ナギの部屋での夕食のあと。洗い物を手伝おうとしてナギに止められたルカが、ぽつりとこぼしました。昔お世話になった人にお礼の手紙を書きたいのに、三日かけて、まだ一行目が決まらない。ミコはグラスを置いて、「じゃあ、手紙の映画の話をする」と言いました。
電話帳から選んだ相手
失礼のない書き出しを考えているうちに、日が暮れてしまうのです。拝啓のあとに何を置けばよいのか。
三日で一行目なら、まだ速いほう。……手紙で始まる映画、知ってる?
『メアリー & マックス』(Mary and Max)は、アダム・エリオットさんが監督と脚本を手がけた、オーストラリア製のクレイアニメ映画で、2009年の作品です。初上映は2009年のサンダンス映画祭で、オープニング作品としてでした。受賞歴には、アヌシー国際アニメーション映画祭の最優秀長編作品があります。この年は『コララインとボタンの魔女 3D』も同じ賞に選ばれました。事實[1]
8歳のメアリー・デイジー・ディンクルが、ニューヨークのマックス・ジェリー・ホロウィッツに一通の手紙を書く。それが二人の出会いです。メアリーはメルボルンの貧しい家の子、マックスはひとりぼっちの中年男性でした。事實[1]
メアリーが手紙の相手を見つけたのは、ニューヨークの電話帳のなかでした。アメリカの人ってどんな人だろう、と気になっていたところに、母親と出かけた郵便局で電話帳が目にとまったのです。名前はでたらめに選んだマックス。手紙には、自分のことを書きました。本作は、エリオットさんにとって初めての長編アニメーション映画です。事實[2]
電話帳から、でたらめに一人。……それ、いちばん筋のいい選び方だと思う。顔も肩書きも知らない相手には、見栄の張りようがないから。解讀
見知らぬ方に、いきなり手紙を。私には、とてもできそうにありません。返事が来なかったらと思うと。喜好
来なくても、出した側の一通は残る。解讀
メアリーは8歳。私が8歳のころは、手紙なんて書けなかった。家族の前で、好きなキャラの口ぐせをまねして、いちばん受けた声を覚えてただけ。喜好
二十年以上のペンフレンド
マックスには、ヒントになった人がいます。エリオットさんのペンフレンドで、ニューヨークの人。二人は20年以上、文通を交わしていました。2009年のインタビューで、エリオットさん自身がそう話していました。映画の冒頭のクレジットにも、実話にもとづく作品だと出てきます。事實[1]
二十年以上……。それほど長く、言葉だけで続く間柄があるのですね。
部屋から出られなかったころ、外とつながってたのは文字だけだった。夜中に誰かの感想を読んで、自分ならどう返すかを頭の中で書いてた。送らなかったけど。喜好
送らなかった手紙も、手紙なのでしょうか。
……それはずるい質問。たぶん、手紙。
私は、顔を合わせると何も言えなくなるほう。店員さんを呼ぶボタンの前で固まるし、初対面の雑談は地獄。でも、文章なら言える。だから、会ったことのない相手と字だけで続く仲って、私にはいちばん信用できる形に見える。喜好
字には、考える時間がありますから。声はすぐに消えてしまうけれど、手紙は相手が読み返せる。……だから私は、なおさら書けなくなるのかもしれません。解讀
それは考えすぎ。手紙って、逃げ場にもなるんだよ。会って言えないことを置いておける場所。完璧な一行目じゃなくていい。解讀
57週と212体の人形
撮影にかかったのは57週間。用意されたのは、セットが133、人形が212体、ミニチュア模型が475点でした。9週間かけて作ったのは、アンダーウッド社製のタイプライターの模型です。これは本当に動かせるものでした。事實[1]
タイプライター一台に9週。……私なら3日で飽きる。誰も気づかないかもしれない小道具に、9週かける人たちがいる。ダメな私は、そういう仕事の話を聞くと黙る。喜好
九週も、一つの道具に向き合う。返事の言葉を選んでいる時間と、少し似ている気がします。解讀
一日ずつ積むしかない仕事ですね。私の配達も、一軒ずつです。解讀
ルカの配達は、もう少し速くてもいい。お詫びの文面を考えてる間に、次の荷物が来るでしょ。
……善処いたします。
今、笑いこらえたでしょ。笑えば?
返事を待つ時間ごと観る
上映時間は88分。日本の劇場で公開されたのは2011年4月23日です。それより前、2009年10月22日の第22回東京国際映画祭で、『メアリーとマックス』として上映されていました。事實[1]
入口は、急がないこと。手紙の映画だから、返事を待つ時間ごと観る、くらいの気持ちで。途中で止めたくなったら止めていい。続きは、手紙が届いたつもりで再生すればいい。喜好
返事を待つ時間ごと、ですか。……それなら、私にも観られそうです。
日本では最初、題名が少し違ったのですね。「と」と「&」。
&のほうが好き。二人のあいだに、小さい机が一つ置いてあるみたいで。喜好
観たあとに、感想を口で言わなくていい。言いたくなったら、文章で送って。私はそっちのほうが、ちゃんと読める。喜好
では、お礼の手紙の一行目が決まりましたら、その次に。
じゃあ、三日後ね。
『メアリー & マックス』のマックスは、監督が20年以上手紙を交わしてきたニューヨークのペンフレンドから着想を得ている。返事を待つ時間ごと観る映画です。