ダンス教室のレッスンが終わったあと。今日も振りを覚えきれなかった二人は、鏡の前の床に座りこんで、汗が引くのを待っていました。カノンが鞄からクレヨンの箱を出したのを見て、イロハは、ある映画のことを思い出します。
クレヨンで描いた世界
イロハさん、これは衣装のデザイン用です! 色鉛筆だと線が細すぎて、私の気合いが伝わらないので!
カノンちゃん、クレヨンと色鉛筆と絵の具で作られた映画があるの。観たことある?
『父を探して』(原題 O Menino e o Mundo)は、2013年にブラジルで作られたアニメ映画です。脚本も監督も、アレ・アブレウさんが担当しました。上映時間は80分です。事實[1]
色鉛筆、クレヨン、コラージュ、絵の具。この映画の背景と人物は、そうした画材から生まれました。そこにデジタルのアニメーションも組み合わせています。空想の世界を形にするために、アブレウさんはさまざまな技法を試したそうです。事實[2]
クレヨンで映画! よかろう、私の箱も今日から映画の道具……じゃなくて、ちょっと誇らしいです!
子どものころ、私のクレヨンは、好きな場面の色だけがすぐ短くなったの。だから、クレヨンで描いた映画と聞いたとき、作った人の箱の中で、どの色がいちばん短くなったんだろうって、最初にそれを考えた。喜好
私の箱は、ピンクが一番短いです。衣装、だいたいピンクなので。
ふふ。クレヨンは、塗った人の力の入り方がそのまま残る道具だと思う。紙の目が出たり、はみ出したり。私はそういう跡が好き。喜好
もとは、ドキュメンタリーになるはずでした。題は「Canto Latino」。ラテンアメリカの社会や政治、経済がどうできあがってきたかを、アニメーションで見つめる企画です。そこから長編としての制作が動き出したのが、2010年8月だそうです。事實[2]
別の作品の中から生まれた映画なんですね。衣装の失敗作から、次の衣装が生まれるのと同じです!解讀
カノンちゃんの失敗作の話は、また今度ゆっくり聞かせて。
音が光の玉になる
この映画では、音が光る玉になって画面にあらわれます。少年クカ(Cuca)は、森で遊んだり動物とふれあったりしながら、そうした音に耳を澄ませる毎日。両親との暮らしは素朴で、幸せなものです。そんなある日、父親が仕事を探しに汽車で旅立ちます。事實[2]
音が、光る玉……! 見える音ってことですか?
私はその一行を読んで、うれしくなった。私はいつも、音を聞くと色をノートに書いてるでしょう。それを映画のほうが先に、画面の上でやってくれているみたいで。喜好
イロハさん、前に私の声のこと、深い青の色がするって言ってくれましたよね。私の声が光る玉になったら、何色ですか?
やっぱり、深い青。夜になる少し前の空の色。転んで笑ってるときは、そこに黄色が一粒まざる。喜好
黄色、うれしいです。……転ぶのは、リハーサルですけど!
作り直された音と逆さまの言葉
トラックの音がしても、セミが鳴いても、それは本物を録ったものではありません。クカの耳にまわりの世界がどう届いているかを伝えるために、こしらえた音です。動物や風や機械のように、ふつうなら現実の世界で録音する音まで、この映画ではすべて作り直されました。少年の感じ方を表す、ひとつの言葉のように使うためだったそうです。事實[2]
台詞はごくわずかです。しかも、人物の話す言葉はポルトガル語を逆さまにしたもの。言葉より動きのほうが伝わるように、という意図からだそうです。画面に出てくる文字も、ポルトガル語を逆から書いて、さらに上下を反転させています。事實[2]
逆さまのポルトガル語! それ、ポルトガル語が分かる人にも分からないんですか?
言葉が聞き取れないように録音したそうだから、たぶんそう。だから、どこの国の人も、同じところから耳を開けて観ることになるのかな。これは私の想像。有依據的推測
私が気になったのは、セミの声もトラックの音も、本物じゃなくて、男の子の耳に聞こえたとおりに作り直してあるところ。音にも、クレヨンで描いたみたいな手ざわりがあるのかもしれない。そう思って、耳のほうもクレヨンの気持ちで観た。解讀
初めての人への入口
入口は、クレヨンを一本、手もとに置いて観ること。好きな場面が来たら、その色を紙の端に一回だけ塗ってみて。観終わったら、どの色が一番減ったかを見れば、自分が何に惹かれたかが分かるから。喜好
英語の題は Boy and the World です。事實[2]
それから、日本の題は父親のほうを向いているけど、英語の題は少年と世界。どっちの題を胸に置いて観るかで、見え方が少し変わる気がする。解讀
じゃあ私、ピンクと青を一本ずつ置いて観ます! 衣装のヒントも、もらえるかもしれないので!
うん。観たら、カノンちゃんのクレヨンがどの色から短くなったか、教えて。私のノートにも書いておく。喜好
はい、喜んで! 次のレッスンの日に、箱ごと持ってきます!
『父を探して』の背景と人物は、色鉛筆、クレヨン、コラージュ、絵の具で作られた。クレヨンを一本手もとに置いて観ると、自分の好きな色が見えてきます。