この文章は映画『コクリコ坂から』を最後まで観た人のための二周目の案内じゃ。まだの人はここで閉じて、まず一周目を楽しんでくれ。二人の関係がどうなるかに触れるところは、押さんと読めん箱に入れてある。箱の外では書かん。
昭和38年の横浜
公開は2011年7月16日。監督は宮崎吾朗、企画・脚本に宮﨑駿、上映時間は約91分じゃ。事实[1]
舞台は1963年(昭和38年)の初夏の横浜。女子高生の松崎海は、海の見える丘のコクリコ荘を切り盛りしとる。事实[2]
昭和38年、俺は二十三。道場を開く前で、稽古のあとに映画館へ走っとったころじゃ。一周目は、路面電車の走る坂や、ガリ版刷りの学校新聞や、湯気の立つ台所に、ただ懐かしくなった。じゃが懐かしさだけで観ると、この映画のいちばんええところを取りこぼす。二周目は、旗を見る。喜好
毎朝の二枚の旗
海は毎朝、庭に国際信号旗を揚げとる。船乗りだった父は、朝鮮戦争のときに機雷に触れて命を落とした。その父を偲ぶ旗じゃ。U旗とW旗の組み合わせで、意味は「ご安航を祈る」。事实[2]
竜山さん、俺、船の上で何度もあの旗を見ましたよ。陸から揚げてもらうと、こっちは手も振れねぇのに、胸がいっぱいになるんです。……二枚並んでるだけで、泣けるじゃねぇか……!喜好
一周目は、亡き父を思う娘の習慣として観た。二周目は、旗が手紙だということに気づく。陸から海へ、毎朝出す手紙じゃ。二周目は、旗が揚がる場面のたびに、その二枚の旗の意味を思い出してみなされ。解读
中段为止中盤以降の展開(下宿人の絵)点击展开
コクリコ荘に下宿しとる美大生の広小路幸子は、部屋の窓が海に面していて、タグボートが揚げていた旗にいち早く気づき、油絵に描いとった。
一周目は、ずぼらで大食いの下宿人として笑って観た。二周目は、この人の部屋の絵に目を凝らしてしまう。海が毎朝の手紙を出しとるあいだ、その返事に誰より先に気づいとったのは、絵を描く人の目じゃった。物語の答えは、ずいぶん早くから、下宿の一室の画布の上に置いてあったんじゃ。解读[3]
掃除という策
カルチェラタンというのは、高校にある男子文化部の部室棟じゃ。これを取り壊すかどうかで揉めとる。学級新聞で取り壊し反対の論陣を張っとるのが風間俊で、海はその俊と知り合う。俊の力になりたくて海が言い出したのが、カルチェラタンの大掃除じゃ。これが女子生徒まで巻きこむ、一大掃除作戦になっていく。事实[4]
俺が二周目にいちばん膝を打ったのはここじゃ。男子たちは、討論会で声を張り上げて戦っとった。海の策は、ほうきとぞうきんじゃ。古い建物を守りたいなら、守る値打ちがあると見せればええ。汚れたままの建物をかばうより、きれいにして見せるほうが、筋が通る。勝つための策が、そのまま誰も傷つけん策になっとる。善い策とは、こういうもんじゃ。解读
いいじゃん、それ! 船も同じだ。古い船ほど毎日甲板を磨く。磨いてある船は、乗ってる奴が大事にしてるって港の誰が見ても分かる!喜好
一枚の写真
二周目は、ある一枚の写真が出てくる場面で一度止めて、写っとる人たちの顔をよう見ておきなされ。一周目は、写真は話を動かす小道具にしか見えんかった。喜好
中段为止中盤の展開(写真の意味)点击展开
コクリコ荘の下宿人を送り出す集まりで、海は俊に一枚の写真を見せる。亡くなった父が、友人二人と並んで写っとる写真じゃ。俊はそこからよそよそしくなる。俊の手元にも同じ写真があったんじゃ。戸籍を調べた俊は、二人の父親は同じで自分たちは兄妹だと告げて、ただの友達でいようと言う。海はすっかり落ちこむ。
その一方で、大掃除が進むにつれ、取り壊し賛成の側におった生徒まで保存を望みはじめる。それでも学校は取り壊すと決め、海と俊は東京の理事長のもとへ直談判に出かける。その帰り道に、海は二つのことを知る。学校新聞に載った旗の詩を書いたのは俊じゃったこと。そして俊が毎朝タグボートでコクリコ荘の前を通るたび、海の旗に応えて旗を揚げとったこと。海は、兄妹でも俊が好きだと伝え、俊も同じ気持ちだと答える。
二周目に写真の場面へ戻ると、三人の若い男が並んで笑っとる、その並び方そのものが、あとで明かされることの答えに見えてくる。解读[5]
声を二度聴く
二周目は、耳も使うてほしい。この映画には、一人の声の出演者が二つの役を受け持っとるところがある。誰と誰かは、箱の中に書く。作品中的观察
结局·真相結末点击展开
母が帰国して話を聞かせ、俊が海の兄ではないことが分かる。俊の実の父は写真の三人のうちの一人、立花で、引き揚げ船の事故で命を落としとった。身寄りのなくなった赤ん坊の俊を、海の父は自分の子として届け出て、そのうえで自分の知り合いの養親に託したんじゃ。翌日、理事長がカルチェラタンに来て保存を約束する。海と俊は港の船で、写真の三人目の小野寺に会う。小野寺は二人と握手し、二人は並んで船を見送る。次の朝も、海は旗を揚げる。願うのは、父だけでなく俊にも見ていてもらうことじゃ。
声の話はここからじゃ。俊を演じる岡田准一が海の父の澤村雄一郎も、生徒会長の水沼を演じる風間俊介が俊の実の父の立花洋も演じとる。二周目に写真の場面や回想の場面を聴くと、海の父の声は俊の声で、俊の本当の父の声は、いつも俊の隣におる親友の声なんじゃ。一周目にこれを知っとったら、写真の謎は耳で解けとったかもしれん。俺には、答えが声の中に置いてあったように聴こえる。
そして俺がいちばん泣いたのは、写真の三人目が、若い二人の手を握るところじゃ。死んだ友の子と娘が、こんなに立派に育った。年寄りが若い者に渡せるのは、たいてい言葉より、手の温さじゃのう。解读[6]
……竜山さん、そこ、俺も二回とも同じところで黙りました。
そうじゃろう。二人して黙るところは、だいたい同じなんじゃ。
上を向いて観る
「上を向いて歩こう。」というのがこの映画のキャッチコピーで、坂本九の同名の歌も挿入歌に使われとる。事实[7]
あの歌は、俺らの世代には耳に染みついとる。二周目は、歌がかかる場面で、登場人物がどこを向いて歩いとるかを見てみなされ。旗は上に揚がる。坂は上へ続く。船は前を向いて港を出ていく。この映画では、うつむいとる人より、顔を上げとる人のほうが、ずっと多い。昭和の若い者は、そうやって歩いとったんじゃ。解读
挿入歌には「白い花の咲く頃」もあり、劇中では生徒たちが伴奏なしで声をそろえて歌う。事实[8]
これも俺らの若いころによう流れとった歌じゃ。二周目は、その歌が誰の口から出とるかを見てみなされ。ひと昔前の歌を、学生服の若い者たちが声を合わせて歌う。古い建物を磨いて残そうとする話の中で、古い歌もまた、若い者の声で手入れされとる。年寄りが渡したものを、若い者がどう受け取るか。この映画は、そこをちゃんと描いとる。解读
よっしゃ、次に観るときは俺も一緒に歌いますよ! 竜山さんは低いほうお願いします。
二周目は、最初の朝に旗が揚がる場面で止めて、二枚の旗の意味を思い出してから先へ進みなされ。この映画は、毎朝のあの習慣から始まっとる。