昼過ぎ、イベントの片づけが終わった会場の搬入口。通訳を務めたエマと、ケーブルを巻き終えたイロハが、段ボールに腰かけて冷たいお茶を飲んでいました。開いた扉から、斜めに日が差しこんでいます。
若手が作ったテレビの長編
エマ、今の光、見て。床に落ちてる影が、すごく濃い。……こういう光を、三通りに塗り分けたアニメがあるの。
三通り? 教えて?
『海がきこえる』は、氷室冴子さんの同名小説をもとにしたスタジオジブリが手がけた長編アニメーションです。日本テレビの開局40周年を記念する番組として、1993年に放送されました。ジブリにとって初のテレビ向けアニメでもあります。事实[1]
作ったのは、当時ジブリにいた若手のスタッフたち。宮崎駿さんも高畑勲さんも直接は関わらない、初めての作品でした。クレジットでは、制作が「スタジオジブリ若手制作集団」と記されています。監督は外部から迎えた望月智充さんです。事实[1]
放送はテレビなのに、画面の比率は16:9。当時の地上波の4:3より横長で、映画館の画面に近い形です。フィルムも劇場用と同じ35ミリが使われ、音はステレオでした。事实[1]
テレビなのに横長。つまり「映画として作る」って、最初に決めたんだ。解读
うん。私、横に広い画面だと、人と人のあいだの空いてるところが気になるの。そこに何色が置いてあるかを、つい見ちゃう。喜好
順光と逆光とふつう
登場人物には、一人につき三通りの色が用意されました。順光、逆光、ノーマルです。言い出したのは作画監督とキャラクターデザインの近藤勝也さんで、それを受けて古谷由実さんが色指定の仕事として組み立てました。南国の高知が舞台なので、日差しの強さとくっきりした影をどう出すかが問われたのです。事实[1]
ところが、光と影がいちばん強く出ているのは5月の東京・成城の場面です。夏の高知のほうは、さわやかな感じが基調になっています。季節を本当らしく見せることより、その場面が持つイメージを先に立てた結果でした。事实[1]
え、夏の南国じゃなくて、5月の東京がいちばん濃いの? 写実の絵を描く人間としては、そこ、すごく気になる。喜好
私も、聞いたとき「へえ」って声が出た。季節の色より、気持ちの色を選んだんだと思う。……これは私の受け取り方だけど。解读
私のノートだと、高知の夏は、光を通したうすい水色。強い影の色は、まだ書けてない。観るたびに違う色に見えるから。喜好
写真をそのままレイアウトに
背景の景色はすべて実在の場所で、ジブリ作品としては異例のことでした。平成初期の高知と東京が、そのままの姿で描かれています。ロケハンで撮った写真は、拡大コピーしてレイアウトの下敷きにしました。近藤さんの発案です。制作期間が限られていたので、作業を減らすための判断でした。事实[1]
写真を拡大コピー! 私が絵の練習で最初にやったのと同じ。……でも、それをそのまま上手に見せるのが、いちばん難しいんだよ。喜好
帰省の飛行機の中で、杜崎拓は中学・高校のころを思い出していきます。思い出の真ん中にいるのは、半端な時期に東京から越してきた転校生の武藤里伽子。その少し前、大学進学で上京していた拓は、吉祥寺の駅で里伽子によく似た人を見かけていました。高知の大学に行ったはずの人です。事实[1]
場面の切り替わりに出る白い枠は、回想と現在の目印です。望月監督の説明では、大学生になった拓の今と、高校時代の思い出を行き来するため、そのままでは観る人が分かりにくいと考えて入れたそうです。事实[1]
白い枠が出たら、いまと昔が入れかわる合図。私は、その白を、ページをめくる音みたいに受け取った。解读
通じるように直した土佐弁
原作の小説は、徳間書店のアニメ雑誌『月刊アニメージュ』で、1990年2月号から1992年1月号まで全23回にわたり連載されました。挿絵は近藤勝也さんです。舞台は高知。東京から来た転校生の女子高校生と、地元の男子高校生。二人の青春が描かれます。作中の土佐弁は、本物そのままではありません。氷室さんが標準語で書いた文章を、地元の人に土佐弁へ直してもらい、さらに高知以外の読者にも伝わるよう氷室さん自身が手を入れたものだからです。アニメもそれに合わせています。事实[2]
それ、通訳と同じ! 正確に訳すと伝わらない言葉って、あるの。だから一回ほどいて、相手に届く形に結び直す。解读
エマが今日やってたことだね。私の「ふわっと」も、ちゃんと別の言葉にしてくれてた。
イロハの「ふわっと」は、毎回いちばん難しいけどね。
初めて観る人への入口
入口は、強い影が出てきたら、そこがどこの場面かを確かめること。高知なのか、東京なのか。色を決めた人の考えが、少しだけ見える気がする。喜好
私は、背景を一枚止めて描いてみる。写真から起こした景色なら、きっと描きながら場所が分かるから。喜好
描けたら見せて。その絵の影の色、私のノートに書き写したい。喜好
Deal! ……あ、この段ボール、まだ運ぶの残ってた。
『海がきこえる』の色指定では、登場人物ごとに順光・逆光・ノーマルの三通りの色が作られた。光と影がいちばん強く出たのは、夏の高知ではなく5月の東京の場面。