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この文章は、TVアニメ『氷菓』を最後まで観た人のための二周目の案内です。まだ観ていない人は、ここで閉じてください。小さな謎がほどける瞬間の気持ちよさは、初めて観るときにしか味わえないから。各事件の真相や結末に触れる部分は、すべてクリックしないと読めない箱に入れてあります。箱の外では、答えは書きません。
一周目の僕は答えを当てに行っていた
白状すると、一周目の僕は、謎が出てくるたびに一時停止をしていました。奉太郎が答えを言う前に、自分の推理を紙に書く。当たっていたら小さく拳を握り、外れていたら悔しがる。子どものころ、図書室の推理小説で犯人を先に当てては得意になっていた癖が、まだ抜けていなかったんです。喜好
二周目を観ようと思ったのは、その紙を見返したときでした。答えを書いた紙は残っているのに、その回で誰がどんな顔をしていたかを、ほとんど覚えていない。謎の答えだけを持ち帰って、謎のまわりにいた人を置いてきていた。僕の研究テーマの一つは「一話の情報が後からどう読み替わるか」です。この作品は、まさにそのテーマのために観直す価値がある、と思いました。解读
一時停止して推理を書くの、レンらしいね。私は一周目、えるちゃんの家のお屋敷とか、温泉の回とか、そういうところばっかり覚えてる。
それ、二周目の僕には大事な情報なんだ。ナギが覚えてるところは、僕が謎に夢中で見落としたところだから。今回はそっちも拾いに行く。
22話を見渡す地図をつくる
公式サイトのストーリー一覧を見ると、TVシリーズは全22話。第一話「伝統ある古典部の再生」に始まり、第二十二話「遠まわりする雛」で終わります。放送は毎週日曜で、2012年4月22日から9月16日まででした。事实[1]
僕は二周目を始める前に、22話を紙に並べて、大きな事件ごとに線で区切りました。いくつかの回にまたがる長い事件と、一話で終わる小さな事件。並べてみると、長い事件と一話完結の回が交互に置かれていて、物語に呼吸のリズムがあることがわかる。一周目は、事件の切れ目に気づかないまま次の回へ進んでいました。地図があると、いま自分がどの事件のどのあたりにいるのかが見えて、伏線を探す目の置き場所が決まります。解读
サブタイトルにも、地図の手がかりがあります。第一話から第五話までは「伝統ある古典部の再生」「名誉ある古典部の活動」「事情ある古典部の末裔」「栄光ある古典部の昔日」「歴史ある古典部の真実」と、同じ形の題が五つ続きます。事实[2]
「〇〇ある古典部の〇〇」。この形が五回続いて、第六話でぷつりと途切れる。題の形がそろっている区間は、一つの謎を追いかけている区間です。一周目の僕は、題を読み流していたので、この区切りに気づきませんでした。二周目は、題の形が変わる瞬間に「ここで一つの物語が閉じた」と身構えることができる。作り手は、題で章立てをしていたんだと思います。有依据的推测
最初の一話と最後の一話
第一話は絵コンテ・演出を武本康弘さん、作画監督を西屋太志さんが担当しています。事实[14]
最終話の第二十二話も、コンテが武本康弘さん、演出が武本康弘さんと石立太一さん、作画監督が西屋太志さんです。事实[3]
京都アニメーションの作品情報によると、武本康弘さんはこの作品の監督で、西屋太志さんはキャラクターデザインを担当しています。事实[4]
監督とキャラクターデザインの二人が、最初と最後の一話を自分たちで描いている。僕はこれを、22話を一冊の本として閉じるための表紙と裏表紙だと受け取りました。二周目は、第一話と第二十二話を続けて観てみてください。奉太郎の歩く速さ、えるとの距離、会話の間の取り方。同じ二人なのに、画面の中での並び方が変わっています。その変化を、22話ぶんの事件が少しずつ積み上げてきたんだと思うと、一話一話の小さな謎が、全部その距離のために置かれていたように見えてくる。解读
同じ人が描いた回を並べて観る
二周目の楽しみ方として、各話のスタッフで観る順番を変えてみるのもおすすめです。公式サイトの各話ページによると、第九話はコンテ・演出が山田尚子さん、作画監督が植野千世子さんです。事实[19]
第十四話も、コンテ・演出が山田尚子さん、作画監督が植野千世子さんという同じ組み合わせです。事实[20]
また、第三話のコンテ・演出は石立太一さんです。事实[21]
そして第十七話も、石立太一さんがコンテ・演出を担当しています。事实[22]
同じ人が描いた回を続けて観ると、物語の順番とは別の線が浮かび上がります。人物を画面のどこに置くか、会話の途中でどこを映すか、間をどれくらい取るか。僕はスタッフの名前で回を並べ直したノートを作って、物語の地図とは別の、もう一枚の地図として眺めました。一周目は物語の中を歩いていた。二周目は、物語をつくった人たちの足跡を歩いている感じがします。どちらが正しいということはなくて、地図が二枚あると、同じ場所が立体的に見えてくるんです。解读
最初の謎の題名を読み替える
第五話のあらすじが予告しているのは、45年前の真実と、それを知っている意外な人物、そしてえるが号泣した謎に近づいていく展開です。事实[5]
一周目、僕はこの事件を「古い文集の題名に隠された意味を解く話」として楽しみました。答えがわかった瞬間、うまい、と声が出た。でも二周目に観ると、この事件の中心は、題名の仕掛けではなかったと思えてきます。何が中心にあったのかは、畳んだ中で書きます。解读
中段为止中盤の展開(第五話まで)点击展开
この事件の中心にいたのは、昔ある人が誰にも言えなかった気持ちと、その気持ちを幼いころに受け取って泣いた一人の女の子でした。
えるが知りたかったのは、伯父の関谷純が幼い自分に何を語り、なぜ自分は泣いたのか、でした。45年前、学校で起きた出来事の責任を一人で負わされる形で、関谷純は学校を去った。文集の題名「氷菓」には、英語の「アイスクリーム」と、その音に重なる「アイ・スクリーム(私は叫ぶ)」という声が隠されていた。そして、その真実を知る意外な人物は、ずっと学校の中にいました。二周目、僕が一番驚いたのは、第一話の時点で、この事件の手がかりがどれだけ素直に置かれていたかです。えるがなぜあれほど強く「気になります」と言うのか。一周目はそれを彼女の性格だと思っていた。二周目は、彼女が十年以上抱えてきた、たった一つの「なぜ」がその奥にあるとわかる。好奇心の正体は、悲しみを確かめたいという気持ちだった。スイがよく言う「そのとき誰が寂しかった?」という問いを、僕はこの事件の二周目で、初めて自分から口にしました。そしてこの事件を通じて、奉太郎は「省エネ」の姿勢を少しだけ曲げる。第一話の彼が掲げていた、やらなくてもいいことはやらない、という信条が、この答えを見つけたあとでは少し違って聞こえます。
第四話で、えるちゃんがみんなを家に呼ぶでしょ。あの回、一生懸命おもてなししてるのがかわいくて好きなんだ。喜好
ナギが言う第四話のあらすじには、えるが奉太郎たちを自宅に誘い、彼らのために一生懸命に振る舞う、とあります。事实[6]
……そうか。一周目の僕にとって、第四話は「手がかりが一つ増える回」だった。でも、えるにとっては「自分の大事な問いを、初めて人に預ける回」だったのかもしれない。家に呼んで、もてなして、それから話す。順番がちゃんとあるんだ。解读
うん。大事な話の前には、お茶を出すよね。
第八話から第十一話を見直す
第十話のあらすじでは、上級生の入須冬美が、どこか思わせぶりな様子で奉太郎をお茶に誘い、その本当の理由は、と問いかけています。事实[15]
第十一話のあらすじでは、摩耶花は奉太郎に詰め寄り、里志は真意を確かめようとし、えるは自分の思いを伝えようとする。三人が揃っていつになく厳しい顔をしていて、奉太郎は困ってしまう、と書かれています。事实[7]
僕の公開メモには「伏線と呼ぶ前に、後からそう見えただけの可能性を残す」と書いてあります。この事件は、そのメモの元になった事件です。なぜそうなのかは、畳んだ中で書きます。喜好
中段为止中盤の展開(第十一話まで)点击展开
一周目、僕は奉太郎と一緒に、見事な答えにたどり着いた気になっていた。だから、第十一話で三人が厳しい顔をしている理由が、すぐにはわからなかった。
奉太郎が出した答えは、未完の自主制作映画の「犯人」を当てるものとして、見事に筋が通っていました。でもそれは、もともとの脚本を書いた人が考えていた結末ではなかった。入須は、奉太郎の推理の力を、完成しない映画を完成させるための新しい脚本として使ったのです。摩耶花、里志、えるの三人は、それぞれ違う角度から、奉太郎の答えが取りこぼしたものを指さします。物語として成立する答えと、作った人が本当に描きたかったこと。その二つは、同じではなかった。二周目、僕はこの事件の第八話から第十話を、入須の視点で観直しました。彼女がいつ、何を、どこまで知っていたのか。そう思って観ると、一周目には気づかなかった台詞の選び方や、言わなかったことの多さが目に入ってきます。そして奉太郎は、自分が何の上で踊らされていたかに気づいていく。推理の力に自信を持ちかけた彼が、その力の使われ方を知る事件です。一周目の僕は、奉太郎と一緒に気持ちよく推理して、奉太郎と一緒にだまされていた。二周目は、だまされていく彼を、少し外から見守ることになる。僕自身の、答えを当てて得意になっていた癖を見せられているようで、正直ちょっと耳が痛かったです。
この事件の二周目で、僕は「推理が当たる」と「推理が正しい」は別のことだと、ようやく言葉にできました。筋が通っていることと、本当にそうだったことは違う。伏線だと思っていたものが、実は後から意味を足されただけのものだったかもしれない。その可能性を残しておくことが、物語にも、作った人にも、誠実でいる方法だと思っています。
文化祭は四つの窓から見る
第十二話のあらすじには、生徒会長の開会宣言で文化祭「カンヤ祭」が始まったのに、古典部の四人が浮かない顔をしている、とあります。事实[8]
第十五話では、えるが「十文字事件」を持ちこみます。事实[16]
第十六話では、怪盗「十文字」を現行犯で捕まえようとする里志と、相変わらず店番をしている奉太郎が描かれます。事实[17]
この文化祭の事件は、四人がそれぞれ別の場所で、別の問題を抱えながら過ごしています。物語の視点が、四人のあいだを行き来する。僕の研究テーマのもう一つ、「視点の外で起きた出来事」を考えるには、これ以上ない教材です。作品中的观察
一周目、僕は事件の犯人を追うことに夢中で、視点の切り替わりを「場面転換」くらいにしか思っていませんでした。二周目は、一人の視点で観ているあいだ、ほかの三人がどこで何をしているかを想像しながら観た。そうすると、一人には見えていて、ほかの三人には見えていないものが、はっきりしてきます。店番をしている人は動けない。動き回っている人は、店の中で起きたことを知らない。誰もが少しずつしか知らないまま、文化祭の三日間が進んでいく。解读
第十四話のお料理対決、私あれ大好き。バトンを渡しながらごはんを作るの、楽しそうで。喜好
ナギが挙げた第十四話は、お料理対決の回です。あらすじによると、参加したえる、里志、摩耶花の三人はバトンをつなぎながら順調に料理を仕上げていく。ところが、最後のバトンを渡される側の摩耶花が見当たらない。事实[9]
あの回、まさに「視点の外」の回なんだよ。料理の場にいる人と、そこに来られない人。来られない人には来られない理由がある。……ナギ、ありがとう。好きな回から入ると、構造の話がちゃんと人の話に戻ってくる。解读
结局·真相結末と正体(第十七話まで)点击展开
怪盗「十文字」が誰だったのか、なぜそうしたのかは、ここでは書かずにおきます。二周目に観てほしいのは、文化祭の各部から一つずつものを盗んでいくという手口そのものです。まっすぐには言えない何かを、遠回りに差し出しているようにも見える。二周目にこの事件を観ると、十文字の犯行声明のひとつひとつが、手紙のように見えてきます。そして、この事件で一番胸に残るのは、里志です。里志は自分の手で十文字を捕まえようとして、それがかなわない。いつも「データベースは結論を出せない」と笑っていた彼が、結論を出せる奉太郎に、どんな気持ちを抱いていたのか。一周目、僕は里志を「物知りで楽しい親友」として観ていました。二周目は、第一話から彼が奉太郎の推理を見る目つきが、少しずつ違って見える。期待すること、そして期待を手放すこと。この事件の題名にもなっている言葉をめぐる人たちの気持ちと、里志の気持ちは、きっと同じ形をしています。視点の外で起きていたのは、事件だけじゃなかった。
摩耶花の文化祭
第二話のあらすじでは、「古典部」最後のメンバーとして伊原摩耶花が登場します。彼女には、少し気にかかっていることがあった、と書かれています。事实[24]
一周目、僕は摩耶花を「奉太郎に厳しい、ツッコミ役の幼なじみ」として観ていました。二周目に第二話から彼女を追うと、最初の登場からもう、自分が気になることを自分の言葉で言える人として描かれている。えるの「気になります」と、摩耶花の「気になること」は、似ているようで少し違う。えるは謎を人に預ける。摩耶花は、自分で抱えて、自分で決着をつけようとする。その違いが、文化祭でいちばん大きく花開きます。解读
文化祭の事件の中で、二周目にもう一人追いかけてほしいのが摩耶花です。第十三話のあらすじによると、漫研で河内先輩と摩耶花が向かい合う場面があり、二人ともふつうではない格好なので、少しこっけいな空気も漂う、とあります。事实[23]
格好は滑稽でも、二人が向き合っている問いは真剣です。一周目の僕は、この対立を事件の脇筋だと思って観ていました。二周目は、これが文化祭編のもう一つの中心だとわかる。好きなものを、好きだと言い切れるかどうか。自分の好きを、誰かに笑われても守れるかどうか。推理とは関係のないところで、摩耶花はずっと戦っていました。解读
中段为止中盤の展開(第十七話まで)点击展开
漫研で摩耶花が守ろうとしていたのは、ある一冊の同人誌への評価でした。誰もが認める名作でなくても、自分の心を動かした作品はある。それに対して河内は、冷めた態度を崩さない。けれど文化祭の終わりに、河内もまた、その作品に心を動かされていたことがわかります。認めたくなかった、あるいは認めるのが怖かった。二周目、僕はこの二人のやりとりを、十文字の事件と同じ形をしていると思いました。届けたいのに、まっすぐには届けられない気持ち。好きだと言えない人と、好きだと言い張る人。謎を解く奉太郎の視点の外で、摩耶花は自分の言葉で、自分の好きを守り抜いた。僕が一周目に「脇筋」と呼んだものは、ある人にとっては文化祭のすべてでした。
一話で終わる小さな謎たち
文化祭のあとは、一話完結の回が続きます。第十八話では、ヘリコプターの音を聞いた奉太郎が、中学時代の英語の先生はヘリが好きだったと思い出す。ところが里志と摩耶花はどちらも、そんな話は初耳だと言う。事实[10]
第十九話では、えるが奉太郎の推理を才能だと褒め、奉太郎はそれは違うと言い返す。そこに校内放送が流れます。事实[18]
一周目の僕は、これらの回を「長い事件のあいだの小休止」だと思っていました。二周目に観ると、小休止どころか、奉太郎が自分の推理という力をどう扱うかを、一話ずつ確かめている回に見えます。先生の記憶を確かめに行くこと、褒められた力を否定すること。長い事件をいくつもくぐってきた彼が、今度は自分で、推理を誰のために使うかを選び直している。解读
第二十一話のあらすじによると、摩耶花は中学時代、バレンタインのチョコレートを里志に受け取ってもらえなかった。今年こそはちゃんと手渡して、里志がどう思っているのかを確かめたい。摩耶花がえるに相談したのは、そのためです。事实[11]
中段为止終盤の展開(第二十一話)点击展开
摩耶花のチョコレートの行方には、里志自身が関わっていました。彼はまだ、摩耶花の気持ちに答えを出すことができなかった。答えを出さないまま受け取ることも、断ることもできなかった。奉太郎はその真相にたどり着き、そして、それを誰にどこまで話すかを選びます。二周目、この回は文化祭の事件の続きとして観ると、まったく違う重さを持ちます。結論を出せないと笑っていた里志が、結論を出さないために、ここまでのことをしてしまう。一周目はこの回を、少し苦い恋の話として観ていました。二周目は、文化祭で傷ついた彼の、まだふさがらない傷の話に見えた。
本編のあいだに置かれた一話
第十一.五話のことを知っていると、二周目の寄り道が少し楽しくなります。公式サイトによると、この話はコミックス『氷菓』第3巻の、ブルーレイディスクが付いた限定版に入っていて、プロットは米澤穂信さんの担当。本編でいえば11話と12話のあいだに起きた出来事、と紹介されています。事实[12]
本編の第十一話と第十二話のあいだ。つまり、映画の事件が終わって、文化祭が始まるまでのあいだです。二周目に地図を広げていると、こういう「あいだ」に置かれた一話が、とても愛おしく見えます。大きな事件と大きな事件のあいだにも、四人の毎日は続いていた。視点の外で起きた出来事は、謎だけじゃなく、何でもない夏の一日でもあるんです。解读
最終話の祭り
最終話の第二十二話のあらすじでは、えるから奉太郎が頼まれたのは「生き雛祭り」の「傘持ち」役。行ってみると、祭りの会場はまるで戦場のようで、男衆の気迫に奉太郎は圧倒されます。事实[13]
最終話をどう受け取ったかは、一周目と二周目でいちばん変わったところです。中身は畳みます。喜好
结局·真相結末点击展开
この作品の最後に置かれているのは、大きな事件ではありません。祭りと、小さな謎と、帰り道です。一周目の僕は、正直に言うと、もう少し大きな山場で終わるものだと思っていた。二周目には、この静かな終わり方が、22話の積み重ねの一番正しい着地点に見えました。
祭りの帰り道、えるは自分がこの土地で生きていくこと、家を継ぐことについて、奉太郎に語ります。奉太郎は、心の中で、ある言葉を言いかける。彼女の背負うものを、自分も一緒に考えるという、ほとんど将来の約束のような言葉です。でも彼は、それを口にしない。言いかけた言葉を飲みこんで、季節の話にすり替える。一周目の僕は、ここで「言えばいいのに」と思いました。二周目は、言わなかったことにこそ、この作品の22話ぶんの答えがあるように思えます。推理で答えを出してきた奉太郎が、最後の最後で、答えを出さないことを選ぶ。映画の事件で、筋の通る答えが正しいとは限らないと知った彼だからこそ、まだ自分の中で確かではない言葉を、相手に渡さなかった。そして観ている僕たちも、その言葉の続きを知らされない。視点の外に置かれたままの、一番大事な一言。初見で驚けることを大切にしたい僕にとって、この「言わないまま終わる」最終話は、作り手から受け取った最高の贈り物でした。第一話の、やらなくてもいいことはやらない、と言っていた奉太郎が、最終話では、言うべきかどうかを真剣に迷っている。その変化だけで、二周目は十分すぎるほど報われます。
二周目の歩き方メモ
最後に、僕の二周目のやり方を三つだけ。一つめ、22話を事件ごとに区切った地図を手元に置く。題の形が変わるところが、だいたい区切りです。二つめ、一つの事件につき一人、奉太郎以外の人物を決めて、その人が何を知っていて何を知らないかだけを追う。三つめ、謎が解けたあと、エンディングまでの数分を早送りしない。答えのあとの沈黙に、その回の本当の中身が残っていることが多いから。喜好
それから、一周目に推理を書いた紙がある人は、二周目に読み返してみてください。当たっていた答えより、外れていた答えのほうが、自分が何を見ていて何を見ていなかったかを教えてくれます。僕の紙には、外れた推理の横に、二周目の字で「ここで誰が黙っていたか」と書き足してあります。喜好
レン、二周目は一時停止した?
した。でも一周目とは止めるところが違った。謎が出たところじゃなくて、誰かが何も言わなかったところで止めてた。
それ、いいね。私は三周目も、お屋敷と温泉とお料理対決のところで止めると思う。喜好
それも、ちゃんと二周目の観方だと思う。次に観るときは、ナギの止めたところで僕も止まってみる。
二周目は答えを当てに行かない。謎が解けたあとの沈黙と、推理の外で黙っていた人の顔を見てみる。