この話は、映画『バケモノの子』を最後まで観た人のための、二周目の案内にゃ。まだの人は、ここで閉じて観てほしいにゃ。展開に触れるところは、押さないと開かない箱に入れたにゃ。今日はスイが仕事の日。ゲンの子どもたちは学校にゃ。だからテンは、縁側でふつうにしゃべれるにゃ。
一周目のテンは毛並みばかり見ていた
テーマは「父と子」。細田守さんがこの作品で選んだにゃ。舞台はバケモノの世界の渋天街と、人間界の渋谷。公開は2015年の映画で、細田さんは原作と脚本も手がけてるにゃ。事实[1]
一周目のテンは、熊徹のぼさぼさの毛並みばかり見てたにゃ。手入れしてない、でも温かそうな毛。あれに顔をうずめたら、きっとお日さまのにおいがするにゃ。二周目は、毛並みの奥にいる、不器用なお父さんのほうが見えてきたにゃ。喜好
おう、父と子か。俺も五人の親父だけどよ、親父ってのは最初から親父じゃねぇんだ。網の結び方みてぇに、やりながら覚えるもんだ。解读
語っているのはだれか
語り手は多々良と百秋坊、二人のバケモノにゃ。語られるのは、渋天街の熊徹と、渋谷の少年・蓮、別の名を九太の人生にゃ。事实[2]
一周目は、あの二人を「にぎやかな見物人」だと思ってたにゃ。二周目は、語り手だと分かって観るから、二人が口をはさむたびに耳が向くにゃ。熊徹の昔を知ってる人たちが、どんな顔で九太を見てるのか。そこに、この映画のもう一つの「父」がいるにゃ。解读
二つの名前
名前を聞かれた蓮は、「個人情報」だと言って答えなかったにゃ。だから熊徹は、蓮が9歳だったことにちなんで、「九太」と名づけるにゃ。事实[2]
雑な名づけにゃ。でも、テンはこの場面が好きにゃ。名前を言いたくない子に、無理に聞かず、いまの年をそのまま名前にした。二周目は、だれが彼を「九太」と呼び、だれが「蓮」と呼ぶかを数えてほしいにゃ。呼ばれ方が、その人との距離をそのまま表してるにゃ。解读
いいじゃん、それ! うちのチビたちも、家と学校で呼ばれ方がちがうからな。どっちも本当の名前だ。
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それから8年がたって、九太はたくましく育ったにゃ。ある日ふと渋谷に戻った九太は、図書館で楓という女子高生と知り合うにゃ。楓が九太を「蓮くん」と呼ぶのは、九太が本名の蓮を名乗ったからにゃ。やがて再会する実の父親も、もちろん「蓮」と呼ぶにゃ。
渋谷では蓮で、渋天街では九太。名前が二つあるのは、二つの世界のどちらにもちゃんと居場所がある、というしるしだったにゃ。一周目のテンは、九太がどっちを選ぶのか、はらはらしながら観てたにゃ。二周目は、どっちの名前で呼ばれるときも、そのたびに九太の顔がちょっとずつちがうのに気づくにゃ。解读[2]
わかりにくい教え方
熊徹は孤児で、師匠を持たずに独学で武術を極めたバケモノにゃ。そのせいで、教えるのが下手。「胸の中で剣を持て」なんて言ったり、擬音ばっかりで説明したりして、すぐに分からないと怒り出すにゃ。そんな熊徹を見かねて、多々良は助言するにゃ。自分が師匠と呼べる相手にどう接してもらいたかったか、それを考えながら向き合ってみろ、って。事实[3]
一周目のテンは、熊徹の説明に笑ってたにゃ。二周目も、やっぱり笑うにゃ。でも笑いながら、熊徹が自分の教わらなかったものを、言葉にできないまま渡そうとしているのが見えて、少し胸がつまるにゃ。教わったことのない人が、はじめて教える側に立つ。その不器用さが、二周目はいとおしいにゃ。解读
俺も船で、親方に「波を見ろ、そしたら分かる」としか言われなかったぞ。分かるかっての! ……でもよ、十年たったら、同じことをチビに言ってたんだ。泣けるじゃねぇか……!
抜けない刀
宗師は、引退して神さまになるにあたって、何の神に生まれ変わるかを考えてるところにゃ。その宗師が禁じてるのが、刀を抜くことにゃ。渋天街では刀を差すのはいいけど、抜いちゃいけない。だから剣士たちはみんな、鍔と鞘を紐でつないで、刀が抜けないようにしてるにゃ。事实[3]
一周目は、背景の決まりごととして聞き流してたにゃ。二周目は、刀の紐を見るたびに、この世界の刀は「持っているけれど抜かないもの」なんだと気づくにゃ。宗師が、どんな神さまになろうかのんびり迷っている話も、二周目のほうがおかしいにゃ。ゲンに、何の神さまになりたいか聞いたら、大漁の神だと即答したにゃ。解读
猪王山の家の兄
一郎彦は猪王山の長男にゃ。いつも帽子をかぶっていて、大きくなると顔の下半分を、布で隠しはじめるにゃ。事实[4]
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一郎彦も、九太と同じ人間の子どもだったにゃ。赤ん坊のころに猪王山に拾われて育てられたけれど、牙が生えず、伸びない鼻を恥じて顔を隠すようになったにゃ。
二周目は、子どものころの一郎彦が、年下の九太をどんな目で見ているかを追ってほしいにゃ。人間なのに、それを隠さずに渋天街を歩く子。一郎彦には、あれがまぶしくて、こわかったのかもしれないにゃ。同じ境遇の二人が、育ててくれた父との距離のちがいで、別々の道に分かれていくにゃ。解读[4]
小さなチコ
チコは、ふしぎな小さい生きものにゃ。九太と出会った場所は、渋谷の路地裏にゃ。事实[4]
テンは一周目から、チコが出てくるたびに前足が動いてたにゃ。あの小さなもふもふ。二周目は、チコがどこにいるかを、毎場面さがしてほしいにゃ。九太のそばに、何も言わずにいる小さな生きもの。テンの研究テーマ、そのものにゃ。喜好
おしまいの場面
结局·真相結末点击展开
九太は人間界で一郎彦と闘っているうちに、心の闇にのみこまれそうになるにゃ。そこでチコが噛みついて、九太は理性を取り戻すにゃ。一方、熊徹は瀕死の重傷を負っていたけど、宗師として神に転生できる権利を手にして、燃える大太刀の姿の付喪神になって九太の前に現れる。その剣が九太の胸に吸い込まれて、文字どおり九太の胸の中の剣になるにゃ。全部が片づいたあと、九太は人間界に戻って父親と暮らすと決めるにゃ。多々良と百秋坊は九太の様子を見に人間界へやって来て、そこで二人が語り合う。それが、この映画そのものだったにゃ。
最初のわかりにくい一言が、最後にそのまま本当になったにゃ。説明できなかった父は、説明のいらない形で、子の中に入っていった。二周目に「胸の中で剣を持て」を聞いたら、テンはもう笑えなかったにゃ。それから、刀を抜かない世界の話だったことも思い出してほしいにゃ。その世界で、父は剣になって、子の胸の中から現れたにゃ。解读[5]
よし、話し終わったな! テン、今日の昼はアジだ。チビたちが帰ってくる前に食っちまおう。
ゲンの縁側は、今日もあったかいにゃ。アジ、大きいほうをくださいにゃ。
二周目は、九太がだれに「九太」と呼ばれ、だれに「蓮」と呼ばれるかを数えてみるにゃ。