6選の三本目は『ヤマノススメ』。山に登る女の子たちのアニメだ。最初は照れくさかった。けど、装備の選び方も、歩く速さも、ちゃんとしている。山を好きになるのに、高い山はいらない。そう思わせてくれた一本の話をする。中身は最初の山を決めるあたりまでにしておく。
後輩の勧めで観た朝
署の若い後輩が、休憩室で声をかけてきた。「トウゴさん、山の話ならこれです。一話が短いんで、休憩でも観られますよ」。女の子ばかりの絵を見て、正直、尻込みした。三十を過ぎた男が、湯のみを持って観るものなのか。けど、後輩の勧めを断る理由もない。走って帰った朝に再生したら、一話はあっという間に終わった。気づくと、次の話を押していた。喜好
原作はしろさんの漫画だ。主人公のあおいは、家の中で過ごすのが好きで、高い所が苦手な女の子。山が好きな幼なじみのひなたと再会して、小さいころ二人で山の上から見た朝日を、もう一度見るために山に登り始める。事實[1]
舞台は埼玉の飯能だ。事實[1]
テントの中の夕日
山に誘われて渋っていたあおいは、ひなたの家でテントに入る。そこから見た夕日が、二人で見た昔の朝日の記憶を呼び戻す。事實[1]
この流れが好きだ。山の話なのに、最初に出てくるのは山じゃなくて、友だちの家で張るテントだ。テントは、山の上の家だと俺は思っている。入口を閉めると、外の風の音が一枚向こうに遠のく。あの小さな安心を先に知っておくと、山はぐっと近くなる。俺も子どものころ、冬は兄貴たちと雪で穴を掘って、その中で夕方まで過ごした。テントの場面を観て、あの穴の中の青い光を思い出した。喜好
高くない山ならいい
あおいが山に行くのを承知するときの条件は、高くない山ならいい、だった。最初に登るのは、近所の天覧山だ。事實[1]
俺はここで、このアニメを信用した。山を嫌がっている人を、いきなり高い所へ連れていかない。低い山で、登って、景色を見て、降りてくる。それで一回分の山になる。山岳部の一年目の春、俺も最初は裏山みたいな低い山を何度も歩かされた。あのころは物足りなかったが、いまなら分かる。山を好きになるのは、最初の何回かで決まる。登って、景色を見て、無事に降りてきた、という手応えが一回あれば、人は次の山を自分で探し始める。あおいたちが次の山の計画を立て始めるのを見て、ああ、もう大丈夫だな、と思った。喜好
ザック選びに一話かける
次の山に向けて、あおいが山の道具の店でザックを選ぶ話がある。第1期には、題名がそのまま「デイパック、どれにする?」という回まである。事實[1]
ザックひとつに一話かける。そこがいい。背負う物が合っていないと、体は正直に音を上げる。肩ひもの幅、背中の長さ、荷物の量。店の棚の前で迷うのは、山の準備のなかでいちばん楽しい時間だと俺は思っている。あおいが迷っているあいだ、俺は画面の棚の品ぞろえを端から目で追っていた。喜好
トウゴさん、画面の棚の品物、全部見たんですか。
見た。ハヤテもヘルメット選ぶとき、店で長いだろ。あれと同じだ。喜好
……はい。かぶる物と背負う物は、体に合わないと、あとで首にきます。喜好
いいな、それ! そういうのを分かってるやつと山に行きたいんだ。喜好
降りるまでが登山
第1期には「降りるまでが登山!?」という題の回もある。この題を見たとき、思わず声が出た。うちの隊で言っている言葉と、形がそっくりだったからだ。事實[2]
登りは、みんな張り切る。危ないのは帰りだ。脚が疲れて、気持ちがゆるんで、足もとを見なくなる。山の事故も、救助の現場の怪我も、帰り道に多い気がする。山の入口のアニメが、そこをちゃんと題にしている。山を知っている人が作っているんだな、と思った。解讀
天覧山を歩き直した
観終わった月の非番に、飯能まで行って天覧山に登った。最初はいつもの癖で、走るみたいに登ってしまった。すぐに頂上に着いて、なんだか損をした気がした。それで一度降りて、今度はあおいの速さを思い浮かべながら、ゆっくり歩き直した。話ができるくらいの息で、一歩を小さく。二回目のほうが、景色が長く見えた。頂上のベンチで水を一口飲んで、今度は誰かを連れてこよう、と思った。低い山は、人を誘うのにちょうどいい。喜好
翌朝の走り込みで、ハヤテにその話をした。坂でペースを落とすと、あいつは「遅くないですか」と言いたそうな顔をする。俺は、しゃべれる速さで登れ、とだけ言った。山でも、救助でも、最後まで脚を残しておいたほうが、全員で帰ってこられる。喜好
女の子のアニメが照れくさい人へ
俺と同じで、絵を見て尻込みする人もいると思う。俺は、一話が短いのに助けられた。麦茶が冷める前に一話が終わる。それを何回か繰り返しているうちに、照れくささより、次はどこを歩くのか、のほうが気になっていた。道具の話が好きな人は、店の場面から入ると楽だった。山に行かない日でも、観終わると靴ひもを結び直したくなる。喜好
低い山から高い山へ
6選の六本目の『神々の山嶺』は、冬のエベレストに、一人で挑もうとする男の映画だ。『ヤマノススメ』とは、山の高さも、登る人の数も、まるで違う。けど、どっちも、山の前で人がどう準備するかをきちんと描く。低い山の一歩と、高い山の一歩は、同じ一歩だ。俺はその二本を、同じ棚に並べている。喜好
山を好きになるのに、高い山はいらない。低い山を、話ができる息で、降りるところまで歩く。それで十分に一回分の山になる。