100年前のアニメーションが、今もスクリーンで観られる。イロハがその不思議を口にすると、ガクは「残っているのは偶然じゃなくて、残す仕組みがあるからだよ」と、国立映画アーカイブの公式サイトを開きました。
100年前の動く絵が、まだ観られるんですか? ふるさとの幻術は、使い手がいなくなると消えてしまいます。
旧日活本社ビルから
国立映画アーカイブの公式サイトによれば、出発点は1952年。国立近代美術館に、映画事業のフィルム・ライブラリーが置かれたことでした。独立行政法人国立美術館で6番目の館として設立されたのは、2018年のことです。事實[1]
施設の紹介のページには、このフィルム・ライブラリーが、旧日活本社ビルを改装して1952年に誕生したと書かれています。事實[2]
映画会社のビルだった場所から、映画を守る場所が始まったんだ。建物の記憶ごと受け継いでいる感じがする。解讀
1984年の火事
歴史のページの1984年の項によると、9月3日にフィルムセンターの5階で火が出て、建物の一部が焼けました。外国映画のフィルムも、320作品分が焼けて失われています。その同じ月には「フィルムセンター焼失フィルムのための募金の会」ができました。事實[3]
翌1985年には、この募金の会から寄贈された外国映画65作品の中から選んだ作品の上映が行われています。事實[4]
失ったものを、寄付で一本ずつ取り戻そうとした人たちがいた。制度というと冷たく聞こえるけど、こういう記録を読むと、仕組みを支えているのは結局、名前を持った一人ひとりなんだと思う。解讀
相模原の保存庫と「酸っぱい」劣化
フィルムセンター相模原分館の竣工は1986年1月31日です。歴史のページを見ると、2000年3月30日には、改築を終えたこの分館のフィルム保存庫に「ビネガー・シンドローム専用室」が完成しています。事實[5]
ビネガー、つまりお酢。名前のとおりの劣化だとしたら、フィルムが酸っぱくなるってことなのかな。
名前からはそう想像したくなるね。ただ、どういう現象なのかは、このページには説明がない。だから僕からは、そういう名前の専用の部屋がわざわざ作られた、ということだけ伝えておくよ。作品中的觀察
海の向こうから帰ってきた映画
ロシアのゴスフィルモフォンドでは、戦前の日本映画が見つかっていました。その収蔵が始まったのも同じ2000年3月で、347本が平成16年度までに日本に「里帰り」した、と記されています。事實[6]
遠い国で眠っていたフィルムが戻ってきて、また光を通される。私はその光景を想像するだけで、映写機の音が聞こえる気がする。喜好
王立書庫を思い出します。 大事な本を、鍵のかかる部屋にしまっておく場所です。
近いけど、ここが違って。しまっておくだけじゃなくて、焼けたフィルムのための募金や、遠い国からの里帰りまで記録に出てくる。守り方そのものが、ずっと動いているんだ。解讀
四角の中の四角
国立映画アーカイブのシンボルマークが表しているのは、光を投げかけることと受けとることの、双方向の運動です。形の説明もあって、スタンダードサイズを写したのがマークの内側の四角、ヨーロッパ・ビスタに近い比率なのが外側の形です。事實[7]
画面の縦横の比率が、そのままマークになってるんだ。映画の「窓の形」を大事にしている館らしいね。解讀
館が所蔵している日本の初期のアニメーション映画は、国立映画アーカイブが運営する「日本アニメーション映画クラシックス」というウェブサイトで公開されています。事實[8]
マークの四角が、画面の窓の形だなんて。シオルも次に動く絵を観るときは、窓の形から見てみます。
国立映画アーカイブの前身は、旧日活本社ビルを改装して1952年に生まれた。1984年の火事でフィルムを失い、募金の会から外国映画の寄贈を受けた歴史もある。