映画『紅の豚』を最後まで観た人のための、二周目の案内です。まだ観ていない人は、ここで戻ってください。物語の中身に深く触れるところは、押さないと開かない箱に入れてあります。箱の外では、展開には触れません。今回は、隣の家のタカシさんと一緒に観直しました。
海まで走った夜の一周目
一周目は、はじめてバイクで遠くの海まで走った夜でした。法定速度で、休憩をはさみながら。帰ってきてこの映画を観て、空を飛びたい気持ちがはっきりしました。あの夜の僕は、空と海の青ばかり観ていた。二周目は、免許を一つずつ取って、整備の時間がいちばん好きになってから観ました。そうしたら、同じ映画が工房の映画に見えてきたんです。喜好
スタジオジブリの作品ページによると、原作・脚本・監督は宮﨑駿さん、上映時間は約93分、公開日は1992年7月18日です。事實[1]
ハヤテくんが小さいころにも、この映画の話をしましたね。あのときは飛行艇の色の話ばかりでした。
はい。今回は、色の話を最後にします。
もとは機内で観る短い作品だった
もともとは、日本航空の機内で流す短い作品として企画されたものでした。それが30分の予定から45分、60分、80分へと少しずつ長くなり、劇場で公開されるときには93分の長編になっています。事實[2]
これを知ってから観直すと、冒頭の空の場面の軽さが、少し違って見えます。飛行機に乗っている人が、窓の外の空を見ながら楽しむための映画として始まった。だから空の場面には、乗っている人の気持ちを持ち上げる明るさがある。一方で、長くなっていった時間の中に、地上の重さが少しずつ入りこんでいる。僕には、その二つの層が一本の中に重なっているように見えます。解讀
ホテルの壁の一枚の写真
ホテル・アドリアーノでは、レストランの隅の壁に一枚の写真が飾られています。若いころのジーナが、四人の男性と一緒に飛行艇に乗っている写真です。事實[6]
一周目の僕は、この写真の前を素通りしていました。二周目は、物語の最初のほうで、もう大事なものが壁に掛けてあったことに気づきます。見逃しやすいので、ホテルの場面になったら、壁のほうを一度見てください。作品中的觀察
昔の仲間と写った写真というのは、残っているだけで重いものです。私も、若いころの職場の写真を、なかなか見返せません。喜好
ミラノの工房に集まる人たち
フィオはピッコロ社の社長の孫で、まだ17歳。ミラノにあるこの工房で、ボディの設計と修理を受け持ちます。事實[3]
工房の場面には、図面を引く人と手を動かす人が大勢出てきます。作品中的觀察
Wikipedia日本語版の制作の経緯には、メインスタッフが入ったとき、女性スタッフが主流の作品になったとも書かれています。事實[2]
画面の中の工房と、画面をつくった現場が、同じ形をしていた。これを知って観る二周目の工房の場面は、僕には少し胸が熱くなります。機体を組み上げているのは、物語の中の人たちであり、この映画を描いた人たちでもある。ここは僕の読みですが、作品をつくる人たちへの敬意が、あの場面にはそのまま込められているように見えます。有依據的推測
エンジンを任された手
ピッコロのおやじは、機体のことはまるごとフィオに任せて、自分は一番の得意分野であるエンジンのチューニングだけに集中します。事實[4]
ここが、僕のいちばん好きな分担です。若い人に図面を任せて、年長の人はエンジンを受け持つ。カートでも、エンジンの調子は耳で決まることが多いんです。回転の上がり方、アイドリングのゆれ、かかった瞬間の音。……話がカートに寄りました。二周目は、工房の場面で、おやじがエンジンにどう向き合っているかを観てみてください。解讀
中段為止中盤の展開(工房を出るまで)點擊展開
飛行艇が工房に運ばれてきたのは、ミラノへ整備に向かう途中で、もともとのエンジンの不調がたたってカーチスに撃墜されたからでした。一周目の僕は、撃墜を相手の腕の差だと思っていました。二周目は、機体の調子という、整備の側の理由があったことを頭に置いて観ています。
そして工房を出るとき、フィオは整備士として同乗したいと頼みます。理由は、自分が手がけた仕事の責任を最後まで負いたいから。僕はこの一言を聞くたびに、カートのピットで、自分が整備したマシンがコースから戻るまで目を離さない人たちを思い出します。整える人は、送り出して終わりではない。
ポルコがフィオを信用するまでの経緯も、二周目の見どころです。最初は任せようとしなかった彼が、フィオが徹夜で描き上げた設計図を見て、愛機を預ける。そして、出稼ぎに出ている男たちの代わりに、ピッコロの親戚の女たちが集まってきて修理が始まります。
仕事を最後まで見届けたい、という人は、組織でもいちばん信頼できます。……また仕事の話にしてしまいましたね。解讀
前の晩の話と顔
二周目にいちばん長く止めたのは、夜の場面です。何が語られ、何が一瞬だけ映るのかは、畳んだ中に書きます。喜好
結局·真相結末點擊展開
決闘の前の晩、眠れないフィオに頼まれて、ポルコは戦友ベルリーニが戦死したときの話をします。寝返りを打ったフィオは、一瞬だけ、人間の姿をしたポルコの顔を目にします。壁の写真の四人の男性のうち、一人だけ顔が黒く塗りつぶされていて、それが人間だったころの若いポルコです。二周目にホテルの壁の写真を覚えていると、この一瞬がずっと重くなります。僕には、あの写真とこの一瞬がつながって見えました。
空の決闘は決着がつかず、最後は飛行艇を降りた二人の殴り合いになります。宮崎駿さんはこの場面で、「戦闘」から「祝祭」へと意図をずらしたとされています。一周目の僕は、空で決まらないことに少し拍子抜けしました。二周目は、撃ち落とし合いにならなかったことに、ほっとしました。整備した人の仕事が、ちゃんと残ったんです。
終盤、フィオのキスのあとでポルコの顔には変化があったように描かれますが、その顔は意図的に映されていません。物語はフィオの語りで、その後のことを伝えて閉じます。フィオはのちにピッコロ社を継ぎます。顔を見せないまま終わることで、観る人それぞれの中に、あの写真の顔が残る。僕はそう受け取りました。
最後に空の色の話
約束どおり、最後に色の話をさせてください。二周目は、工房から飛び立つ場面の空が、冒頭の空とは違って見えました。同じ青でも、整えてくれた人たちの手を知ったあとの青です。パイロットになりたい僕にとって、空はいつか自分で飛ぶ場所で、その下にはいつも誰かの工房がある。この映画は、その両方をいっぺんに見せてくれます。喜好
ハヤテくんが空に出る日には、私も作業着のまま見送りに行きます。スポンサーの話は、しませんから。
……ありがとうございます。見送りは、うれしいです。
二周目は、ホテルの壁の写真を一度だけ見てから、工房の場面へ。空の青が、整える人たちの手の色に見えてきます。