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6選の二本目は、ミュージカル『テニスの王子様』です。アニメで好きになった子たちが舞台に立っている、と雑誌の小さな記事で読んだのは、中学に上がったころ。でも、私の住む町から劇場までは、子どものお小遣いでは届かない距離でした。
お年玉と居間のパソコン
最初の一枚は、お年玉で買いました。家のテレビは居間に一台だけで、家族の前で観るのは少し恥ずかしかった。だから居間の隅の古いパソコンにディスクを入れて、ヘッドホンをつけた。幕が開く前の客席のざわめきが耳の中いっぱいに広がって、画面の向こうにも人が座っているんだと、そこで初めて知りました。Preference
ジャージ姿の人たちが出てきた瞬間、私は息を止めていました。アニメの絵とは顔が違う。背の高さも違う。なのに、立ち方と振り向き方が、知っている子のものでした。Preference
どんな舞台か
許斐剛さんの漫画『テニスの王子様』をもとにしたミュージカルで、ファンのあいだではテニミュと呼ばれています。演出は上島雪夫さん、音楽は佐橋俊彦さん、詞は三ツ矢雄二さんです。Fact[1]
出演する人たちは、ある期間を務めると「卒業」して次の人に代わります。シリーズそのものも、ひと区切りつくたびに新しい顔ぶれで最初の試合から作り直されてきました。Fact[1]
ボールの飛ばないラリー
舞台の上には、ボールが飛んでいません。打つ音と光の動き、役者さんの目線と足の運びだけで、ラリーが続いていく。最初は笑ってしまいました。でも何往復かするうちに、私の目は、ちゃんと見えないボールを追いかけていました。見えないものを、客席の全員で一緒に見ている。DVDの小さな画面越しでも、その空気ははっきり伝わってきました。Observation from the work
ディスクの中の拍手
DVDには、客席の音も入っています。笑いが起きるところ、息をのむところ、拍手が少し早く始まるところ。ヘッドホンの中で何度も聴いているうちに、私はその拍手の間合いまで覚えました。ずっとあとになって、初めて劇場の椅子に座った日、自分の手が、画面の向こうの人たちと同じところで動きはじめたのには驚きました。顔も知らない人たちと、拍手の練習を一緒にしていたようなものです。Preference
歌い終わりの肩
好きなのは、歌い終わった直後です。決めのポーズのまま、肩だけが大きく上下している。顔はキャラクターのままなのに、胸のところだけが生身の人に戻っている。中学生の私は、その数秒のために何度も巻き戻しました。人の呼吸を先に見てしまう癖は、あの居間で始まったのかもしれません。画面の中の人は気づいていない、こちらだけが知っている息。それを見つけるたびに、遠い劇場が少しだけ近くなりました。Preference
ジャージって、舞台だといちばん難しい衣装なんだよ。漫画の線のまま立って見えないといけないのに、汗をかいて走れて、跳んでも形が崩れない布じゃないといけない。Interpretation
だから私、走り終わったあとの裾ばかり見ていたんですね。あそこが崩れていないと、なぜか安心するので。
Esatto! 裾が崩れないのは、役者さんが走り方を衣装に合わせてくれてるからでもある。布と人、両方の仕事だね。Interpretation
布と人の両方。……客席からは、それが一つの線に見えるんですね。
画面の端に映る人
DVDは、カメラが選んだ人を映します。歌っている人、打っている人、台詞を言っている人。でも、何度も観ていると、画面の端にちらりと映る人のほうが気になってきました。ベンチで声を出している人、出番を終えて息を整えている人。真ん中にいない時間も、その人はずっと役のままそこにいる。いつか劇場に行ったら、カメラが映さなかった人を自分の目で見たい。中学生の私がいちばん強く願ったのは、それでした。Preference
役は手から手へ渡っていく
出演する人が入れ替わることを、最初はさみしいと思っていました。好きになった人が、ある日舞台からいなくなる。でも、新しい人が同じジャージで同じ最初の試合に立つのを観ているうちに、少しずつ見え方が変わりました。役は、人から人へ手渡されていく。渡す人も受け取る人も、舞台の上では同じ名前で呼ばれる。その受け渡しを、私はいまも祈るような気持ちで観ています。新しい人の最初の公演を観るときは、いつも少し緊張します。前の人と比べないように、と自分に言い聞かせて、最初の台詞を待つ。声が出た瞬間に肩の力が抜けたら、その人はもう、私の中でもその役です。Interpretation
試合の途中で歌うのが照れくさい人へ
試合の途中で歌いだす、と聞いて照れくさくなるのは、ふつうのことです。私も最初の一曲は、ヘッドホンの中で少し笑いました。入りやすかったのは、漫画やアニメで一度観た試合の公演から観ることでした。展開を知っている試合だと、歌の言葉より先に、役者さんの足と目線に気持ちが向いていきます。もう一つは、ヘッドホンで観ること。家族の物音が消えて、劇場のざわめきだけが残ると、照れくささより先に、客席の一人になれました。Preference
居間の隅から劇場の客席へ
アニメの『テニスの王子様』で好きになった子たちに、生身の体があることを教えてくれたのがこの舞台でした。大人になって、私は本当に劇場の椅子に座るようになり、舞台『刀剣乱舞』に通いはじめます。いまも休憩室で舞台の映像を数分だけ観る日がありますが、イヤホンを耳に入れるたびに、居間の隅のヘッドホンを思い出します。あのころの私に一つだけ伝えられるなら、居間の隅で観ていた時間は、ちゃんと客席の時間だった、と言いたいです。Preference
見えないボールを、客席と一緒に目で追う。歌い終わりの肩の上下に、役になった人の生身の息がある。