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日常

旧秩父橋まで一時間はやく来た人

劇透範圍 無劇透 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』は、第1話の始まりの設定(秘密基地に集まっていた六人の幼なじみと、じんたんにしか見えない一人が願いを叶えてほしいと頼むこと)まで。仲間がどう動くか、願いの中身、結末には触れません

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の町、埼玉県秩父市へ。待ち合わせを一時間まちがえたハルと、書いてあった時刻どおりに来ていたカオル。作品を一話も観ていないカオルに、ハルは好きな理由をネタバレなしで話そうとする。

適合這樣的人
まだ観ていない作品の話を、好きな人から聞くのが好きな人へ。何年も連絡していない誰かに、送りかけた一通がある人にも。
發言的人
Haru × Kaoru
聖地巡禮 埼玉県秩父市(西武秩父駅から秩父神社、定林寺をへて、荒川の旧秩父橋まで) 十月の土曜、朝から昼すぎまで

十一時二分。西武秩父駅の改札を、ハルは走って抜けた。約束は十一時に改札。二分なら許してもらえる。そう思って顔を上げると、改札の前には誰もいなかった。

携帯電話が鳴った。カオルからだった。「おはよう。いま秩父神社におる。あと、ハルくんが送ってきたの、十時やで」。ハルは画面をさかのぼった。自分で打った「10時」が、そこにあった。

Haru

ほんとにごめん! いま行く、走って行く!

返事はすぐに来た。「走らんでええ。境内で走ったらあかんし」。

秩父神社の入口で、カオルは石柱の横に立っていた。白いスニーカーに野球帽。ハルを見つけると、帽子のつばを指で上げた。

Kaoru

遅刻とちゃうで。私が一時間はやく来ただけや。

Haru

それ、僕が一時間まちがえたってことだよ。

Kaoru

知ってる。せやから先にお参りしといた。ハルくんの分も。

二人が知り合ったのは、昼のバッティングセンターだった。ハルは何か小さな挑戦をする前になると、カオルを誘って打ちに行く。今日は打席のかわりに、秩父だった。

Haru

この入口の石柱、作中に出てくるんだ。第4話で、じんたんがここに腰を下ろしてる。[1]

Kaoru

じんたん。……ごめん、私な、その作品一話も観てへんねん。今月、埼玉は二回目やけど、前の春日部はしんちゃんやったし。ゲンさんが泣いてた。

Haru

聞いた。三回だったって。

Kaoru

帰りの電車を入れたらな。……で、どんな話なん?

Haru

その前に。今日、どれくらい残ってる?

Kaoru

満タンや。一時間、ベンチで休んどったからな。

Haru

……ほんとにごめん。じゃあ、筋だけ。小学生のころ、あだ名で呼び合って、「超平和バスターズ」って名前で秘密基地に集まってた幼なじみが六人いたんだ。[1]

Haru

高校生になるころには、みんなばらばら。そこへ昔の仲間の一人が、じんたんにしか見えない姿で現れて、お願いを叶えてほしいって頼むところから始まる。[1]

Kaoru

じんたんにしか見えへんの? ほな、まわりの人に言うても……

Haru

うん。ふつうは、信じてもらえない。

Kaoru

私やったら、まず「昨日何時に寝たん」って聞くな。

Haru

……今朝、時間を一時間まちがえた人間としては、何も言い返せない。

ハルはそこで言葉を切った。この先を話したら、カオルが一話目から観る楽しみを、自分が先に使ってしまう気がした。

神社から北へ歩いて、定林寺に着いた。秩父札所の第17番にあたる曹洞宗のお寺で、境内には県の文化財になっている銅の鐘がある。

Haru

ここの名前、オープニングで映るお寺の案内板に書いてあるんだ。作中でも何度も出てくる。[1]

境内では、年配の夫婦が本堂に向かって手を合わせていた。ハルが鞄から携帯電話を出しかけると、カオルが袖を軽く引いた。

Kaoru

待と。あの人ら、お参りの途中やん。後ろでシャッターの音がしたら、私やったら気になるわ。

Haru

……うん。撮るのは、あの人たちが門を出てからにする。

夫婦が帰っていくのを待って、二人はまずお参りをした。写真は、境内の端から一枚だけ撮った。

Haru

前にね、札所めぐりの人と、あの花の聖地巡礼の人の両方に向けた「ちちぶ巡礼バス」っていうのが走ってたんだって。[1]

Kaoru

一台のバスに、二種類の巡礼が乗るんや。ほな今日の私らは、どっちの巡礼やろな。

Haru

お参りしたから、両方ってことにしない?

Kaoru

調子ええな。……ええよ、それで。

荒川へ向かって下りていくと、古い橋が見えてきた。旧秩父橋。いまは車の通らない、橋の上の公園になっている。そのすぐそばに、斜めのケーブルで支えられた新しい秩父橋が架かっていた。

Haru

ここ。この古い橋から見た新しい橋が、あの花のキービジュアルの一つなんだ。[1]

Haru

古いほうは昭和のはじめに開通して、新しいほうも、できてもう四十年くらいたってる。古い橋に立って、新しい橋を見てる絵なんだよ。[3]

旧秩父橋は1931年開通、新しい秩父橋は1985年

Haru

脚本の岡田麿里さんは、秩父の出身なんだって。[1]

Kaoru

地元の橋なんや。斜めの線、きれいやな。投げ終わったピッチャーの腕みたいや。

カオルは欄干にもたれて、しばらく川を見ていた。川原で、子どもが二人、平たい石を探しては水面に投げていた。

Kaoru

で、ハルくん。今日の挑戦は何なん。バッセンのかわりに秩父まで連れてくるくらいやから、なんかあるんやろ。

ハルは少し黙ってから、携帯電話の画面を見せた。宛先は、高校の同級生。書きかけの文章が、送信ボタンの手前で止まっていた。

Haru

文化祭のとき、僕が企画を一人で抱えこんで、止めてくれたやつ。卒業してから一回も連絡してない。あの花の二周目を観て、送ろうと思ったんだ。でも、もう何年も経ってるし。

Kaoru

ほな、さっきの続き聞かして。見えへん子が出てきて、まわりは信じてくれへん。それで?

Haru

……そこから先は、言わない。仲間がどう動くかは、観て確かめてほしいから。僕が言えるのは、信じてもらえないかもしれない、ってところから始まる話だってことだけ。

Kaoru

ふうん。……私な、信じるのは得意やで。

Haru

え?

Kaoru

ハルくんが十時言うたら、十時に来る。まちがってても来る。それで一時間ベンチで待つ。……あかんかった?

Haru

……あかんくない。

Kaoru

ほな、送り。返事が来るって、私が先に信じといたる。

ハルは欄干から手を離して、送信ボタンを押した。川原で投げられた石が、水の上を四回跳ねて沈んだ。

昼は、駅の近くのラーメン屋に入った。カオルはみそを頼み、ハルは塩に落とし卵をつけた。

Kaoru

卵、わざわざ落とすん?

Haru

じんたんの好みなんだ。塩ラーメンに、落とし卵。[1]

Kaoru

なんで塩なん?

Haru

それは、観たらわかる。

Kaoru

さっきから「観たらわかる」ばっかりやん。ずるいわ。

Haru

うん、ずるい。でも、ここだけは知らないで観てほしいんだ。

カオルは笑って、レンゲでスープをすくった。テーブルの上で、ハルの携帯電話は伏せたままだった。返事は、まだ来ていなかった。ハルは一度だけそれを裏返しかけて、やめた。

帰りは西武秩父駅から乗った。作中にも、この駅や西武の電車が出てくる。車内は空いていて、二人は並んで座った。

山が窓の外を流れはじめたころ、ハルの携帯電話が一度だけ震えた。ハルは画面を見て、それから窓のほうへ顔を向けた。

Kaoru

来た?

Haru

……来た。「久しぶり。元気?」だけ。

Kaoru

一球目で「元気?」が返ってきたら、上出来や。私、次の定休日に一話目観るわ。泣いたかどうかは、ゲンさんには言わんといて。

ハルは返事を打ちはじめて、途中で指を止めた。「また頑張れた」と書きかけて、消した。かわりに「今度、話したい」とだけ打って、送った。カオルは隣で何も言わずに、帽子のつばを少しだけ下げた。

本文中的作品

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