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日常

休憩所で色の名前を四つの言葉に

劇透範圍 無劇透 どの作品も、紹介文と物語の始まりの設定で分かる範囲まで(『映像研には手を出すな!』はテレビアニメの話数の題名に一つ触れます)。展開と結末には触れません

アニメのイベントの日曜日。出展ブースの裏の休憩スペースで、社員のイロハと、通訳を任されたインターンのエマがサンドイッチを分ける。イロハのノートの「まだ何色でもない白」を、エマは英語とフランス語と中国語で言い直そうとした。

適合這樣的人
好きな場面を、うまく言葉にできない人へ。言葉にできない感想を、色や線で残している人にも。
發言的人
Iroha × Emma
同人展 大きな展示場のアニメイベント、出展ブースの裏の休憩スペース 日曜の昼

十二時四十分。ブースの裏の、段ボールで仕切っただけの休憩スペース。イロハはパイプ椅子に座ると、首から下げたスタッフ証を裏返して、ボールペンのノートを開いた。午前中に見た色を、忘れないうちに書いておく。

「朝いちばんの搬入口の、灰色がかった青」「ブースの床に落ちていた、誰かのチラシの黄色」。

仕切りの段ボールがめくれて、エマが入ってきた。インターンの名札。片手に無線機、もう片方の手にサンドイッチを二つ。

Emma

イロハさん、休憩一緒にいい? 午前だけで、英語と中国語とフランス語、全部使った! 新記録!

Iroha

おつかれさま。……エマちゃん、まだ声が会場の音量のままだよ。

Emma

あ。(小さく)……おつかれさまです。

エマはサンドイッチを一つイロハに渡すと、自分の分をくわえたまま、無線機の裏ぶたを開けた。

Iroha

それ、壊れたの?

Emma

ううん。さっきから音がざらざらしてたから、ちょっと見てるだけ。……はい、直った。

Iroha

直せるんだ。

Emma

なんとなく。こういうの、なんか得意なの。

イロハは「なんとなく」の意味を深く考えずに、ノートに「無線機の黒は、ブースの黒より少し青い」と書き足した。

Emma

そうだ、さっき海外のお客さんに聞かれたの。「この会社の人の、いちばん好きな作品は?」って。

Iroha

なんて答えたの?

Emma

映像研には手を出すな!って言った。イロハさんの机に、いつも置いてあるから。

Iroha

……合ってる。

Emma

でも説明が難しかった。どういう話か、私、ざっくりしか知らなくて。

Iroha

浅草みどりっていう女の子がいて、ひとりじゃ動けない小心者なの。でも夢は、アニメを作ること。[1]

Iroha

アニメーター志望で親に反対されてる子がいて、みどりと意気投合するの。もうひとりの友だちも加えて、三人でアニメの「最強の世界」を作ろうとする話。[1]

Emma

最強の世界。いい響き。……イロハさんは、どこが好きなの?

Iroha

描いてるときの、鉛筆の音。……ううん、正確には、鉛筆の音がしそうな画面。

Emma

音がしそうな画面。

Iroha

うん。線が走ってるとき、私の耳の中で、紙がこすれる音がするの。画面に入ってる音じゃなくて、私が勝手に聞いてる音なんだけど。

Emma

それ、英語でなんて言えばいいかな。"I can hear the pencil" だと、ほんとに鳴ってるみたいになっちゃう。

Iroha

鳴ってないの。鳴りそうなの。

Emma

"It looks like it sounds"……うーん、変な英語。

Iroha

変な英語、好き。

Emma

あとね、テレビアニメの第九話の題名が「コメットAを目指せ!」なの。さっきお客さんのスマホで話数の一覧を見せてもらった。[1]

Emma

コメットAって、こういうイベントのこと?

Iroha

それは、観てのお楽しみ。

Emma

Ah、ネタバレ禁止の顔だ。

Iroha

エマちゃんも、好きな作品の先、すぐ言いそうになるもんね。

Emma

言わないよ! ……言わないように、いまサンドイッチ噛んでる。

イロハはノートのページを一枚戻して、エマに見せた。ページの上に「リズと青い鳥」とだけ書いてあって、その下には色の名前ばかりが並んでいる。

Emma

これ、映画?

Iroha

うん。学生のころに出会った映画で、監督は山田尚子さん。主人公は高校三年生の二人で、フルートの子とオーボエの子。二人にとって最後になるコンクールまでの日々を追う話。[2]

2018年公開

Emma

フルートとオーボエ。……音の映画だ。

Iroha

音と、音がないところの映画。私、ここに書いた色が、ずっと言葉にできなくて。

Emma

どれ?

Iroha

これ。「水色になる前の、まだ何色でもない白」。

エマはしばらく、その一行をじっと見ていた。サンドイッチを置いて、自分のスケッチブックを開き、鉛筆で、白い紙の上にほとんど色のない影を薄く重ねはじめた。

Emma

英語なら……"white" じゃ足りない。"off-white" だと、少しくすんだ白みたい。

Iroha

くすんではいないの。

Emma

フランス語だと、blanc cassé。「割れた白」って書いて、ほんの少し色が混ざった白のこと。……でも、割れてないよね、これ。

Iroha

割れてない。まだ、何にもなってないの。

Emma

じゃあ、中国語。「月白」。月の白。青がほんの少しだけ入った白を、昔からそう呼ぶの。

イロハは、ボールペンを持ったまま止まった。

Iroha

……月の白。

Emma

合ってる?

Iroha

合ってるかどうかは、分からない。でも、聞いた瞬間に、あの場面の、明かりがつく前の数秒が見えた。

Emma

それ、最高!

Iroha

声。

Emma

(小さく)……ないす。

イロハはノートの「まだ何色でもない白」の横に、小さく「月白」と書いた。その下に、エマの字で「blanc cassé(ちょっと違う)」と「off-white(だいぶ違う)」が並んだ。

Iroha

エマちゃんは、色で好きな映画ってある?

Emma

ウルフウォーカー。アイルランドとか、いくつかの国が一緒に作った映画で、一六五〇年の、アイルランドのキルケニーっていう町が舞台なの。[3]

Emma

私には、描いたときの鉛筆の線が、消されないで残ってるように見えたの。オオカミのほうの場面だけ、線がざらざらしてて。そこがすごく好き。

Iroha

……線が残ってるの、私も好き。消しゴムで消さない線。

Emma

イロハさんのノートも、ボールペンだもんね。消せない。

Iroha

消せないから、まっすぐ引けなかった線も、そのまま残ってる。

Emma

それ、ウルフウォーカーと同じだ。

Iroha

……それは、ちょっと言いすぎ。

Emma

言いすぎじゃないよ。私、写実的な絵ばっかり描いてきたから、ざらざらの線が描ける人、ちょっとうらやましいの。

Iroha

エマちゃんの絵は、ちゃんと全部そこにある感じがする。私は、そっちがうらやましい。

Emma

じゃあ、交換?

Iroha

交換は、しない。見せ合うだけ。

Emma

Nice. じゃあ、見せ合う係ね。

無線機が短く鳴った。エマは一瞬で表情を切り替えて、低い声で二言だけ返した。さっきまで「ないす」と言っていた人と、同じ声とは思えなかった。

Emma

入口に、フランス語のお客さん。行ってくる。

Iroha

いってらっしゃい。

十分後。段ボールの仕切りが、またそっとめくれた。顔だけ出したエマが、小声で手招きしている。

Emma

イロハさん、ちょっとだけいい? フランス語のお客さんの女の子がね、「ここの会社の人が、いちばん好きな場面は何色?」って。

Iroha

……私でいいの?

Emma

イロハさんしかいない。

ブースの前には、お母さんと手をつないだ、十歳くらいの女の子が立っていた。手には、表紙の角が丸くなったノート。イロハはしゃがんで、女の子と目の高さを合わせた。

Iroha

……月白。

エマは一瞬だけ考えてから、女の子に向かって、ゆっくり何か言った。女の子は口の中でその言葉を一度くり返して、ノートに書きつけた。それから顔を上げて、イロハに何か言った。

Emma

「わたしのいちばん好きな場面は、赤」だって。

Iroha

……何の赤か、聞いてもらえる?

Emma

もちろん。

女の子の答えは長かった。エマはそれを、途中で区切らずに最後まで聞いてから、短く訳した。

Emma

「夕方の、帰り道の赤」。

Iroha

……それ、いい色。

女の子は手を振って、お母さんと人の流れに戻っていった。イロハは休憩スペースに戻ると、ノートの「月白」の下に「知らない子の、帰り道の赤」と書いた。

Emma

さっきの「月白」、フランス語でなんて言ったと思う?

Iroha

分からない。

Emma

「月の白」って、そのまま言った。辞書にある言葉じゃないけど、あの子、すぐ分かってくれた。

Iroha

……辞書にない言葉のほうが、届くこともあるんだね。

Emma

でしょ。言葉は、ちょっとはみ出してるくらいがいいの。

エマが仕事に戻っていく。そのとき、振り返って言った。

Emma

イロハさん、パンフレット、逆さまに鞄に入ってるよ。

Iroha

……知ってる。いつもそうなの。

Emma

なんで?

Iroha

取り出したとき、裏表紙から見えるのが好きだから。……たぶん。

エマは笑って、段ボールの仕切りの向こうへ走っていった。イロハはノートの最後の行に、もう一度「月白」と書いた。その色をどこで使うかは、まだ決めずに、ノートを閉じた。

本文中的作品

講述者 Iroha 品味聲音與畫面的採集者 閱讀更多 Iroha 的文章 →

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