6選の一本目は『アイアンマン』です。観たのは中学生のころ、町の小さな映画館の最後列でした。武器を作ってきた発明家が、自分の手で鎧を作り直していく映画。私にとっては、客席の拍手の記憶といっしょにしまってある一本です。
背もたれの列の向こうに
あのころの私は、町の小さな映画館に入りびたっていました。座るのはいつも、いちばんうしろの端。前に並んだ頭が、驚くと少し浮いて、笑うと揺れる。その動きを見ながら観るのが好きでした。アメコミのことは何も知らず、鎧を着たヒーローの話、というくらいの気持ちで切符を買った日のことです。喜好
どんな映画か
マーベル・コミックのヒーローをもとにしたアメリカ映画で、監督はジョン・ファヴローさん。主人公のトニー・スタークを、ロバート・ダウニー・Jrさんが演じています。マーベル・スタジオがつくる、ひと続きの映画の世界の第一作にあたる作品です。事实[1]
物語の入口はこうです。兵器を作る大きな会社の社長で、天才と呼ばれる発明家でもあるトニーが、武装した集団に襲われて洞窟に閉じこめられます。解放と引きかえに兵器を組み立てるよう迫られた彼は、同じく捕まっていた男と二人で、言われたものを作るふりをしながら、別のものを作りはじめます。事实[1]
手の仕事を急がない映画
まず惹かれるのは、作る時間をちゃんと見せてくれることです。ヒーローの映画なのに、鎧ができあがるまでの手の仕事を、映画が急がずに追いかける。部品を並べて、試して、直す。その間、前の列の頭はほとんど動きませんでした。みんなが息を詰めて、画面の中の手元を見ている。客席がそうやって静まる時間が、私はいまでも好きです。解读
作ってきたものを作り直す人
二つ目は、トニーが作り直す人だということ。彼はそれまで、自分の会社の兵器を作ってきました。その同じ手で、今度は自分のための鎧を組み上げていく。道具や技術そのものは変わらなくても、何のために使うかを自分で決め直しているように見えます。私は新しい機械や仕組みが劇場に入ってくると、まず自分で触ってみるほうです。使い道を決めるのは、そのあとでいい。そう思えるようになった根っこには、たぶんこの人がいます。解读
明かりがつく前の拍手
三つ目は、終わったときの客席です。あの日、小さな場内で拍手が起きました。だれか一人が手をたたいて、それが前の列から順に広がっていく。うしろの席から見ると、拍手は波のように見えるんです。映画に拍手していいことを、私はその日に知りました。喜好
それから、この映画にはエンドクレジットが終わったあとにも場面があります。事实[1]
文字が流れはじめても席を立たなかった人が何人かいて、私もその一人でした。暗いままの場内に残った背中を、いまでも覚えています。そこで何が映ったかは、ここには書かずにおきます。喜好
続きを待つ人の集まる場所
あの拍手が長い長い続きの始まりだったと知ったのは、何年もあとのことです。同じ世界の映画が次々にかかるようになって、私は劇場の側から、公開日の初回に前の作品の話をしながら並ぶお客さんを見るようになりました。劇場は一本の映画を観る場所であると同時に、続きを待つ人たちが集まる場所にもなる。それを最初に教えてくれたのが、この一本でした。解读
余は続きを、三台の画面に並べて一気に観たのである。左で一本、中で一本、右で一本。待つ必要など、ひとつもなかったぞ。
三本同時、ですか……。私は一本ずつ、何年もかけて待ちました。待っているあいだの客席も、なかなかいいものですよ。
……ほう。待つのもまた、行軍のうちであるか。
いまの持ち場から見返すと
副支配人を任されてから、久しぶりに見返しました。今度は家の小さなテレビで、部屋の明かりを全部落として。画面が小さいと拍手の記憶ばかりが先に立って、少し照れくさかったです。それでも、トニーが黙って手を動かす時間は、小さな画面でも同じ長さで流れていました。あの静けさは、劇場の大きさだけが作っていたものではなかった。客席が静まったのは、映画のほうが先に黙っていたからだと思います。いまの私は、公開日の初回に客席のいちばんうしろに立って、前の列の頭が一度にすっと止まる瞬間を待つのが癖になりました。その一瞬が来ると、あの日の自分がまだどこかの席に座っている気がします。喜好
アメコミを知らなくても
原作を読んだことがなくても、私は困りませんでした。続きがたくさんあると聞いて身構えてしまう人は、この一本を、一人の発明家が自分の仕事と向き合う話として観ると入りやすいと思います。私も続きのことは何も知らないまま、一本の映画として好きになりました。洞窟の場面の暗さが苦手な人も、手を動かす人の顔をじっと見ているうちに、暗さのことを忘れていくと思います。私がそうでした。喜好
6選の中で
『ダークナイト』も、町の映画館に通っていたころに出会った一本です。表で戦う人と、そのうしろで支える人。私が泣いたのは支える人の場面でしたが、作る人のほうに惹かれたのがこの『アイアンマン』です。のちに『トップガン マーヴェリック』を好きになったのも、本物を撮るという話を聞いて、手で作ることへの敬意のようなものを感じたからだと思います。作る人、支える人、本物を撮る人。6本を並べてみると、私はいつも、黙って手を動かしている誰かを好きになっているようです。喜好
拍手は前の列から順に広がって、いちばんうしろまで届きました。あの日から、続きを待つ時間ごと映画が好きです。