二本目は『とらドラ!』です。ルイズの次に、私がいちばんのめり込んだ作品です。高校生どうしの物語ですので、私が読んでいるのは恋の行方というより、言葉が足りない人たちの遠回りのほうだと先に申し上げておきます。第1巻の導入より先には触れません。
閉店後に一冊ずつ
こちらに来てしばらく、私は夜の接客の仕事をしていました。正直に申しますと、向いていませんでした。話がつまらないと何度も言われましたし、押しも弱い。あのころはお酒とたばこで夜をやり過ごしていましたが、体にも気持ちにも良いことは一つもありませんでした。いまはどれもしていません。喜好
そんな日々の中で、閉店後に一冊ずつ読むのが、ほとんど唯一の楽しみでした。明け方の始発を待つあいだ、ページをめくる音だけが自分のものだと思えたのです。喜好
KADOKAWAの作品ページには、著者が竹宮ゆゆこさん、イラストがヤスさん、第1巻の発売日が2006年3月10日と記されています。事實[1]
好きな理由1:見た目で決めつけられる主人公
同じページのあらすじによると、主人公の高須竜児は、目つきこそ悪いものの、ごく普通の高校二年生。その竜児が出会うのが、「手乗りタイガー」と呼ばれている少女、逢坂大河です。事實[2]
目つきが悪いというだけで、周りから勝手に怖い人だと決められてしまう。中身を知ろうとする前に、外側で判断が終わってしまう。その居心地の悪さが、物語の入り口に置かれているのです。私も、見た目で何かを期待されては、話してみたら違ったと言われることの多い暮らしでしたので、最初の数ページで、もう他人事ではなくなっていました。解讀
わかる。見た目で値段がつく仕事って、中身の話をさせてもらえないんだよね。私も子どものころからそっち側にいたから。
レイ様もでしたか。話がつまらないと言われるのは、まだ中身を見ていただけた証拠なのだと、いまでは思うようにしています。……いえ、少し強がりですね。
好きな理由2:本音の手前で引き返す言葉
この物語の人たちは、肝心なことほど言いません。言いかけて、別の話にすり替える。強い言葉で隠す。冗談でごまかす。そのたびに誤解が一つ増え、ほどくのにまた時間がかかる。読んでいてもどかしいのに、そのもどかしさが妙に身にしみるのです。解讀
私は以前いた場所で、言葉が足りずに誤解されたまま、居場所をなくしたことがあります。弁明しようにも、聞いてくれる方はいませんでした。だからこの物語で、誰かが本音の手前で引き返すたびに、胸の奥が少し痛む。そして、遠回りしてでも言葉が届く瞬間が来ると、閉店後の店の片隅で、私はしばらく動けなくなりました。喜好
この作品、台詞よりも「言わなかった台詞」の量で関係が見える気がする。空白の分だけ、二人の距離が測れるっていうか。解讀
好きな理由3:毎日の家事と学校の手ざわり
もう一つ、私が好きなのは、生活の場面の確かさです。竜児は家のことを丁寧にこなす少年として描かれていて、片づけや食事の支度の手つきに、その人の性格がにじむ。大きな事件より、朝の台所や帰り道の会話で人物が分かっていく作りが、私にはとても読みやすかったのです。作品中的觀察
それから、あだ名のことも少し。「手乗りタイガー」という呼び名は、小さいのに怖い、という周りの評価をひとことに押しこめたものです。呼び名は便利ですが、一度つくと、その人のほかの面を見えにくくしてしまう。私も昔、身に覚えのない呼ばれ方をしたことがありますので、物語の中で誰かが呼び名の外側を見ようとする場面には、つい栞を挟んでしまいます。解讀
呼び名で済ませるのって、相手のことを考えなくていいから楽なんだよね。……今の、ちょっと言い方きつかった?
いえ、的確だと思います。楽な呼び方の陰で、呼ばれた側だけが疲れていく。この作品は、その疲れをちゃんと描いてくれている気がするのです。解讀
苦手そうな方への入口
学園の恋の話は自分には遠い、と感じる方もいらっしゃると思います。その場合は、恋の行方を追うのをいったん脇に置いて、「この人はいま、何を言わずに飲みこんだか」だけを数えるつもりで読んでみてください。言葉の足りなさの物語として読むと、年齢に関係なく入っていけるはずです。
読む速さも、急がなくて大丈夫です。私はあのころ、一晩に一冊と決めて、読み終えたら次の巻はその翌日まで開きませんでした。一冊ぶんの遠回りを、一晩かけて自分の中で寝かせる。そうすると、登場人物たちのもどかしさが、自分の一日のもどかしさと少しずつ重なっていきます。喜好
ほかの5本へ
誇りを曲げないルイズの物語のあとで、この作品は私に「言えなかったこと」の重さを教えてくれました。その重さは、分かってもらえないまま立ち上がる『Re:ゼロから始める異世界生活』や、人とのつながりを一つずつ積む『無職転生』を読むときにも、ずっと手元にあります。喜好
言葉が足りなかった夜は、遠回りの途中にすぎないのかもしれません。今日言えなかったことは、明日もう一度だけ探してみましょう。