目錄
私の6選の一本目は『タンタンの冒険』。少年記者のタンタンが、白い犬と一緒に世界中を飛び回る漫画です。どの冒険がどう終わるかは書きません。書くのは、言葉が分からなかった子どもの私に、どうしてこの漫画だけは読めたのか、っていう話。
図書室の床で、ぜんぶ読めた
引っ越しが多い子どもだった。新しい学校に行くたびに、最初に覚えるのは「ありがとう」と「それ、なに?」の二つ。フランス語の街に移ったときもそう。授業は半分も分からなくて、休み時間はたいてい図書室にいた。そこで、背の高い大きな判型の本を一冊抜いた。床に座って開いたら、吹き出しの字はほとんど読めないのに、話はぜんぶ分かった。最後のページまで行って、自分でびっくりした。
作者のエルジェは、本名をジョルジュ・レミといって、1907年にベルギーのエテルベークで生まれた人だと、タンタンの公式サイトに書いてあります。イニシャルの「R.G.」を反対にしてフランス語で読んだ音が、エルジェという名前になった、とも。事實[1]
名前の付け方からして、言葉で遊ぶ人。そういうの、大好き。喜好
好きな理由1:線が迷わない
いまの私は写実の絵を描くから、余計に分かる。タンタンの線は、影で逃げない。輪郭がくっきりしていて、背景の建物や車や船まで、同じ太さの線できちんと描いてある。だから、どこを見ればいいか迷わない。言葉が読めない子どもにとって、それはすごく親切だった。誰が怒ってて、誰が困ってて、次にどっちへ走るのか、線だけで分かる。解讀
あと、コマの中で人がちゃんと重さを持って動く。転ぶときは本当に転ぶし、走るときは体が前に倒れてる。アクションに嘘がない絵が好きなのは、たぶんここから。喜好
好きな理由2:毎回ちがう国にいる
公式サイトの作品紹介では、タンタンの冒険は何世代もの読者にとって「地理への入門」だった、と書かれています。シリーズの冒険は全部で24。事實[2]
砂漠の次は雪山、その次は海。読むたびにタンタンは別の国にいて、でもちっとも心細そうじゃない。それが、子どもの私にはうらやましかった。私は引っ越すたびに一年くらい心細かったから。世界中に友達がいる男の子。いつかああなりたいって思って読んでた。喜好
どこへ行っても眠る場所の心配をしていない、というのは、旅をする者として少し……いえ、かなりうらやましいですね。
でしょ? ルカも絶対うらやましい側だと思った。私たち、そこだけは本当の兄妹みたいに意見が合うね。違うけど!
好きな理由3:作者が変わっていく
公式サイトの年表には、1934年に中国からの留学生チャンさんと出会ったことが、エルジェにとって決定的な転機になったと書かれています。しっかり組み立てた物語と、入念な下調べの大切さを確信した、と。チャンさんは、のちに『青い蓮』のきっかけになった中国の友人だったそうです。事實[1]
ここ、私はすごく大事だと思ってる。正直に言うと、シリーズの初めのほうには、よその国の人の描き方が、いま読むと型どおりで引っかかるところもある。でも、ひとりの友達に会って、調べて描くほうへ変わっていった人なんだって知ってから、24冊を順に読むのが楽しみになった。作者が知らない国を知っていく記録として読めるから。解讀
おまけの理由:白い犬が字幕だった
タンタンの横には、いつも白い犬がいる。言葉が分からなかった私は、最初この犬の顔で話を読んでた。しっぽが元気なら大丈夫、耳が下がってたら危ない、首をかしげてたら何か見つけた。あの犬は、私にとって字幕みたいなものだった。いまでも、動物を描くときに耳の角度で気持ちを出すのは、ここで覚えたやり方。解讀
その犬の名前は、公式サイトの英語の年表では「Snowy」。事實[1]
ところが同じサイトのフランス語の記事では、「Milou」と書かれています。事實[3]
国が変わると、犬の名前まで変わる。私はフランス語で最初に覚えたから、いまでも心の中では「Milou」って呼んでる。翻訳で消えるものの話をするとき、私はいつもこの名前の違いから始めるの。名前が変わっても、走る足の線は一本も変わらない。喜好
私の見方:絵は国境で止まらない
私がいま考えてるテーマは、「絵の質感は国境を越えて伝わるか」。答えの最初の一個は、この漫画がくれた。言葉は街ごとに変わったけど、タンタンの線はどの街でも同じに読めた。翻訳で消えるものは確かにある。冗談の言葉遊びとか、名前の響きとか。でも、線は訳さなくていい。解讀
苦手そうな人への入口
古い漫画が不安なら、最初は字を追わないで、絵だけで一冊めくってみて。それで話が分かったら、もう一回、今度は字も読む。二回目のほうが笑える。それと、一冊で一つの冒険が終わるから、気になる国の巻から読んでいい。順番どおりにしたくなるのは、たぶんそのあと。
ほかの5本とのつながり
私の6選は、生まれた国も作り方もばらばら。国はばらばらでも、ぜんぶ絵が先にしゃべる作品なの。その順番を最初に教えてくれたのが、タンタン。いまでもスケッチブックの最初のページには、あの白い犬の走る足を描き写してる。喜好
言葉が分からない場所でも、線は読める。最初の一冊は、字を読まずにめくっていい。