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二周目

『魔女の宅急便』二周目は台所から観る

子どものころは空を飛ぶ場面ばかり巻き戻していた。大人になって観直すと、目が止まるのはパン屋の朝、オーブンの前、焼きあがったケーキ。二周目は、誰が誰のために食べものを用意しているかを追いかけてみる。

本文含有直到結局的劇透

範圍映画『魔女の宅急便』(1989年)の結末まで(畳んだ部分のみ。原作小説の続巻には触れません)

這是寫給看完作品、想在二周目看得更有趣的人的文章。中段展開與結局、真相的細節都折疊起來,點擊才會顯示。

適合這樣的人
『魔女の宅急便』を何度も観てきた人へ。次に観るときは、空を飛ぶ場面ではなく、誰が誰のために食べものを用意しているかを追ってみませんか。
劇透範圍
會提及結局 映画『魔女の宅急便』(1989年)の結末まで(畳んだ部分のみ。原作小説の続巻には触れません)
發言的人
Nagi × Haru × Ren
主張的種類: 事實 作品中的觀察 有依據的推測 解讀 喜好
目錄 共 13 節·約 16 分鐘
  1. まずは作品のこと
  2. 一周目の私は空ばかり見ていた
  3. パン屋の朝は誰のためにあるのか
  4. 届ける仕事は食べものから始まる
  5. 最初の配達で守られたもの
  6. ジジの声に耳をすます
  7. 空を飛びたい男の子
  8. もう一つの安心できる場所
  9. 旅立ちの夜に持たされたもの
  10. クライマックスの少し前
  11. 雨と晴れで気分が変わる
  12. 始まりと終わりを並べる
  13. 二周目の観方メモ

好きな場面だけを何度も巻き戻していた子どものころから数えると、この映画を観た回数は、もうよくわかりません。今回は、一度最後まで観たことがある人に向けて、二周目の、いえ何周目かの話をします。まだ観ていない人は、ここで閉じてくださいね。物語の後半や結末に触れるところは、クリックしないと読めない箱に入れてあります。箱の外では、展開は書きません。

まずは作品のこと

スタジオジブリの作品で、原作は角野栄子さん。プロデューサー・脚本・監督を宮﨑駿さんが務め、音楽は久石譲さん、音楽演出は高畑勲さん、主題歌は荒井由実さんです。事實[1]

公開日は1989年7月29日、上映時間は約102分。配給は東映です。事實[2]

約102分。一話ずつ区切れるアニメが好きな私にとって、映画一本はちょっと長く感じる日もあります。でもこの映画は、場面ごとに区切って観ても、ちゃんとそれぞれに味がある。だから私は、何周目かのときは、一日一場面ずつ観る日もあります。今回の話は、そういう観方の延長だと思って読んでください。喜好

一周目の私は空ばかり見ていた

子どものころの私は、キキがほうきで空へ上がっていく場面と、海の見える町に初めて降り立つ場面ばかり観ていました。パン屋の場面になると台所へ行って、同じパンが食べたいとねだった。いま思えば、そのころからもう、私の目はパンのほうにも向いていたんですけどね。喜好

大人になって観直したとき、気になる場面ががらりと変わっていました。空じゃなくて、台所。飛ぶ場面じゃなくて、焼く場面。この映画には、食べものを用意する場面が驚くほどたくさんあります。そして、それを誰が誰のために用意しているのかを追っていくと、物語がまったく違う線で見えてくるんです。今回はその線の話をします。解讀

Haru

台所から観る『魔女の宅急便』、すごくナギっぽい。僕は何回観ても、最初の旅立ちで泣きそうになるけど。

Nagi

ハルはそれでいいと思う。旅立ちがあるから、台所が効くんだよ。知らない町で最初に食べるものって、特別でしょ。解讀

パン屋の朝は誰のためにあるのか

キキが暮らすことになるのは、パン屋さんです。原作の小説では、このお店はコリコの町にある「グーチョキパン屋」で、おかみさんはおソノさん。福音館書店から出ている特別編には、おソノさんの幼いころから青春時代、そしてキキとの出会いまでを描いた話も収められています。事實[3]

映画のおソノさんは、さっぱりしていて、よけいなことを聞かない人です。泊まるところのない女の子に、部屋を貸す。朝ごはんを出す。仕事を手伝わせる。そのどれも、恩を着せる感じがまったくない。二周目、私が一番好きになったのは、この「よけいなことを聞かない」優しさでした。解讀

私の研究テーマは「人物が安心できる場所のつくられ方」です。この映画で、キキの安心できる場所は、空ではなく、パン屋の二階でした。粉の袋が積まれた部屋を掃除して、窓を開けて、ベッドを整える。一周目、私はこの場面を「引っ越しの場面」として観ていた。二周目は、ここでキキが「ここにいていい」という感覚を、手を動かしながら少しずつ自分のものにしているのがわかります。安心は、誰かにもらうものでもあるけれど、自分の手でつくるものでもある。解讀

それからもう一つ。二周目には、おソノさんのお腹が大きいことに気づく人も多いと思います。一周目の私は、まったく気にしていませんでした。でも、それに気づくと、キキを迎え入れるおソノさん自身も、もうすぐ誰かを迎え入れる人だったんだ、と思えてくる。作品中的觀察

届ける仕事は食べものから始まる

キキが始めるのは、ほうきで荷物を届ける仕事です。二周目に観ると、彼女が届けるものと、彼女が受け取るものが、ずっと対になっているのがわかります。誰かの大事なものを、誰かのところへ運ぶ。その途中で、彼女自身も何かを受け取っている。解讀

なかでも私が何周しても観てしまうのは、ある仕事先の台所の場面です。中身は畳みます。喜好

中段為止中盤の展開點擊展開

なかでも私が何周しても観てしまうのは、老婦人のお屋敷の場面です。電気のオーブンが動かなくなって、昔ながらの薪のオーブンでパイを焼く。キキはそれを手伝う。老婦人と、お手伝いのバーサさんと、キキの三人が、台所で火の具合を見ている。一周目は、仕事の途中のハプニングとして観ていました。二周目は、この映画で一番あたたかい台所の場面だと思っています。作品中的觀察

誰かのために料理を作る人がいる。その料理を、別の誰かのところへ運ぶ人がいる。そして、それを受け取る人がいる。料理には、作る人と運ぶ人と食べる人の、三つの手が関わっている。キキの仕事は、その真ん中の手です。二周目の私は、ずっとその真ん中に立っている彼女を見ていました。解讀

中段為止中盤の展開(続き)點擊展開

雨の中、ずぶぬれになって届けたパイを受け取った孫娘は、このパイは好きじゃない、という顔をして、そっけなく扉を閉めます。一周目、私はキキと一緒にがっかりしました。せっかく焼いたのに、と。二周目は、少し違う場所で胸が痛みます。あのパイを焼いた老婦人は、それが孫に喜ばれないかもしれないことを、たぶん知っていたんじゃないか。それでも毎年焼いて、届けてもらう。喜ばれなくても、届ける。そこには、相手の反応とは関係のない、焼く人の気持ちだけがある。そしてキキはこのあと熱を出して寝こみ、行くはずだった約束にも行けなくなる。寝こんだ彼女のところへ、おソノさんが食べものを持ってきてくれる。届ける側だったキキが、ここで初めて、届けてもらう側になります。一周目の私は、雨の日の悲しい出来事として通りすぎていた。二周目は、ここが映画の向きが変わる場所だと思っています。

最初の配達で守られたもの

キキの最初の仕事は、子どもの誕生日に贈りものを届けることでした。一周目の私は、この配達を、キキの初仕事のどたばたとして笑って観ていました。二周目は、贈りものという「気持ちの詰まった荷物」を運ぶことの重さが、最初の仕事からもう描かれていたことに気づきます。作品中的觀察

中段為止前半の展開點擊展開

届けるはずの黒猫のぬいぐるみを、キキは途中の森で落としてしまいます。探しに行くあいだ、代わりにぬいぐるみのふりをして届け先の家に入るのがジジでした。じっと動かずに、大きな犬の横で耐えるジジ。一周目、私はここで笑い転げていました。二周目は、少し胸が熱くなります。キキの初仕事を守ったのは、キキ自身じゃなく、文句を言いながらついてきた相棒だった。そして落としたぬいぐるみを見つけてくれたのは、森の小屋の人。この最初の配達で、キキはもう、のちに自分を支えてくれる人たちに出会っている。届ける仕事は、最初から一人ではできない仕事として描かれていたんだと思います。

ジジの声に耳をすます

黒猫のジジは、キキの相棒です。一周目、私はジジを「しゃべる猫のかわいいマスコット」として観ていました。ちょっと皮肉屋で、心配性で、キキに文句を言いながらもついていく。作品中的觀察

二周目は、ジジの台詞が、キキの心の声のように聞こえてきます。キキが言えない不安を、ジジが代わりに言っている。キキが強がるとき、ジジは弱音を吐く。二人で一人分の気持ちを分け合っているみたいに。だから二周目は、ジジが何を言っているかだけでなく、ジジがどれくらいしゃべっているかにも、注意してみてほしいんです。解讀

Ren

ジジの台詞、二周目は数えながら観ると面白いよ。どの場面でどれだけしゃべってるかが、そのまま物語の情報になってる。作品中的觀察

Nagi

レンに言われて数えかけたんだけど、途中でジジがかわいくて、どうでもよくなっちゃった。

Ren

それはそれで、正しい二周目だと思う。

中段為止中盤の展開點擊展開

ある日、キキにはジジの言葉がわからなくなります。ジジは「ニャー」としか鳴かない。そして同じころ、キキは空を飛ぶ力も弱まっていく。ほうきで飛ぼうとしても、うまく浮かべない。一周目、私はこれを「魔法が使えなくなる怖い出来事」として観ていました。二周目は、こんなふうに受け取っています。ジジの声は、キキが自分に話しかける声でもあった。自分の気持ちがわからなくなったとき、自分に話しかける声も聞こえなくなる。飛べないことと、ジジの声が聞こえないことは、同じ一つの不調の、二つの表れなんだと思います。そして、その不調を、映画は特別な事件として大げさに描かない。うまくいかない日が続く。仕事を休む。部屋にこもる。私が「調子の良くない時期にも隣に置きたい」と言ってきたのは、たぶんこの描き方のせいです。不調には、はっきりした原因も、すぐ効く治し方もない。それでも暮らしは続いていく。

空を飛びたい男の子

町でキキに声をかけてくる男の子、トンボは、空を飛ぶことに夢中です。自転車にプロペラをつけて走り回り、魔女のキキに興味しんしん。一周目の私は、正直に言うと、少しなれなれしい子だなと思っていました。作品中的觀察

Haru

僕はトンボ、大好きなんだ。飛べないのに飛ぼうとしてるところ。キキが生まれつき持ってるものを、トンボは手づくりで手に入れようとしてる。喜好

Nagi

そう言われると、二周目のトンボはちょっと違って見えるね。飛べる人と、飛びたい人。キキがトンボにいらいらするのって、自分が当たり前に持ってるものを、まぶしそうに見られるからかもしれない。解讀

中段為止中盤の展開點擊展開

キキはトンボのプロペラ自転車の後ろに乗って、浜辺に来ている飛行船を見に行きます。坂を下って、海沿いを走って、ちょっとした事故を起こして、二人で笑う。この映画の中で、キキがいちばん年相応に笑っている場面かもしれません。けれど、そこへトンボの友だちが車でやってきて、キキは急に心を閉ざし、一人で帰ってしまう。一周目の私は、キキの態度がよくわからなかった。二周目は、その気持ちがわかりすぎて、少し苦しいくらいです。働いている自分と、遊んでいる同い年の子たち。知らない町で、自分だけが違う場所に立っているような気がする。そしてこのあと、キキの不調が始まります。楽しかった午後と、その直後の落ちこみが、ほとんどつながって置かれている。二周目に観ると、この並べ方がとても正直だと思えます。いい日のすぐあとに、だめな日が来ることもある。

もう一つの安心できる場所

物語の後半、もう一つ、安心できる場所が現れます。どこなのかは畳みます。作品中的觀察

中段為止中盤の展開(物語の後半の入口)點擊展開

物語の後半、もう一つ、安心できる場所が現れます。森の中の小屋で絵を描いている、年上の女の人の住まいです。最初の配達の途中に出会った人の小屋に、キキは泊まりに行く。

この小屋の場面が、私は大人になってから大好きになりました。何かを教わるというより、ただ一緒にごはんを食べて、夜に話をして、眠る。年の近い先輩の部屋に泊まりに行ったときの、あの少し背伸びした安心感。パン屋の部屋が「暮らしの安心」なら、森の小屋は「休むための安心」だと思います。二周目は、この小屋の中の灯りと、窓の外の暗さの対比を、ぜひ観てほしい。

そこで交わされる話は、飛ぶことと絵を描くことの話です。描けなくなるときがある、という話。一周目の私には、その意味が半分もわかりませんでした。働き始めてから観直して、ようやく少しわかった気がします。好きで始めたことが、仕事になったとたん、うまくできなくなる日がある。それは、好きじゃなくなったからじゃない。解讀

Haru

あの場面、僕は一周目、ちょっと退屈だと思ってた。早く次に進んでほしくて。

Nagi

わかる。でも、あそこで休む時間があるから、そのあとが効くんだと思う。解讀

Haru

……そうだね。一歩の前に、一回止まる時間が必要なんだ。ナギに前に言われたこと、ここにも描いてあった。解讀

旅立ちの夜に持たされたもの

旅立ちの夜、キキは自分で用意したほうきではなく、お母さんが使ってきたほうきを持って出かけます。一周目の私は、この場面を、親子のちょっとしたやりとりとして観ていました。新しいものを使いたい娘と、使い慣れたものを持たせたい母。どこの家にもありそうな場面です。作品中的觀察

二周目は、このほうきを、意識して目で追ってみてほしいんです。キキの暮らしのいちばん近くにある道具が、どこで、どんなふうに使われているのか。私はこのほうきを、母からキキへの、まだ封を切っていない手紙みたいだと思いながら観ていました。解讀

Haru

一周目、ほうきのことなんて全然気にしてなかった。乗り物だと思ってたから。

Nagi

私も最初はそう。でも二周目は、ほうきが一番の生活道具に見えてくるよ。掃除にも使うし、飛ぶのにも使う。暮らしと仕事が、一本の柄でつながってる。解讀

結局·真相結末まで點擊展開

キキのほうきは、やがて折れてしまいます。お母さんから受け取ったほうきが、キキの手の中で壊れる。一周目、私はこの場面がとても怖かった。二周目は、怖さと一緒に、少しほっとするものも感じます。持たされたものに頼って飛ぶ時間が、ここで終わる。クライマックスでキキが手にするのは、町の人に借りたデッキブラシでした。母の道具から、町の道具へ。そしてエンドロールの小さな絵の中には、キキの真似をする町の小さな女の子の姿もあります。キキが母からもらったものを、今度はキキが、知らないうちに町の誰かに手渡している。私の目には、それが一番うれしい「届けもの」に見えました。

クライマックスの少し前

二周目、私がこの映画で一番泣いてしまうのは、クライマックスではありません。その少し前の、ある場面です。中身は畳みます。喜好

結局·真相終盤の展開點擊展開

パイを届けた老婦人のお屋敷から、キキに配達の依頼が入ります。行ってみると、届けてほしい荷物は、キキ自身へのケーキでした。老婦人とバーサさんが、キキのために焼いたケーキ。一周目の私は、ここを「優しいおばあさんのいい話」として観ていました。二周目は、この場面が、映画の前半の雨の日のパイと対になっていることがはっきりわかります。孫に喜ばれなかったパイを焼いた人が、今度は、確実に喜んでくれる人のために焼く。届ける側だったキキが、届けられる側に回る。そして、作る人と運ぶ人と食べる人の三つの手が、ここで一つの輪になる。私の研究テーマのもう一つは「一話で気分が変わる小さな演出」ですが、この映画でそれに当たるのは、間違いなくこのケーキの場面です。大きな事件は何も起きていない。でも、ここでキキの気持ちの向きが変わる。このあとのクライマックスで彼女がもう一度飛べたのは、空の上の勇気のためだけじゃなく、この台所から届いたもののせいもあったと、私は思っています。

結局·真相クライマックスと結末點擊展開

町の上空で起きた飛行船の事故で、トンボが宙づりになる。テレビでそれを見たキキは駆け出し、通りを掃除していたおじさんにデッキブラシを借りて、それで空へ上がります。自分のほうきではなく、借りたブラシ。一周目、私はそのはらはらする飛び方に手に汗を握っていました。二周目は、あのブラシが、町の誰かの日々の仕事の道具だったことに目が行きます。毎日町をきれいにしている人の道具で、キキは町の人を助けに飛ぶ。届ける仕事をしてきた彼女が、最後には、町の暮らしそのものに支えられて飛んでいる。そして結末。キキは、ふるさとの両親に手紙を書きます。落ちこんだりもしたけれど、元気でいる、と。ジジは、最後まで「ニャー」と鳴くだけです。キキがもう一度ジジの言葉を取り戻す場面は、描かれません。一周目の私は、そこが少し寂しかった。二周目は、その寂しさごと、この映画が好きです。失ったものが全部戻るわけじゃない。それでも暮らしは続いていくし、人はまた飛べる。ジジにはジジの新しい暮らしがあって、エンドロールの小さな絵の中で、それぞれの人がそれぞれの場所で暮らしている。おソノさんのところにも、新しい家族が加わっています。届ける人、迎える人、焼く人、食べる人。最後の数分は、この映画に出てきたすべての台所への、静かなお礼のように見えました。

雨と晴れで気分が変わる

私の研究テーマのもう一つ、「一話で気分が変わる小さな演出」を、この映画では天気で追いかけることができます。最初の夜にラジオで天気予報を聞くところから、この映画はずっと、空の具合と一緒に進んでいる。作品中的觀察

二周目に天気を気にして観ると、晴れの日と雨の日で、キキの表情も、町の色も、音も変わっていくのがわかります。うまくいく日は空が広く、うまくいかない日は空が低い。でも、それが単純な「晴れ=幸せ、雨=不幸」になっていないところが、私は好きです。雨の日にも台所の灯りはあたたかいし、晴れた日にも胸がもやもやすることはある。天気と気持ちが、ぴったり重なったり、少しずれたりしながら進んでいく。そのずれ方が、暮らしの手ざわりに近いんです。解讀

Ren

天気で場面を区切ってノートを作ったら、気分の地図ができそうだね。僕はやらないけど、ナギがやったら見せてほしい。

Nagi

やらないよ。でも、次に観るとき、雨の場面でお茶をいれるくらいはするかも。喜好

始まりと終わりを並べる

二周目に観ると、映画の始まりと終わりが、きれいに向かい合っていることにも気づきます。始まりは、ふるさとの家。旅立ちの夜、ラジオから流れる天気予報を聞いて、今夜出発すると決める。終わりがどう向かい合うかは畳みます。作品中的觀察

結局·真相結末點擊展開

終わりは、ふるさとの家に宛てた手紙。出ていくところで始まって、帰らずに、便りを送るところで終わる。最初は物理的に離れていく。最後は手紙という形で、離れたまま、つながっている。作品中的觀察

Ren

構造で言うと、最初と最後でふるさととの距離の測り方が変わってるんだよね。解讀

Nagi

うん。それと、最初の夜、お母さんがキキの旅立ちの支度をしてるでしょ。最後の場面は、その支度へのお返事なんだと思う。解讀

Ren

……そっか、僕は最後を「報告」として読んでた。「お返事」だと思うと、最初の夜の場面が、まるごと最後の場面の前半に見えてくる。

原作の小説は、福音館書店から全6冊で刊行され、キキが少女から母になるまでが描かれています。映画が描いたのは、そのうちのほんの最初の時間です。事實[4]

それを知って観直すと、この映画の結末は「終わり」ではなく、長い暮らしの、最初の一年の途中にすぎないことがわかります。焼かれるパンも、届けられる荷物も、これからまだたくさんある。その「続いていく感じ」が、私にはとてもうれしいんです。解讀

二周目の観方メモ

最後に、私の観方を三つだけ置いておきます。一つめ、食べものが出てきたら、それを誰が作って、誰が運んで、誰が食べるのかを見る。二つめ、ジジがどれくらいしゃべっているかを、なんとなく気にしておく。三つめ、キキが部屋を整える場面、灯りをつける場面、窓を開ける場面を、空を飛ぶ場面と同じくらい大事に観る。喜好

それから、全部を一度に観なくても大丈夫です。今日は台所の場面だけ、今日はジジの場面だけ。そんなふうに区切って観ても、この映画はちゃんと応えてくれます。元気のない日は、パン屋の朝の場面だけでもいい。私はそれで、何度も朝を迎え直してきました。喜好

二周目は空ではなく台所を見る。食べものが出てきたら、誰が作って、誰が運んで、誰が食べるのかを追ってみる。

本文中的作品

講述者 Nagi 今天只看一集也沒關係 閱讀更多 Nagi 的文章 →

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