朝稽古が終わった道場の縁側。旅から戻ったばかりのノアが、土産の本を一冊抱えて顔を出しました。竜山は話を聞く前に、まず茶を出します。今日の交換は、土産話ではなく一本の映画の話。行き先を決めずに出かける二人が、いくつもの国を渡ってできた映画の地図を広げました。
ジブリが初めて外の国と組んだ
今回はどこへ行っとった。……いや、先に茶じゃ。熱いから気をつけえ。
いただきます。今日は旅の話じゃなくて、映画の話を持ってきました。竜山さん、島の映画はお好きですか。
島か。ええのう。俺は島と聞くだけで、もう船に乗りたくなる。喜好
『レッドタートル ある島の物語』は2016年の公開。日本とフランス、ベルギーが組んで作ったアニメ映画です。マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットさんが監督を務めました。生まれはオランダで、アニメーション作家として活動してきた人です。ジブリが国外の会社と一緒に作品を作ったのは、これが初めてでした。アニメーションの制作は、フランスの会社であるプリマ・リネア・プロダクションズが受け持ちました。事實[1]
ジブリが外の国と組んだのは、これが初めてか。それは知らなんだ。
私も、調べるまで知りませんでした。だから今日は、この映画が通ってきた国を、手帳の地図に書いてきたんです。喜好
手帳の地図に国が増えていく
ドゥ・ヴィットさんは1953年、オランダに生まれました。エッチングを学んだのはスイスのジュネーヴで、そのあとイギリスへ渡り、アニメーションを学んでいます。拠点は今もおもにイギリス。手がけてきたのは短編アニメーションが中心です。2000年の短編『岸辺のふたり』も、この人の作品です。事實[2]
オランダで生まれて、スイスでエッチングを学んで、イギリスで暮らす人。ここまでで、もう三つの国です。
俺の旅より、よほど遠回りじゃのう。ははは。
「ドゥ・ヴィットさんに会わせてほしい」。そう頼んだのは宮崎駿さんでした。マラヴァルさんがジブリ本社を訪ねて、『岸辺のふたり』を紹介したときのことです。この映画の企画が始まったのは2006年。のちに鈴木敏夫さんが正式な依頼を出しましたが、当のドゥ・ヴィットさんは、はじめはあまり気が進まなかったそうです。気持ちが変わったのは、ジブリも製作に加わると聞いてからでした。事實[1]
本格的な製作はフランスで進みました。ただ、その手前の段階は日本です。シナリオと絵コンテは、ドゥ・ヴィットさんがしばらく東京都小金井市、スタジオジブリ本社のある町に住んで仕上げたもの。高畑勲さんたちが目を通したのも、この段階でした。事實[1]
絵コンテは日本で描いて、絵を動かすのはフランス。作った国は日本とフランスとベルギー。私の地図だと、線が行ったり来たりして、ほとんど旅程表です。解讀
一つ所に腰を据えて描いて、描き上げたら次の土地へ移る。旅の仕方としては、俺は好きじゃな。喜好
私は同じ席に座り続けるほうなので、少しうらやましいです。……違うところを一行、手帳に書いておきますね。喜好
名前も台詞もない島
セリフは、始まりから終わりまで一つもありません。ジブリの長編でそうなったのは、これが初めてです。叫ぶ声や息の音は入っています。人物たちには、名前さえ明かされていません。事實[1]
台詞がないなら、字幕を追わんで済む。年寄りの目にはありがたい話じゃ。ははは。喜好
私の仕事は、言葉と言葉の間に立つことなんです。だから、少しどきっとしました。訳す言葉がひとつもない。どの国の人にも、同じ形のまま渡せる映画なのかもしれません。解讀
言葉がない分、どこの国の話でもなくなる、ということか。解讀
そうも思いました。ただ、同じ画面を見ても、受け取るものは国や人で違うはずです。そこは「同じだね」と丸めないでおきたいんです。解讀
舞台は、人のいない島です。ウミガメやカニ、鳥たちは暮らしていますが、それ以外にはこれといって何もありません。そこへ一人の男が流れ着きます。嵐の海に投げ出され、小舟にしがみついて命をつないだ末のことでした。事實[1]
流れ着いた島か。旅に出る者が、いちばん見たくて、いちばん見たくない景色じゃのう。解讀
竜山さんなら、着いたらまず何をしますか。
まず体操じゃ。体が動けば、策はあとから浮かぶ。喜好
ふふ。竜山さんらしいです。
それから、先に住んどる者への挨拶じゃな。ウミガメにもカニにも鳥にも、礼が先、ほかはあとじゃ。喜好
旅先の町でも、竜山さんはいつもそうですよね。私は先に本屋さんを探してしまうので、見習います。
初めての人への入口
入口は、地図を一枚用意すること。オランダ、スイス、イギリス、日本、フランス、ベルギー。作った人たちが通った国に印をつけてから観ると、言葉のない画面の向こうに、たくさんの人の手が見える気がします。喜好
それから、台詞がないぶん、耳が空きます。私は、音を少し大きめにして観るつもりです。喜好
今度の旅の宿で観てみるかのう。島の宿なら、なお具合がええ。喜好
観たら、次の土産話はその映画にしてください。私は次の旅で、オランダの本屋さんに寄ってみます。喜好
乗った。どっちの土産が重いか、勝負じゃ。
『レッドタートル ある島の物語』は、スタジオジブリが初めて国外と共同で製作した映画。監督は日本で絵コンテを仕上げ、フランスで絵を動かしました。