平日の午後、シズカの実家の稽古場。子どものころ、二人そろって祖母に立ち居振る舞いを習った部屋です。掃除を手伝いに帰ったシズカのところへ、近くで仕事のあったミサが顔を出しました。お茶を一服いただいたあと、ミサが「最近、何を観ているの」と聞きました。
46ページを一年に
下の子たちと、『母をたずねて三千里』を少しずつ観ているんです。一年かけて放送された、全52話のアニメです。
52話? 韓国ドラマの倍以上じゃない。よく続くわね。
『母をたずねて三千里』は、日本アニメーションが作ったテレビアニメです。フジテレビ系列の日曜夜7時半の枠で、1976年1月4日に始まり12月26日に終わるまで、全52話が放送されました。「世界名作劇場」の2作目。監督と演出は高畑勲さん、脚本は深沢一夫さん、宮崎駿さんが場面設定とレイアウト、小田部羊一さんがキャラクターデザインと作画監督を務めました。事实[1]
物語は1880年に始まります。母のアンナ・ロッシは、南米アルゼンチンの都市ブエノスアイレスへ出稼ぎに行ったきり、連絡が来なくなりました。その母を訪ねるため、主人公の少年マルコ・ロッシがイタリアのジェノヴァを発ち、アルゼンチンへ向かう姿が描かれます。事实[1]
1年続く放送に対して、原作はあまりに短いものでした。もとは『クオーレ』という長編のなかの一話で、少年エンリコが課題として書き取る物語、という扱いです。イタリア語の原版で数えても46ページ。世界名作劇場の原作でこれより短いものはなく、独立した小説ではなく長編の一部から作られたのも、この作品だけでした。アニメの物語は、大きく二つに分かれます。南米へ向かう船に乗るまでの暮らしと、海を渡ったあとの旅です。事实[1]
46ページで一年? それ、台本を書く人は眠れなかったでしょうね。有依据的推测
ええ。私も、それを知ってから見方が変わりました。46ページを一年分の毎日にのばすには、何を足したのかしら、と。喜好
小学3年生の一年の日記
『クオーレ』の作者は、イタリアのエドモンド・デ・アミーチス。書かれたのは1886年です。トリノの小学校に通う3年生、10歳のエンリーコの日記という形で、10月の新学期から翌年7月までの学校生活がつづられます。月ごとに「先生のお話」として、ほかの町の少年の物語が入っていて、5月のお話が『アペニン山脈からアンデス山脈まで』。単独でも愛読される一編で、日本での題は「母を尋ねて三千里」などです。事实[2]
学校の一年の日記の、5月のところに入っているお話なんです。うちの子たちの連絡帳を思い出しました。5月は、運動会と遠足で、毎年いちばん字が乱れる月です。喜好
あなたの家の5月は、行事の数だけで大変そうね。子どもが五人もいたら。
数えると疲れますから、今日はその話はやめておきましょう。
なぜ母は海を渡ったのか
アニメを作るとき、設定を考えるのに苦労した空白があります。母はなぜ出稼ぎに出たのか。マルコはなぜ一人で行くのか。原作は、そのどちらにも答えていないのです。事实[1]
マルコが一人で海を渡るのは、父と兄に、それぞれ持ち場を離れられない事情があるからです。父は診療所を閉めるわけにいかず、兄は鉄道学校で機関士の見習い中。その診療所は、貧しい人がただで診てもらえるようにと、父が借金を抱えてまで作ろうとしたものでした。返済と暮らしのお金を稼ぐために、母はアルゼンチンへ渡ったのです。この家族の背景は、脚本家の深沢一夫さんが考えたものとされています。事实[1]
私は、ここがいちばん好きなんです。子どもが一人で海を渡るには、それなりの筋が要ります。父親は何をしていて、兄は何をしていて、なぜ行けないのか。家族の一人ひとりに、ちゃんと手が離せない理由がある。母親として、そこが通っていないと、私は落ち着いて観ていられないんです。解读
私は逆ね。理由なんて書かなくても、母を探しに行く。それだけで十分ドラマよ。理由は、観る人が胸の中で埋めればいいの。喜好
そこは、昔から意見が合いませんね。
合わないから、話していて楽しいのよ。
それに、家族が離れて暮らす理由が借金と仕事だというのも、私には他人事に思えませんでした。うちも、ゲンさんが遠洋の船に乗っていたころは、家族が一つ屋根の下にいない年のほうが長かったので。解读
原作にいない人たち
ペッピーノ一座も、原作には出てこない人たちです。この一座の設定には、深沢一夫さんが人形劇団にいたころの経験が生かされています。アニメはこうした新しい人物を大勢加え、ふだんの暮らしも細かく描いて、短い原作を1年分の物語に広げました。おかげで、登場するキャラクターのほとんどはアニメのオリジナルです。事实[1]
原作にいない人のほうが多いの? それ、ほとんど書き下ろしのドラマじゃない。有依据的推测
ええ。書いた人が、自分の暮らしてきた時間を少しずつ分けて入れたのかもしれません。これは私の受け取り方ですけれど。解读
はじめて観る人へ
初めて観る人には、マルコが船に乗る前のジェノヴァの毎日を、ゆっくり観てほしいです。46ページのお話を一年分の毎日にした人たちがいます。家族の誰が、どんな事情を抱えているか。そこを覚えておくと、旅に出る意味が変わって見えると思います。喜好
……分かったわ。週に二話ずつ観る。理由を書いた脚本家の腕前、見せてもらおうじゃない。喜好
それでは、観終わったら、またこのお部屋でお茶にしましょう。
『母をたずねて三千里』の原作は、小説『クオーレ』の中の46ページの短いお話。母が海を渡った理由は原作になく、アニメで家族の事情として作られた。