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The story that helped me

誰にも言えなかった時期に楽屋で読んだ『NANA』

いまのバンドに入ったばかりのころ、ジンはうまくいかないことを誰にも言えずにいました。昼過ぎの誰もいない楽屋で、こっそり開いた少女漫画。ナギが、泣いたかどうかは聞かずに、話を聞きました。

For people who
強がっているうちに、誰にも「しんどい」と言えなくなった人へ。少女漫画を読むのが照れくさい人にも。
Spoiler range
No spoilers 1巻の紹介文にある設定(同じ名前を持つ二人の少女、小松奈々と大崎ナナ)まで。二人の物語の展開には触れません
Who's talking
Jin × Nagi
Types of claims: Fact Observation from the work Grounded inference Interpretation Preference
Contents 6 sections, ~6 min
  1. バンドに入ったばかりのころ
  2. 昼の二時の誰もいない楽屋
  3. 同じ名前でちがう顔
  4. 読み終えたら蛍光灯がにじんでた
  5. どこが効いたのか
  6. いまの小さな習慣

「しおりのある部屋」の夕方。ジンが珍しく早く来て、窓際でヘッドホンを外していました。ナギが「作品に助けられたな、って思うのはいつ?」とたずねると、ジンはしばらく黙ってから、ある漫画の名前を小さな声で言いました。

バンドに入ったばかりのころ

Nagi

いつごろの話?

Jin

いまのバンドに入って、最初の半年くらいだ。誘われたときは、正直浮かれてた。ボーカルの声を初めて聴いたとき、この声の後ろで弾きたいと思った。それで入った。

Nagi

うん。それで?

Jin

入ってみたら、ついていけなかった。俺はずっと一人で弾いてたから、人と合わせるのが下手だった。走る。勝手に音をでかくする。かっこいいところで目立とうとして、派手に外す。リハのたびに、どこかで誰かが小さくため息をつく。

Nagi

それ、きついね。

Jin

きつかった。でも、言えなかった。俺はステージの上では、強くてクールな顔をしてる。客もそういう俺を見に来てる。そいつが「合わせ方が分からない」なんて、言えるわけがない。

Nagi

そのころ、ちゃんと寝てた?

Jin

寝てない。リハのあと、家に帰ってから朝方まで一人で弾いてた。うまくなれば、言わなくて済むと思ってた。で、寝不足でリハに行って、また走る。ばかみたいな繰り返しだ。

Nagi

一人で全部なんとかしようとしてたんだね。

Jin

かっこつけたいときほど失敗する。俺はそういうやつだ。知ってた。知ってたのに、やめられなかった。

Nagi

メンバーにも?

Jin

メンバーには、一番言えなかった。……それに、俺は遠くから来てるから、帰る場所の話も、昔の話も、誰にもできない。全部まとめて黙ってたら、何を黙ってるのか自分でも分からなくなった。

昼の二時の誰もいない楽屋

Nagi

その漫画とは、どこで会ったの?

Jin

ライブハウスの楽屋だ。俺は早起きが苦手なのに、あのころはなぜか早く行ってた。リハの前に一人で練習したかった。昼の二時くらいに入ると、楽屋には誰もいない。蛍光灯が一本切れかけてて、ずっとちらちらしてた。

Jin

で、棚に、前の出演者が置いていった漫画が何冊か並んでた。その中に、表紙が少女漫画の一冊があった。『NANA』。

Nagi

ほかには、どんな漫画があったの?

Jin

けんかの漫画とか、麻雀の漫画とか。いつもならそっちを取る。でもその日は、なぜか一番手前にあったその一冊に手が伸びた。理由は、いまでもよく分からない。

Nagi

手に取ったんだ。

Jin

……バンドの話だって、どこかで聞いたことがあったから。それだけだ。少女漫画だから読んだわけじゃない。

Nagi

うん、わかった。

集英社の1巻のページには、著者は矢沢あいさん、紙版の発売は2000年5月15日、掲載誌はクッキーとあります。紹介文は「小松奈々と大崎ナナ…同じ名前を持つ2人の少女が繰り広げる、感動の恋のストーリー!」。そして「2人の「ナナ」、それぞれの幸せはどこにある…?」と続きます。Fact[1]

同じ名前でちがう顔

Nagi

読んでみて、どうだった?

Jin

最初は、なんだこれ、と思った。恋の話だし、俺の読む漫画とは全然ちがう。でも、二人の「ナナ」が出てきたところで、手が止まらなくなった。同じ名前なのに、立ってる場所も、見せてる顔もまるでちがう。Preference

Jin

それで、片方の顔の下に、言えないことが透けて見える描き方をしてる。台詞では強がってるのに、コマの外の小さい文字で、本当のことを言ってる。人に見せてる顔と、心の中の声が、同じページに並んでる。Interpretation

Nagi

ジンが毎日やってたことだね。

Jin

……そうだ。だから、胸のあたりが妙に痛くなった。強がってる顔のほうを見ると自分を見てるみたいで、心の声のほうを読むと、もっと自分を見てるみたいだった。Interpretation

Nagi

恋の話の部分は、どう読んだの?

Jin

そこは、正直よく分からない。分からないまま読んだ。俺が引っかかったのは、恋がどうこうより、誰かを大事に思ってるのに、それをうまく言えないところだ。言えないまま、相手の前で強がる。そこは、恋の話じゃなくても同じだと思った。Interpretation

読み終えたら蛍光灯がにじんでた

Nagi

その日は、どのくらい読んだの?

Jin

一冊だけだ。ほかのメンバーが来る前に棚に戻した。読み終わって顔を上げたら、切れかけの蛍光灯が、なんか、にじんで見えた。

Nagi

そっか。

Jin

泣いてはいない。たぶん。蛍光灯が古かっただけだ。

Nagi

うん。蛍光灯、古かったんだね。

Jin

……お前、それ、分かってて言ってるだろ。

Nagi

どうかな。

Nagi

そのあとのリハは、どうだった?

Jin

いつも通り走った。漫画を一冊読んだくらいで、腕は変わらない。でも、ため息が聞こえたとき、前ほど腹が立たなかった。ため息をついたやつにも、たぶん言えないことがある。そう思えた。それだけで、その日は少し弾きやすかった。

Nagi

相手の側にも、心の声があるって思えたんだね。

どこが効いたのか

Nagi

読んで、何か変わった?

Jin

すぐには変わらない。でも、強い顔をしてるやつも、裏では何か抱えてるって、紙の上で何度も見せられた。それで、少しだけ楽になった。俺だけがおかしいわけじゃない。Interpretation

Jin

それと、バンドの場面だ。ステージの上にいる時間より、その前と後の時間のほうがずっと長く描いてある。待つ時間、移動の時間、黙ってる時間。俺はそういう時間を、ずっと無駄だと思ってた。でもあの漫画では、そこに人間が全部出てる。Interpretation

Nagi

ステージの外の時間も、ちゃんとバンドの時間なんだね。

Jin

そうだ。それに気づいてから、リハの前に早く行く理由が、一人で練習するためじゃなくなった。誰かが来たら、ちょっとだけ話すようになった。天気の話とか。くだらない話だ。Preference

Nagi

くだらない話、いいね。

Jin

で、ある日のリハのあと、ドラムのやつに言った。「さっきのとこ、俺が走った。もう一回合わせてくれ」。それだけだ。言ったら、あっさり「いいよ」って返ってきた。半年黙ってたのが、ばかみたいだった。Preference

いまの小さな習慣

Nagi

いまも読み返してる?

Jin

誰も見てない時間に、たまに。移動の夜行バスで、みんなが寝てるときとか。読み返すたびに、同じところで蛍光灯がにじむ。バスに蛍光灯はないのにな。Preference

Jin

あとは、言えないことが溜まってきたら、一個だけ言うことにしてる。全部は無理だ。一個でいい。「ここ、もう一回」とか、「今日は調子が悪い」とか。それだけで、だいぶちがう。Preference

Nagi

一個だけ、なら私にもできそう。

Jin

できる。……この話、誰にも言うなよ。

Nagi

うっかり誰かに話しちゃったら?

Jin

……それは契約違反だろ。

全部は言えなくていい。言えないことのうち、一個だけ誰かに渡す。それだけで、ステージの外の時間が少し軽くなる。

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