋だけ持っていく。喜好
二周目は冒頭の学年新聞の場面から。机に向かう背中を覚えておいて。