土曜の昼、レッスンが終わったばかりのスタジオ。床を拭いていたミサのところへ、ハルが差し入れの袋を提げて寄りました。鏡の前の床はまだ少し湿っています。ハルが「今日の気分は?」と聞く前に、ミサのほうから口を開きました。
続きから観るのはなし
ハル。あなた、ナタの映画、観たことある?
一本目なら観たよ。母さんがアニメの話するの、めずらしいね。……あ、一本目の話、していい?
だめ。順番には意味があるの。私は二本目のオープニングの話がしたいのよ。
『ナタ 魔童の大暴れ』(原題『哪吒之魔童鬧海』、『哪吒2』とも)は、中国のアニメ映画で、2019年の『ナタ 魔童降臨』の続編にあたります。中国での公開日は2025年1月29日、春節が始まる日でした。上映時間は144分。日本の限定上映は、2025年の3月14日にスタートしました。事实[1]
144分。長いね。
ドラマなら三話分よ。私には短いくらい。……一本目は、今度ちゃんと最初から観るわ。あなたは黙ってなさい。喜好
指揮者のいない合唱
この映画のオープニングテーマには、トン族の伝統音楽「トン族大歌」が使われ、舞楽蝉歌楽団が歌っています。事实[1]
始まりは、ふつう先導役の歌声です。そこに全員の声が加わって、いくつもの声が重なる合唱になります。指揮をとる人はいません。伴奏も、決まった楽譜もなく、歌は「歌師」が教え伝えてきました。歌われるのは、愛や友情、働くこと、自然など。トン族の人びとのこうした多声合唱がトン族大歌で、中国でもユネスコでも無形文化遺産に認められています。トン族が多く住むのは、中国の貴州省です。事实[2]
指揮者がいないの。楽譜もないの。それで、いくつもの声がそろうのよ。私なんて、毎週「ファイブ、シックス、セブン、エイト」って数えてやっと全員がそろうのに。解读
先導の人が歌って、そのあと全員、っていうのはダンスにもあるよね。
あるわ。最初の一人の背中で、全員の呼吸が決まるの。だから先頭に立つ子には、いちばん厳しく言う。……それで、合唱が終わったところで、私、背筋が伸びたのよ。アニメなのに。喜好
「アニメなのに」は余計だよ。
主な歌い方は、男性だけ、女性だけ、男女いっしょ、そして子どもたちの合唱です。歌う場所は、村のシンボルである鼓楼の前や中。大きな祭りや、村に客を迎えるときにも歌われ、そこから「鼓楼大歌」の名でも呼ばれます。事实[2]
客を迎えるときの歌、っていうのがいいわね。映画の最初に流れるなら、観る人は村に迎えられる客よ。玄関で背筋を伸ばして迎えられたら、こっちも座り直すでしょう。解读
母さん、玄関の話になると急に厳しくなるよね。インターホンの順番とか。
順番は大事なの。歌も、玄関も、映画も。喜好
原典の親と映画の親
陳塘関の守将・李靖の三男。それが明代の小説『封神演義』での哪吒です。兄は二人いて、上が金吒、下が木吒。ただし正体は宝物の「霊珠子」で、太乙真人の弟子でもあります。李靖の子として生まれ変わらせたのも、この師匠でした。事实[3]
餃子監督は大学では医学部にいましたが、心がもっと向いていたのはアニメでした。勤めに出ないまま、家でアニメを作って過ごした3年間。その暮らしを支えたのは母親で、監督はそこで家族の愛情の強さを身にしみて感じたそうです。映画のナタと両親のあいだに描かれる愛情は、監督によると自分の経歴を参考にしたもの。原作の『封神演義』では、親子の仲はよいとは言えません。映画は原作から大きく変えられています。事实[1]
これを読んで、観ることに決めたの。医学部を出て、家で3年、アニメ。……私がその母親だったら、毎朝「で、準備は?」って聞いてたわね。解读
聞いてたと思う。毎朝。
聞いて、それでも黙ってごはんは出すのよ。親って、そういうものだから。神話の親子は仲が悪くても、映画を作った人が自分の家の話を入れたら、親子は変わる。私はそこが面白いと思ったの。解读
母さんも、僕が学生のころ空回りしてたとき、何も言わなかったよね。
言わなかったわよ。見てたもの。……はい、この話はおしまい。
4000人の振付
製作にかかった年数は、前作も本作もそれぞれ5年です。本作には、138社のアニメ制作会社から4000人以上が参加しました。前作は1600人でしたから、2倍以上に膨らんだことになります。事实[1]
4000人。振付師が何人いても足りないわ。それでも一本の映画として立ってるなら、誰かが最初の一声を出したのね。合唱と同じ。解读
観るときのおすすめは?
オープニングは、絶対に飛ばさないこと。指揮者のいない合唱というものがあると知ってから聴くと、耳の置き場所が変わるわよ。それから、一本目から順番に観ること。喜好
じゃあ、一本目は僕と観ようよ。来週の日曜。
……いいわよ。そのかわり、あなたは一本目の結末を知ってる顔をしないこと。普通の顔をするのは、私のほうが得意なんだから。
『ナタ 魔童の大暴れ』のオープニングテーマは、トン族大歌。指揮者も伴奏も楽譜もなく、先導する歌い手の声に全員の声が重なる、トン族の人たちの合唱。