海辺の町の、ゲンとシズカの家。縁側には子どもたちの洗濯物が山になっていて、シズカはそれを畳みながら話に加わった。遊びに来ていたミサは、麦茶のグラスを置いて言った。「親になったばかりの人に一作。先に言っとくけど、私、泣かせる系は選ばないわよ」。ゲンは、もう泣く準備をしていた。
ゲンは船の上で泣いた映画
俺は『オトナ帝国の逆襲』だ! 父親になったころ、船の上で観て号泣した。喜好
監督と脚本を原恵一が手がけ、原作は臼井儀人。映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』は、2001年に公開されたアニメーション映画だ。野原一家が訪れるのは、20世紀の世界の万博をよみがえらせた「20世紀博」。大人たちは子どものころを懐かしんで楽しみ尽くすが、毎日のようにそこの子ども部屋へ預けられる子どもたちは、不満をこぼしていた。事实[1]
ほらね、泣かせる系。
泣かせようとしてる映画じゃないんだ、これは。親になると、自分が子どもだったころを思い出す夜が増える。その懐かしさを、笑わせながら、ちゃんと本気で描いてくれるんだよ。……ほら、もう目の奥が熱い。解读
ゲンさん、まだ何も始まっていませんよ。
思い出しただけで来るんだよ! 親になったばかりのやつは、子どもの側じゃなくて、大人の側で観ることになる。そこが一番効くんだ。解读
シズカは料理のできないお父さんの漫画
では、私は『甘々と稲妻』にします。喜好
雨隠ギドの漫画『甘々と稲妻』は、2013年から2018年まで講談社の『good!アフタヌーン』に連載された。高校教師の犬塚公平が男手ひとつで育てているのは、幼稚園に通う娘のつむぎ。妻を亡くしたのは半年前だ。料理はほとんどできず、毎日の食事はコンビニ弁当か外食ばかりだった。テレビアニメは2016年に放送された。事实[2]
料理がほとんどできないお父さんの話なんです。親になったばかりのころは、きちんとしなきゃって、全部をいっぺんに変えたくなるでしょう。でも、一品ずつでいいんですよね。解读
シズカは料理のプロだもの。プロが「一品ずつでいい」って言うと、説得力あるわね。解读
私だって、子どもの食べ盛りが重なって、炊飯器が一日に何度も空になった日は途方に暮れましたよ。だから、うまくできない人の漫画が好きなんです。喜好
あの頃は、炊飯器が二台あっても足りなかったもんなあ。喜好
ミサは家事を仕事として見る
私は『逃げるは恥だが役に立つ』。ドラマのほうね。喜好
海野つなみの漫画を原作に、野木亜紀子が脚本を書いたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』は、2016年10月に始まり、12月まで火曜の夜に放送された。森山みくりは仕事を失い、津崎平匡の家に住み込んで、家事のプロとして働き始める。そのかたちは契約結婚だ。事实[3]
恋愛ドラマだろ、それ。
恋愛ドラマの顔をした、家事は誰の仕事かって話よ。家事を仕事として見たら、って考えるの。親になったら、まずそこで夫婦がぶつかるのよ。どっちが、どれだけ、ってね。解读
……ゲンさん。
お、おう。……俺が海の上にいたあいだ、家のことは全部シズカがやってたんだよな。喜好
文句を言いたいわけではないんですよ。ただ、数えてみたら、すごい量になると思います。解读
ほら、もう効いてる。
ミサさんのお勧めのドラマは、いつもは筋が通らなくて、途中でテレビを消してしまうんです。でも、これは最後まで観られそうな気がします。喜好
失礼ね。……でも、それ、褒めてるのよね?
泣く作品を薦めるか
で、ゲン。親になったばかりの人に、泣く映画を薦めるのはどうなの。寝不足のときに泣いたら、翌朝むくむわよ。解读
泣いていいんだよ! 親になると、泣く場所がなくなるんだ。解读
私は、もう一本だけ足させてください。『おおかみこどもの雨と雪』。喜好
細田守監督のアニメーション映画『おおかみこどもの雨と雪』は、2012年に公開された。描かれるのは13年間だ。始まりは、19歳の女子大学生が「おおかみおとこ」と出会うところ。恋をし、結婚して、子どもを産み育てる。終わりは、二人のあいだに生まれた“おおかみこども”が成長し、自立するところ。細田がこの作品で選んだテーマは「親子」だった。事实[4]
これは、夫が遠い海の上にいたころの私を思い出す映画です。母親は、強いから強いわけではないんですよね。……ただ、親になったばかりの時期より、少したってから観るほうがいいかもしれません。解读
それは賛成。最初の一年は、笑えるものを手元に置いておいたほうがいい。私はハルが寝たあと、一話だけのつもりでドラマを観て、朝まで止まらなかったこともあるけど。喜好
一話だけのつもりが朝までってのは、親になってもやるのか!
やるわよ。だから「一話完結」も、立派な選び方なの。解读
最後に一人一作
『オトナ帝国の逆襲』! 泣いていい。喜好
『甘々と稲妻』。一品ずつでいいんです。喜好
『逃げるは恥だが役に立つ』。家事は誰の仕事か、二人で一度話してから観て。喜好
泣く作品を薦めるかどうかは、最後まで決着しなかった。ゲンは「泣いたほうが楽になる」と言い、ミサは「泣くのは寝られる日にして」と言った。シズカは洗濯物を畳み終えると、「まずは、ごはんにしましょう」とだけ言って台所へ立った。解读
親になったばかりの人には、一品ずつでいいと言ってくれる物語を。泣くのは、寝られる日に。