土曜の昼、商店街の通りに長机が並んでいた。古本屋の机の端には、イツキが手書きの札を立てた箱が一つ。「子どものころのシリーズ」。青い鳥文庫とみらい文庫の背が、色ごとにそろえて差してある。
生成りのブラウスに紺のカーディガンの女の人が、箱から一冊を抜いたまま、しばらく表紙を見ていた。
いらっしゃいませ。よかったら、最初の数ページだけ立ち読みしてってください。
ありがとうございます。……懐かしくて、手が止まってしまって。名探偵夢水清志郎です。
講談社青い鳥文庫。シリーズの1冊目『そして五人がいなくなる』は1994年2月発売
名探偵なのに、ものわすれの名人で、自分がごはんを食べたかどうかさえ忘れてしまう人なんです。それでも、表札にも名刺にも、ちゃんと名探偵と書いてある。[1]
小学生のころ、母が夜勤に出たあとの夕方に、図書室で借りたのを布団で読んでいました。しっかりしていなくても名乗っていい、と言われた気がして。翌朝、帰ってきた母に、楽しそうな寝顔だったと言われました。
そこへ、ダンス教室の帰りのリリィとアカリが通りかかった。リリィはイツキに小さく頭を下げ、箱の前にしゃがみこんだ。
イツキさん、こんにちは。あ、黒魔女さん。
小4の夏休みに、祖母の家で読んだの。黒魔女修行のいちばん最初が、朝5時半に起きてベッドをととのえること。ねえ、ここ。魔法にも毎日の決まりがあるんだよ。[2]
講談社青い鳥文庫。シリーズの1冊目『黒魔女さんが通る!! チョコ、デビューするの巻』は2005年9月発売
で、早起きしたの?
した。ベッドを整えてノートを開いたら、祖母にラジオ体操に誘われた。魔法陣の練習は、その次の日。
僕は教室の学級文庫で、順番を待って読んだ口です。
チョコは、友だちなんかいらない、おしゃれも恋も興味なし、っていう冷めた子で。クラスの騒動を黒魔法で、解決したり、しなかったりするんです。僕はこの「しなかったり」のほうでした。[2]
えっ。私は決まりのほうでした。同じ本なのに、好きなところが違うんですね。
店に入ってくるたびに、表紙の角のすり切れ方を見ちゃうんです。何人の手を渡ってきたのかなって。
あ、そこ。この夢水も、角が丸くなってます。
アカリは箱の反対の端から、みらい文庫を一冊引き抜いていた。
学校に「お宝バトル」っていう教科があって、知恵とか体力とか、ときには運まで試されるの。[3]
読んだあと、家で兄貴とお宝をかくし合った。兄貴のかくし場所、冷蔵庫の中。二人そろって母に怒られた。
冷蔵庫は、見つけにくいですね。お宝もよく冷えて。
でしょ。兄貴、ああいうとこだけ頭いいんだよ。私は体力のほうで勝ちたかったのに。
それ、この前デッキを貸した小学生の兄弟が、リュックから出して見せてくれたんです。在庫を探して、今日はこっちの箱に入れときました。
あ、これも。霧島くんは普通じゃない。
季節外れの転校生が、指を切ったらパクっと血をなめたり、すごい速さで瞬間移動したりするんです。まさかヴァンパイア?って。[4]
集英社みらい文庫。1冊目『霧島くんは普通じゃない ~転校生はヴァンパイア!?~』は2020年10月発売
小6のハロウィンの前に借りて、説明できないことノートに「ヴァンパイアの決まり」のページを作ったんです。……まだ二行しかないんですけど。
私も読みました。夜勤明けに、後輩から借りっぱなしだった一冊を。
指を切る場面で、私、まず絆創膏の場所を考えてしまって。主人公の気持ちに追いついたのは、そのあとでした。
絆創膏。ノートに書きます。三行目にしていいですか?
どうぞ。返すときに後輩と、お兄ちゃんたちのだれが好きかで話しこんでしまって、仮眠が半分になりました。
分かる。そういうの、止まんないよね。
チアキは左の手首を返して、内側に向けた時計の文字盤を見た。秒針が一周するあいだ、夢水の表紙に指を置いたままでいた。
これ、いただいていきます。帰りの新幹線で、最初の事件まで読み直します。
ありがとうございます。……ごはんを食べたかどうかは、忘れないでください。
チアキが笑って人通りに紛れていくと、リリィはしゃがんだままノートを開き、「ヴァンパイアの決まり」の下に三行目を書き足した。アカリはお宝バトルを手にしたまま、スマホで兄に一行だけ送った。
「冷蔵庫の件、覚えてる?」……既読、ついた。