十月の日曜。母は仕事で、昼過ぎの家には兄妹二人しかいない。ゆうべ遅く、大学のほうの部屋から戻ってきた兄のソウマは、昼ごはんのあと、アカリに対戦ゲームで三回続けて負けた。
兄ちゃん、いま手加減したでしょ。
……してない。
三回目、最後に端っこで止まった。わざとじゃん。
指が止まっただけ。指にも、休みたい日はある。
アカリはコントローラーを置いて、押し入れを開けた。奥には兄がガムテープで封をした箱があって、その手前に、アカリの漫画を詰めた段ボールが二つ並んでいる。アカリはその片方を、畳の上まで引きずり出した。同じ高さの背表紙が、端から端までぎっしり詰まっている。
ナルト、か。
今日は何も書かない日だから、読み返すって決めてた。兄ちゃん、これ最後まで読んだ?
中学のころ、第一部の途中まで。そこで止まってる。……結末だけ、先に貸して。それで足りる。
だめ。結末だけ渡すの、私は嫌。順番に話す。ネタバレは全部するけど、いい?
いいよ。俺はネタバレで減らない。
アカリは段ボールの前で正座した。ソウマは座椅子にもたれたまま、足だけこちらへ向けた。
で、最初の話。ナルトは忍者学校の卒業試験に三回落ちてる。三回とも、苦手な分身の術で。[1]
苦手なほうで試されるのか。試験ってのは、たいていそうだな。
でもね、そのナルトの得意技が、影分身なの。分身の術の仲間。落ちる原因だった術が、得意技になる。下手だったところが、武器になるの。[1]
私、剣道の引き技がずっと下手で。稽古のあと、一人で十本ずつ足してる。まだ得意にはなってないけど。
苦手を得意に化けさせるのは、時間っていう名の錬金術だ。……一般論として。
いまの、ちょっとかっこよかった。
何も言ってない。
ナルトの夢は、歴代のどの火影よりすごい火影になって、里の人みんなに自分がここにいるって認めさせること。あと、自分で言ったことは曲げない。それをナルトは、忍としての生き方の芯にしてる。[1]
口に出したら、それが約束になる。転んだ回数で、約束を値引きしない。礼をしてから始めるのと、私の中では同じ。
台詞が先で、体があとから追いつく主人公。脚本でいちばん手間のかかる型だ。言わせた分だけ、作者が最後まで面倒を見なきゃいけない。
見てるよ、最後まで。それは私が保証する。
里の全員じゃなくて、まず一人からなのがいい。
最初の一人は重い。組織だって、最初に名前を書いてくれた一人がいちばん重い。
組織の話はしてない。でも、一人目が重いのは同じ。
その最初の話に、ナルトがずっと一人だった理由も出てくるの。そこから先、畳むね。
Up to midway中盤の展開(第1巻のあたり)Tap to open
アカリ「ナルトの体には、生まれたばかりのときに、里をめちゃくちゃにしかけた九尾っていう化け物が封じこめられてる。そのせいで、里のほとんどの大人がナルトを嫌ってた。子どもたちは本当のことを知らないのに、大人の目つきをそのまままねてた」
アカリ「ナルトはそれを、三回目に落ちた日に知る。別の先生の企みに巻き込まれて、そこで知らされる」
アカリ「そのあとでイルカ先生が、自分も一人ぼっちで育ったって話す。それでナルトは吹っ切れて、盗み出した巻物で覚えた影分身で、その先生を倒す。額当てをもらうのは、そこ」
アカリ「大人は理由を一言も説明しないで、いちばん弱い子に全部押しつけてた。私、ここで一回、本を閉じて深呼吸した」
ソウマ「最初の読み切りでは、主人公が九尾そのものだったらしい。それだと読む人が気持ちを寄せられない、っていう当時の担当編集の判断で、いまの形になったって」
アカリ「化け物そのものじゃなくて、化け物を背負わされた子。……それで正解だったと思う」[1]
お前がいちばん嫌いな決まりの形だな。
うん。だからナルトがうるさいの、私は分かる。
作者の話で、一つ覚えてるのがある。連載を始めたころの作者は、親が子どもを想う気持ちがまだ自分では分からなかった。ナルトに家族がいない設定は、そのときの自分をそのまま映したものだったって。[1]
分からないまま描いたんだ。
分からないことを、分からないまま主人公にした。俺はそういう正直さが好きだ。
次は中忍試験。ナルトが最初に人から認められていくところ。
Up to midway中盤の展開(第一部の中盤)Tap to open
アカリ「予選の相手は犬塚キバ。ナルトを馬鹿にしてた人。最後はナルトが、たまたまおならをして、その隙に勝つ」
ソウマ「……おなら」
アカリ「笑うよね。でもキバは、それからナルトを馬鹿にしなくなる。認めさせた一回目が、おならなの」
アカリ「本戦の相手は日向ネジ。天才って呼ばれてる人。ナルトは押されっぱなしで、ネジの技でチャクラを練れない体にされる。普通ならそこで終わり」
アカリ「そこでナルトは、修行のときに自来也から聞いてた、自分の中にあるもう一つのチャクラのことを思い出す。九尾の力を引き出して、ぎりぎりで勝つ」
ソウマ「最後に勝たせたのは、生まれつき抱えてたほうの力だろ。努力だけの話には、なってない」
アカリ「それは私も引っかかった。中学のとき、ずるいって思ったもん。でも、その力を引き出すまで、立ってたのはナルトの足。倒れたままだったら、思い出す前に終わってた」
ソウマ「……立ってた時間のほうを数える、か」[1]
畳んだとこの最後、兄ちゃんの言うことにも一理ある。でも私はやっぱり、立ってた時間のほうを数える。
それと、ネジのほう。ネジの話もしていい?
Up to midway中盤の展開(第一部の中盤・その2)Tap to open
アカリ「ネジは日向っていう一族の、分家の生まれ。額には、分家の人にだけ刻まれる呪印がある。宗家の当主の身代わりになって、ネジのお父さんは殺されてる」
アカリ「だからネジは、人生はもう決まってて変えられないって思いこんでた。ナルトのことも、落ちこぼれって見下してた」
アカリ「それがナルトに負けて、運命は自分で決めるものだって気づく。そのあと、家の人たちとも仲直りして、顔つきがやわらかくなる」
アカリ「生まれた側にだけ重いものを背負わせる決まり。しかも額に刻んで、逆らえなくしてある。私、ナルトより先に、ネジのほうに腹が立った」
ソウマ「家の中に、生まれで上と下を決める仕組みがあって、印で縛ってある。組織を作るなら、いちばんやっちゃいけない作り方だ」
アカリ「兄ちゃん、作る気なの?」
ソウマ「作り方の話をしただけ」[3]
畳んだとこ、私はここで、いちばん腹が立った。
アカリはポニーテールの根元をつかんで、ぎゅっと締め直した。
……私ばっかりしゃべってる。
続けろよ。俺は聞く係で来た。
あとで知って、うれしかったことがあって。ヒロアカの作者さん、ナルトの最終回が載った号の、ジャンプの巻末のコメントで、ナルトは自分の青春そのものだって書いてたの。[2]
最終話は『週刊少年ジャンプ』2014年50号に掲載
鬼滅の作者さんも、影響を受けた三作品のひとつにナルトを挙げてる。私の好きな漫画、ナルトから枝分かれしてるのかも。[2]
店の平台なら、三冊並べて置く。同じ根っこの木だって、POPを一枚つけて。
その一枚、兄ちゃんが書くんでしょ。
……書かない。たぶん。
ソウマが台所から麦茶を二つ持ってきて、一つをアカリの膝の横に置いた。アカリは一口だけ飲んで、段ボールの下のほうから、表紙の角が少し丸くなった巻を抜き出した。
ここから第二部。先に言っとくと、ここは私、箸が止まったとこ。
Ending and reveals終盤の展開(第二部)Tap to open
アカリ「師匠の自来也が死んじゃう。ナルトはそれを、蝦蟇の仙人から聞かされる。家族のいないナルトにとって、師匠で、家族みたいな人だった」
アカリ「ナルトは落ちこむ。でもイルカ先生とシカマルに背中を押されて、立ち上がる。また一人目がイルカ先生なの」
アカリ「修行から戻ったら、里はもうめちゃくちゃに壊されてる。相手はペイン。ナルトは戦いながら、平和って何だ、正義って何だ、目の前にある憎しみをどうするんだって聞かれて、答えられない」
アカリ「最後にペインの本体の長門を見つける。師匠の仇。ナルトは飛びかかりかけて、その寸前で止まる。殴る前に、同じ師匠の弟子だった人が、どうしてこうなったのかって聞くの」
アカリ「殴る前に、なんで?って聞く。私の口ぐせと同じ。……私は聞く前に一歩出ちゃうけど」
アカリ「強い人が、力を使わなかった。私がずっと探してる場面が、ここにあった。中二の夏、稽古帰りの定食屋で読んでて、大盛りが冷めた」
アカリ「長門は、死んだ里の人たちを生き返らせる術を使って、そのまま息を引き取る。帰ってきたナルトを、里の人たちがありがとうって迎えて、里の英雄って呼ぶ。最初は冷たかった人たちが」
ソウマ「認めさせたんだな、里に」
アカリ「殴って認めさせたんじゃない。殴らなかったから、認められた。そこがいちばん好き」[1]
ソウマは座椅子から少し体を起こした。何か言いかけて、やめて、アカリの膝の上の巻を見た。
畳んだとこの最後の一行、お前が今日いちばん言いたかったのは、それだろ。
うん。……あと、その近くでもう一個ある。
Ending and reveals終盤の展開(第二部・その2)Tap to open
アカリ「ペインとの戦いの途中で、ナルトは怒りで自分を見失いかける。そのとき、ナルトの中で止めてくれる人がいて、それが四代目火影の波風ミナト。ナルトのお父さん」
アカリ「ナルト、まずお父さんの腹を一発殴るの。それから泣きながら、一人でつらかったことと、いろんな人に会って強くなって、やっと認めてもらえるようになったことを話す」
アカリ「言いたいことより先に、体が出る。……それ、分かる」
アカリ「お母さんのうずまきクシナにも、あとで修行の中で会えて、ちゃんと愛されて生まれてきたって知る。夢がひとつ増える。お父さんよりかっこいい男で、お母さんより強い忍になるって」
アカリ「名前は、自来也が書いた小説の主人公からもらってる」
ソウマ「名前を書いた人が先に退場して、名前だけが残って走ってる。……構成として、ずるい」[1]
名前の話、俺はそっちで刺さった。……聞かなかったことに。
忘れない。メモしとく。
Ending and reveals結末(最終巻)Tap to open
アカリ「戦争の最後に、サスケが忍の世界を変える、革命を起こすって言いだす。ナルトはそれを止めに、昔ふたりが戦った終末の谷で、もう一回サスケとぶつかる」
アカリ「ナルトは右手をなくす。それでも最後は、ふたりで仲直りして、ふたりで戦争を終わらせる」
アカリ「サスケが旅に出るとき、ナルトは見送りに行って、サスケが里を抜けたときに置いていった額当てを返す」
アカリ「最初の話で額当てをもらった子が、最後の巻で、友だちに額当てを返すの。私、ここで正座した」
ソウマ「最初と最後に、同じ小道具。いちばん気持ちのいい置き方だ。誰が考えたんだ、あれ」
アカリ「最後の話で、ナルトは七代目の火影になってる。最初の話でいたずらばっかりして怒られてた子が、里のいちばん上に立ってるの」[1]
……結末、借りなくてよかった。
でしょ。結末だけ聞いたら、そこまでに何回落ちたかが全部抜ける。
お前のは、勧め方じゃなくて稽古だな。
アカリは段ボールのいちばん上から一冊抜いて、表紙をソウマのほうへ向けた。一巻だった。ソウマは受け取って、少しめくってから、黒いリュックの外ポケットに差した。
全部は運べない。
一冊ずつでいい。私もそうやってそろえた。次に帰ってきたら、二巻。感想は一行でいいから。