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日常

宇治の坂の上で古い地図をもう一度

劇透範圍 無劇透 どの作品も、紹介文で分かる範囲まで。物語の展開と結末には触れません

原作の小説から入ったノアと、アニメを全部観ていたソウマ。『響け!ユーフォニアム』の町、宇治を二人で歩く。川沿いでは違いを手帳に書き、山の上では息を切らし、ソウマの手帳から何年も前の地図が出てくる。

適合這樣的人
好きな作品の舞台の町を、一度歩いてみたい人へ。昔だれかに描いてもらった地図を、まだ持っている人にも。
發言的人
Noa × Souma
聖地巡禮 京都府宇治市(京阪宇治駅から川沿いを歩き、山の上の展望台まで) 十月の土曜、昼すぎから夕方

改札を出ると、川の音がした。ノアは小さなリュックを一つだけ背負っている。ソウマは、なぜか大きなトートバッグを肩にかけていた。

Noa

来てくれてありがとう。この町を歩くなら、アニメをちゃんと観てる人と一緒がいいと思って。

Souma

……別に。周りで全部観てたのが、俺しかいなかっただけ。

Noa

その荷物、何が入ってるの。

Souma

折りたたみ傘と、モバイルバッテリー二個と、絆創膏と、のど飴と、予備の靴下。

Noa

日帰りだよ。

Souma

知ってる。……裏方の癖なんだ。誰かが困ったときに、困らない側にいたい。

ノアは笑って、駅の前で振り返った。さっき出てきた駅舎を、ゆっくり見上げる。

Noa

私、原作の小説から入ったの。旅先の本屋で一巻を買って、帰りの電車で読んだ。この駅の名前、本で先に知ってたんだよ。

Souma

作者の地元なんだっけ、宇治。

Noa

そう。作者の出身地の宇治市が舞台で、駅も、お祭りも、これから登る山も出てくる。高校の吹奏楽部が、新しく来た若い顧問の先生のもとで、全国大会を目指す話。[1]

Souma

小説が先で、そのあとアニメになった。俺は逆の順番で入った。[1]

Noa

だから一緒に来たかったの。同じ町なのに、たぶん私たち、違うものを探しながら歩くから。

二人は川沿いの道を歩きだした。水は思ったより速く、深い緑色をしている。ソウマは歩きながら、ときどき足を止めて、手すりの向こうを見た。

Noa

いま、何を探したの。

Souma

……別に。この川の音、アニメだともう少し小さかった気がして。

Noa

小説だと、音はしないよ。文字だから。

Souma

でも、小説を読んだ人の頭の中では鳴ってる。その音量は、人によって違う。……書き留めなくていいから。

Noa

忘れない。手帳に書く。

ノアはベンチに腰かけ、手帳を開いた。ページの端に、細い字で一行ずつ何かを書き足していく。ソウマは隣に座って、のぞかないふりをしながら、少しのぞいた。

Souma

それ、何。

Noa

「同じだね」って言いたくなったときに、先に違うところを一つ書くことにしてるの。昔、仕事で二つの話を「だいたい同じ」ってまとめて、大事な違いを見落としたことがあって。

Souma

今日のは。

Noa

「小説の川は無音。アニメの川は少し小さい。今日の川は大きい」。三つとも違う。

Souma

……それ、いい一行だと思う。

Noa

ソウマくんは、あのアニメのどこがいちばん好き?

Souma

台詞。……あの作品の台詞は、言った本人より、聞いた側の顔で意味が決まることが多い。褒め言葉なのか、刺さる言葉なのか、返す側の表情を見るまで分からない。俺はずっと、聞いてる側の顔ばっかり観てた。

Noa

小説だと、聞いた側が何を思ったか、文字でそばにある気がした。顔じゃなくて、心の中の声で。少なくとも、私はそう読んだ。

Souma

じゃあ、同じ台詞でも、小説は答え合わせつきで、アニメは答えを自分で探す。

Noa

それも書いておく。……あ、違う。どっちがいい、じゃなくて、どっちも違う楽しさ、ってほうで。

茶店の前で、二人は抹茶のソフトクリームを一つずつ買った。ノアはゆっくり食べ、ソウマは、溶けて指に垂れるたびに、トートバッグからウェットティッシュを出した。

Noa

ほんとに何でも入ってる。

Souma

あと、帰りの電車の時刻表も三通り調べてある。

橋のたもとを、楽器ケースを背負った高校生が四、五人、笑いながら通りすぎていった。いちばん後ろの子だけ、自分の背中より大きなケースを抱えて、小走りで追いかけている。

Noa

いまの、見た?

Souma

見た。……いちばん大きいケースの子が、いちばん後ろを歩いてた。

Noa

私は、前の子たちが一回だけ振り返って、歩く速さを落としたところを見てた。

Souma

同じ五秒で、見てるところが違う。

Noa

うん。でも、二人とも、後ろの子のことを見てた。そこは同じ。

Souma

……今日、初めて「同じ」って言ったな。

Noa

違うところを先に二つ書いたから、言っていいことにする。

ソウマは、高校生たちが角を曲がるまで目で追っていた。ケースの大きさを測るような目つきだった。中学のころ、文化祭の裏で、誰にも頼まれないのに重い荷物ばかり運んでいたことを、彼は誰にも話していない。

Souma

ああいう楽器、持って歩くだけで一日が終わりそうだ。

Noa

ソウマくんなら、たぶん、黙って半分持つ側でしょう。

Souma

……持たない。重いのは嫌いだ。

そう言いながら、ソウマはノアのリュックの肩ひもがねじれているのを見つけて、黙って直した。

三時すぎ。地図アプリが、山の上の展望台までの道を示した。川から少し離れると、道は急に坂になり、やがて土の階段に変わった。

Noa

この山、地元では大吉山って呼ばれてるんだって。本当の名前は仏徳山。作品にも出てくる。[1]

ノアは、旅慣れた人の歩幅で登っていく。ソウマは三十段目で一度立ち止まり、五十段目で手すりにつかまった。

Souma

……帝国の首都は、平地に建てるべきだ。

Noa

帝国?

Souma

……言い間違い。

Noa

ソウマくん、そういう言い回し、ときどき出るよね。昔は何が好きだったの?

Souma

……中二病でも恋がしたい!。元・中二病の高校一年生が主人公。……「元」がついてるのが大事なんだ。そこ、間違えないで。[2]

Noa

元、ね。じゃあ今のソウマくんも、元。

Souma

……たぶん。ノートは実家で、ガムテープ三重にして封印してある。

Noa

封印って言い方が、もう元じゃない気がする。

ソウマは返事をせず、残りの段を黙って登った。耳まで赤かったのは、たぶん坂のせいだけではない。

展望台に出ると、風が変わった。眼下に町の屋根が広がり、さっき歩いた川が、一本の線になって光っている。ノアは手すりにもたれ、リュックから紙の地図を出した。

Noa

上から見ると、さっきの道が全部つながるね。私、こうやって地図と本物を見比べるのが、子どものころから好きなの。

ソウマは少し迷ってから、トートバッグの内ポケットに手を入れた。出てきたのは、角のすり切れた手帳だった。そのあいだから、折りたたんだ小さな紙を一枚、抜き出す。

Souma

……これ。

ボールペンで描かれた、手書きの地図だった。英語の通りの名前と、矢印と、角の店の小さな絵。いちばん下に、星印が一つ。

Noa

あ。

Souma

オーストラリアで、帰り道が分からなくなってたとき。……別に、ずっと持ってたわけじゃない。手帳に挟まってただけ。

Noa

手帳、買い替えてないの?

Souma

……買い替えた。三回。

ノアは地図を受け取り、しばらく黙って見ていた。それから、ある一か所を指でとんとんと叩いた。

Noa

ここ、通りの名前、間違えてる。一本ずれてる。……ごめん。

Souma

知ってる。

Noa

知ってたの。

Souma

そこで分からなくなって、角にいた人に聞いた。英語で。……初めて通じたのが、そのときだった。だから、その間違いは直さないで持ってる。

風がもう一度吹いて、地図の端がめくれた。ノアは何か言いかけて、やめた。かわりに自分の手帳を開き、さっきと同じ細い字で、一行書いた。

Souma

何て書いたの。

Noa

「間違った地図と、正しい地図。着いた場所は同じ。でも、覚えている帰り道が違う」。

Souma

……今日は、違うところしか書かないんだな。

Noa

違うところを書いておくと、同じところが、あとでちゃんとうれしくなるから。

下り道は、ソウマのほうが速かった。膝が笑って、止まれなかっただけだ。

五時すぎ、駅に戻った。ホームのベンチで、ソウマはトートバッグを抱えたまま、まぶたを半分閉じている。

Noa

今日、アニメの一話目をもう一回観たくなった。ソウマくんは?

Souma

……原作、一巻だけ貸して。小説の川が、どれくらいの音量で鳴るのか、確かめる。

Noa

うん。じゃあ、次は感想を交換しよう。違うところから先に。

電車が来た。乗りこむとすぐ、ソウマは窓に頭を預けて眠った。ノアは膝の上で手帳を開き、今日の最後のページに、ボールペンで小さな地図を描きはじめた。今度は、通りの名前を一本ずつ確かめながら。

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