コートでは、両チームの選手が順番にスパイクを打ち込んでいた。床に跳ねたボールの音が、天井まで上がって返ってくる。二階スタンドの通路側の席で、エマはカメラのストラップを首にかけ直し、身を乗り出した。
Nice! 音、すごいじゃん。テレビだとこんなに響かないよね。
今日は来てくれて、ありがとうございます。……あ、ごめん、外の言い方になってた。来てくれてありがと。
あはは、レイ、まだ切り替わってない。会社モード?
入口でチケット見せたときに、丁寧のスイッチが入った。もう大丈夫。でね、最初にひとつだけ。試合が始まったら、ボールじゃなくて、セッターを見て。
セッター? 教えて? どの人?
二本目に触る人。サーブを受けた人が上げたボールを、打つ人に渡す係。たぶん今、ネットの近くで、一人だけ打たずにボールを上げ続けてる人がいるでしょ。あの人。
エマはカメラを構えるふりをして、その選手に目を合わせた。スパイクを打つ選手たちの列に、黙ってボールを上げ続けている。上げたボールは毎回、同じ高さで止まって見えた。
……ほんとだ。毎回、同じとこに置いてる。
でしょ。私がバレーを観るようになったのは、漫画のせいなんだ。『ハイキュー!!』。
『ハイキュー!!』は、古舘春一が高校バレーボールを題材に描いた漫画だ。読切版を経て連載に移り、掲載誌は『週刊少年ジャンプ』(集英社)、期間は2012年から2020年まで。[1]
待って、ここからが大事。あの漫画、一人で点を取る話じゃないの。上げる人と打つ人がいて、その二人のあいだにボールが一個あって、それが毎回ちょっとずつ違う。呼吸が合わなかった日のボールと、合った日のボールが、ちゃんと違う形で描いてあるの。ここから私の解釈なんだけど、あれは、言葉を使わない会話の漫画だと思ってる。
言葉を使わない会話。……それ、なんか分かる。
……今の、長かった?
ぜんぜん。試合前にちょうどいい長さ。
試合が始まると、エマはすぐにレイの言った意味が分かった。サーブが打たれ、一人が受け、ボールが上がる。セッターはボールの下に入ったまま、最後の一瞬まで、どちらに上げるかを体で見せない。右の選手が跳び、左の選手も跳ぶ。ボールは、その真ん中から、誰も跳んでいないように見えたところへ上がった。
え、今のずるくない? 全員だまされたじゃん!
ずるくない。あれが仕事。相手のブロックの目を、一瞬だけ別の人に向けさせる。跳んだのにボールが来なかった人も、ちゃんと仕事してる。囮って言うの。
ボールが来ないのに、全力で跳ぶんだ。……かっこいいね、それ。
点が入るたびに、スタンドのあちこちで、手に持った応援の道具が打ち鳴らされる。エマはそのたびに一拍遅れて手を叩き、そのうちに、レイと同じタイミングで叩けるようになった。
ねえレイ、教えて? さっきから一人だけ、違う色のユニフォームの人がいる。あの人、なんで?
リベロ。守備の専門の人。スパイクは打たないし、前に出て跳ぶこともしない。そのかわり、強いサーブとスパイクを、ずっと拾い続ける。色が違うのは、審判にも相手にも、あの人がリベロだってすぐ分かるように。
一人だけ違う色で、みんなの真ん中で、ずっと拾ってるんだ。
エマはカメラを下ろして、しばらくその選手だけを見ていた。サーブが来るたびに低く構え、腕の面でボールを殺して、セッターの頭の上へ返す。返したあとは、誰にも見られないまま、もう次の場所へ動いている。
……私、ああいう人、好きかも。違う色なのに、ちゃんとチームの一部っていうか。転校したての日の教室って、だいたい私一人が違う色だったから。
エマ。
あはは、なし、今のなし。ほら、始まるよ。セッター見なきゃ。
……うん。セッター見る。でも、私は今日、リベロもちゃんと見とく。
第三セットの最初の一本は、相手の強いサーブだった。違う色のユニフォームが床すれすれに滑り込み、ボールがふわりと上がった。スタンドの拍手のなかで、エマの手がいちばん先に鳴った。
エマ、さっきから、体ぜんぜんぶれないね。立ったり座ったりしてるのに、頭の位置が変わらない。
あー、道場で毎朝しごかれてるから。先生がね、八十六なのに、私より足の音がしないの。
体幹の人だ。……ねえ、それ、コスプレの立ちポーズにすごく向いてると思う。一枚だけでも。
あはは、またその話。……考えとく、って言っとく。
うん。考えとく、で十分。無理には誘わない。
試合は最終セットまでもつれた。最後の一点が決まった瞬間、コートの選手たちが輪になり、スタンドの両側から拍手が起きた。勝ったほうにも、負けたほうにも。エマは立ち上がって拍手しながら、負けたチームのセッターが、床に座りこんだリベロに手を差し出すところを、カメラではなく自分の目で見ていた。
試合が終わると、外はまだ明るかった。階段の下では、ボードを抱えた中学生くらいの子たちが、広場の端で順番にスケートボードを転がしている。レイは足を止めた。
……あ、これもだ。私、スケボーの話でもうひとつ好きなアニメがある。『SK∞ エスケーエイト』。
ボンズが制作したテレビアニメ『SK∞ エスケーエイト』の題材は、スケートボード。内海紘子が監督を、大河内一楼がシリーズ構成と脚本を担当した。第1期は全12話で、2021年1月から4月にかけて放送された。[2]
バレーと違って、スケボーは一人で滑るんだけど、あのアニメは、隣で滑る誰かがいるかどうかの話なの。一人で上手くなるのと、誰かと一緒に楽しいのは、別のことなんだって。今日の囮の人を見てて、ちょっと思い出した。
ボールが来なくても跳ぶ人と、隣で滑る人。……レイ、今日ずっと、そういう人の話してるね。
……バレた。私、主役の隣にいる人が好きなんだと思う。
ねえ、エマはさ、なんでそんなにいろんな国の言葉が出てくるの。今日も応援のとき、三つくらい混ざってた。
えー、出てた? あはは、引っ越しが多かっただけだよ。それより、今夜のFPS、何時から?
レイはそれ以上は聞かなかった。聞かなくても、今日一日でエマについて分かったことは、十分にあった。ボールが来なくても全力で跳ぶ人を、エマがいちばん大きな拍手で見送っていたこと。
九時。今夜は私が上げるから、エマが打って。
了解! じゃあ私、囮もやる。