日曜の昼、東京の駅で人混みに迷ったゲンを、カオルが迎えに来ました。二人で入った定食屋のテレビでは野球中継が始まったところでしたが、すぐに雨で試合が中断。カオルが箸を置いて「で、ゲンさん、こっちには何しに来はったん」と聞くと、ゲンは鞄から古い文庫本を一冊取り出しました。
牛乳を運ぶ少年と老犬
古本屋で見つけてよ。『フランダースの犬』の原作だ。アニメは船の上で何べんも見たんだけど、原作をちゃんと読んだことはなかったんだ。喜好
題名は知ってるわ。犬と男の子の話やろ。中身はちゃんと観たことないねん。
テレビアニメ『フランダースの犬』は1975年に放送されました。フジテレビ系列で、1月5日の初回から12月28日の最終回まで全52話。「世界名作劇場」の1作目で、監督は黒田昌郎さん、キャラクターデザインは森康二さんです。制作は第20話までがズイヨー映像、第21話からは日本アニメーションに替わりました。事實[1]
ネロが初めてその犬に会うのは、祖父のジェハンについて牛乳を届けに行ったアントワープでした。年老いた大きな犬で、金物屋の荷車を引かされていました。時は1875年、ベルギーのフランダース地方。ネロは村で祖父と二人きりで暮らし、アントワープへの牛乳運びで暮らしを立てています。第1話には、ネロが自分の手に水を受けて、その犬に飲ませる場面があります。犬は水も与えられないまま、こき使われていたのです。事實[1]
……そこだよ。手ですくった水を飲ませる、そこでもう俺は駄目なんだ。第1話だぞ。……ティッシュ、どこだ。喜好
まだ第1話の話やで。……はい、ティッシュ。雨やし、ゆっくりでええよ。
俺はな、何見ても泣くんだ。高校野球でも、ふりかけのCMでも泣く。この作品が特別ってわけじゃねぇ。俺の目が、ゆるいだけだ。喜好
原作者はベルギーで何を見たか
原作は、イギリス人作家ウィーダが1872年に発表した小説で、原題は英語で A Dog of Flanders です。ベルギーを旅したことが着想のもとになりました。原作は短編なので、全52話のアニメでは、オリジナルの要素が大きく加えられています。事實[1]
ウィーダのベルギー旅行は、1871年夏の数週間です。ブルージュとアントワープへ日帰りで2回出かけたのが、フランドル地方に足をのばしたすべてでした。あとはブリュッセルのホテルにいることが多かったようです。それでも、犬に荷車を引かせる光景には心を痛めました。動物をかわいがる人で、のちに動物愛護の運動にも身を投じるウィーダには、それが虐待に見えたのです。事實[2]
日帰り2回だけで、あの話の種を拾ったんや。……ほとんどホテルにおったのに。有依據的推測
遠洋の船も同じだ。港にいるのは何日もねぇ。でも、その数日で見た景色のほうが、海の上の何か月より覚えてたりするんだ。解讀
晩年のウィーダは、たくさんの犬と暮らしていました。根っからの犬好きで、動物愛護協会ができるときにも力を尽くした人です。幼いころの彼女は、本名の「ルイーズ」を「ウィーダ」と発音していました。それがそのままペンネームになっています。事實[3]
へえ、そういう人か! 犬好きが、働かされてる犬を見て、黙っていられなかったんだな。解讀
自分の名前もうまいこと言えん小さい子が、そのまんまペンネームになったんか。かわいらしい話やな。解讀
パトラッシュが斑だったころ
原作のパトラッシュは、黄色い毛並みで耳の立った大型犬で、荷車などを引く使役犬(ドラフトドッグ)です。原作の小説では、主人公のネロは15歳の少年です。事實[2]
一方、アニメのネロは8歳から9歳の少年として描かれています。事實[1]
15歳と8歳じゃ、ずいぶん違うな。8歳で、じいさんと一緒に牛乳運びか。……俺が親父の船に乗せてもらって喜んでたのも、そのくらいの年だった。解讀
日本で最初の訳とされるのは、1908年に出た日高善一の訳です。外国風の名前は馴染みにくいと考えたのか、人名は日本風に直されていました。ネロは清(きよし)、パトラッシュは斑(ぶち)、アロアは綾子(あやこ)です。事實[2]
ぶち! いや、なんでやねん……ぶちて。近所の犬やん。
はっはっは! いいじゃん、それ! うちの港にもぶちはいるぞ。漁から帰ると、船の横でずっと待ってるやつだ。喜好
アロアの三角巾とエプロンは、オランダの民族衣装がもとになっています。フランドル地方の暮らしになじみのない日本の視聴者にも、すんなり受け入れてもらえる姿にするためでした。この格好は、アロアのトレードマークにもなっています。事實[1]
名前は日本風にして、服は見慣れた国のほうに寄せて。どっちも、遠い国の話を手元に引き寄せる工夫なんやね。解讀
ホーボケンの銅像
ネロの村のモデルは、アントワープ近郊のホーボケンと考えられています。アニメが日本で人気になると、日本からの観光客がホーボケンへ問い合わせるようになりました。1986年には、ネロとパトラッシュの銅像もホーボケンに建てられました。事實[2]
日本アニメーションは、世界名作劇場の放送開始から35周年にあたる2010年3月、「パトラッシュ基金」を設けました。名前はパトラッシュにちなんだもので、盲導犬の育成と普及を支える活動を始めています。事實[1]
荷車を引く犬の話が、今度は人の目になる犬を手伝ってるのか。……おい、それはずるいだろ。また目がゆるむじゃねぇか。喜好
はいはい、二枚目のティッシュ。……あ、雨やんだで。試合、再開や。
初めて見る人には、第1話のあの水の場面まで、まず見てほしいんだ。その先は、俺の口からは言わねぇ。家族と並んで見るのがいちばんいい。俺は毎回、子どもに笑われながら見てる。喜好
ほな、うちも第1話から観てみるわ。ゲンさんと観るときは、ティッシュを箱で用意しとく。喜好
『フランダースの犬』の原作者ウィーダは犬好きで、ベルギーで荷車を引かされる犬を見て心を痛めた。日本で最初の日本語訳では、パトラッシュは斑(ぶち)という名前だった。