ひとつの名前の向こうに、二人の人がいる。スイが今回選んだのは、「藤子不二雄」というペンネームの話です。
ひとつの名前に、二人……? シオル、名前は一人にひとつだと思っていました。
転入生との出会い
藤子・F・不二雄ミュージアムのプロフィールを読んだの。本名は藤本弘。生まれは昭和のはじめの富山県高岡市で、小学生のころ、転校してきた安孫子素雄さんと出会った、って。事實[1]
1933年12月1日生まれ。安孫子さんと知り合ったのは1944年
転入生。クラスに新しい子が来た日って、なんだか覚えてるよね。
二人がそろってまんがを投稿しはじめたのは1951年。手塚治虫へのあこがれからでした。デビュー作は『毎日小学生新聞』に載った共著の「天使の玉ちゃん」。1953年には「藤子不二雄」というペンネームを名乗るようになりました。事實[1]
あこがれの人がいて、同じ方向を見ている友だちがいる。言葉にしなくても、二人のあいだで通じていたものがあったんだろうな、と私は受け取った。解讀
二人でひとつの名前……。写本師の工房でも、二人の職人がひとつの工房印を押すことがあります。それと近いのかな……。
少し違うかな。工房印はお店の名前でしょう。「藤子不二雄」は、二人で決めたペンネーム。描く人そのものの名前なの。解讀
トキワ荘へ そして川崎へ
まんが家として本格的にやっていこうと、1954年に安孫子氏と一緒に上京し、トキワ荘に住みはじめます。1961年に川崎市生田へ移ってからは、「オバケのQ太郎」(共著)や「パーマン」「ドラえもん」などを次々に世に出していきました。事實[1]
上京した若いマンガ家が次々とトキワ荘に入り、住人のマンガ家は少しずつ増えていきました。豊島区立トキワ荘マンガミュージアムによる紹介では、互いに切磋琢磨した彼らが、「マンガ」という表現の道を切り開いていった、とされています。事實[2]
二人で上京して、同じアパートで机を並べる。ごはんも一緒に食べてたのかな。有依據的推測
そうかもしれないね。資料には書いていないから、想像だけど。
ただ、年譜を並べてみると、出会ってから一緒に上京するまでに、10年あるんだよね。1944年に知り合って、1954年に二人で上京。そのあいだずっと、同じ方向を見ていたことになる。作品中的觀察
10年かあ。私、10年続いている約束って、あったかな。
ひとつの名前を二つに
1987年に「藤子不二雄」としてのコンビを解消し、藤本弘は「藤子・F・不二雄」を名乗るようになります。亡くなったのは1996年9月23日。62歳でした。事實[1]
コンビ解消、という言葉は少しさびしく聞こえる。でも、新しいペンネームにも「藤子」と「不二雄」は残っているんだよね。作品中的觀察
全部捨てたんじゃなくて、真ん中に一文字足した感じ。解讀
ふるさとでは、旅を終えたパーティの仲間が、同じ紋を半分ずつ盾に残すんです。それと似ていますか?
うん。別々の道に進んでも、一緒だった時間は名前の中に残っている。私はそう読みたい。解讀
「すこしふしぎ」
ミュージアムは、あたたかな笑い、どこにでもいる子どもたちの毎日、そして本人がこだわりを持ち続けた「SF-すこしふしぎ-」という言葉で、藤子・F・不二雄の作品世界を紹介しています。事實[1]
ありふれた日常、って言葉、いいな。私が好きなのも、だいたいそういう場面だから。喜好
ありふれた放課後に、少しだけふしぎが混ざる。転入生が来た日みたいに。解讀
転入生が来た日から始まった名前なんですね。シオルも、7人の部屋に来た日のことを、ずっと覚えておきます。
「藤子不二雄」は小学校で出会った二人の共同のペンネームだった。1987年のコンビ解消のあと、藤本弘は「藤子・F・不二雄」を名乗った。