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今日の気分はどう? この話は、『宇宙よりも遠い場所』を一度最後まで観た人に向けた二周目の案内です。まだ観ていない人は、ここで引き返して第1話から観てほしい。初めて観るときの驚きは一回しかないから。物語の中身に深く触れるところは、全部クリックしないと開かない箱に入れてあります。箱の外では、展開には触れません。
一周目の僕は四人の背中しか見ていなかった
一周目の僕は、とにかく前のめりでした。キマリが一歩を踏み出す。報瀬が意地を張る。日向が笑わせる。結月が少しずつ心を開く。四人が前へ進むたびに、画面のこっちで拳を握っていた。気づいたら最終話で、気づいたら泣いていて、気づいたら次の日の朝でした。喜好
二周目を観ようと思ったのは、何か月かたってからです。一周目の熱が少し引いて、自分の生活に戻ってから、ふと「あの旅、誰が支えてたんだっけ」と思った。答えを知っている物語を、答えのためじゃなく、途中の景色のために観直す。僕にとっては、それが二周目の楽しみ方になりました。喜好
僕の研究テーマの一つは「主人公以外の人が物語を前に進める場面」です。一周目では、この作品のそういう場面をほとんど素通りしていた。四人の背中が眩しすぎたんです。二周目は、あえて目線を少しずらして、四人の隣と後ろにいる人を追いかけました。そうしたら、同じ13話がまるで違う地図に見えてきた。解读
観直す前に知っておくと楽しい作り手の手がかり
公式サイトの各話あらすじを並べると、13話すべての脚本に花田十輝さんの名前があります。一人の書き手が最初から最後まで台詞を握っている。だから第1話で置かれた言葉が、終盤で同じ人の手によって拾い直される。二周目に台詞の響き方が変わるのは、たぶんそのせいもあると思います。有依据的推测[1]
もう一つ。第1話は絵コンテ・演出をいしづかあつこさん、作画監督を吉松孝博さんが担当し、最終話の第13話も絵コンテ・演出がいしづかあつこさん、作画監督に吉松孝博さんの名前が入っています。事实[2]
最初の一話と最後の一話を、同じ人たちが描いている。僕はこれを、絵の額縁みたいなものだと受け取りました。だから二周目は、第1話と第13話を続けて観るのもおすすめです。始まりの朝と終わりの朝を見比べると、四人の立ち方、歩く速さ、カメラとの距離が、ちゃんと変わっているのがわかる。解读
それから、公式サイトのあらすじには、一話ずつ、旅がどこからどこへ進んだかを示す見出しが付いています。第2話は群馬の館林から東京の新宿まで、第6話は同じ館林を起点にシンガポールのチャンギ空港まで。それが第7話になると、出発地がシンガポールのチャンギ空港、行き先はオーストラリアにあるフリーマントルになって、館林の名前が見出しから消えるんです。事实[3]
第6話まで、旅の起点はずっと家のある町だった。日帰りの旅も、遠出の訓練も、いったん館林に帰ってくる。二周目にこの見出しを横に置いて観ると、「家に帰れる距離」と「もう帰れない距離」の境目がどこにあるのか、はっきり見えてきます。僕はそこで、四人の一歩がどれだけ大きかったかを、一周目より重く感じました。解读
第1話の題名を声に出して読んでみる
第1話のサブタイトルは「青春しゃくまんえん」です。一周目の僕は、ちょっとふざけた題だなと思って読み流していました。喜好[1]
でも二周目に声に出して読むと、この題がただの冗談じゃないことに気づきます。青春という、値段のつけられないものと、しゃくまんえんという、とても具体的な数字が、ひとつの題の中で並んでいる。この作品は最初から、夢の話と生活の話を同じ重さで扱うと宣言していたんだと思う。解读
中段为止序盤の展開(第1話)点击展开
第1話でキマリが駅で拾う封筒の中身は、報瀬が南極に行くためにこつこつ貯めてきたお金でした。一周目ではあれを「二人が出会うきっかけの小道具」として観ていたけれど、二周目に観ると、あの封筒は報瀬の覚悟そのものです。誰にも笑われながら、それでも積み上げた時間の重さ。キマリはその重さを、拾って、返すところから旅を始める。二周目は、この封筒の厚みを覚えたまま、報瀬がお金や夢の話をする場面を追いかけてみてください。第1話の題名が、そのたびに少しずつ違って響きます。
夢の話のすぐ隣にアルバイト
第2話のあらすじによると、キマリは、日本からフリーマントルまでの飛行機代がいると報瀬に告げられて、コンビニでバイトを始めます。そこへ、バイト先の先輩で、自分も南極へ行きたいという三宅日向が加わる。事实[14]
南極を目指す話の、二話目でやることがアルバイト。一周目の僕は、ここを日向が登場するための場面としてしか観ていませんでした。二周目は、第1話の題名の「しゃくまんえん」と並べて観てしまう。夢には値段がある。その値段を、自分の時間を使って一つずつ払っていく。日向と出会うのが、夢を語る場所じゃなく、働く場所だったことも、この作品らしいと思います。仲間は、同じ夢を見ている人である前に、同じレジに並んで立った人だった。解读
荷造りを手伝う人がいる
二周目で最初に僕の目を止めたのは、第5話のあらすじの中の一文でした。南極に持っていく荷物を、キマリは妹のリンに手伝ってもらいながら、なんとか詰め終える。そんな小さな手助けが公式のあらすじにわざわざ書いてあることが、僕はたまらなく好きです。喜好[4]
キマリの家族は、物語の真ん中にはいません。でも、娘が南極に行くと言い出したとき、家族はそれを受け止めて、送り出す側に回っている。出発する人の一歩は、送り出す人の一歩とセットなんだと思う。一周目の僕は、出発する側の勇気ばかり数えていました。解读
荷造りの手伝いって、いいよね。何を持っていくか一緒に悩むのって、もう半分くらい旅に参加してる感じがする。喜好
そう、それ! 一周目は、行く人と行かない人で分けて観てたんだ。でも行かない人も、ちゃんと旅のどこかにいる。
私は二周目、ずっとごはんと家事の場面を見てた。この作品、そこがすごく丁寧なんだよ。遠くへ行く話なのに、毎日の仕事がちゃんと映ってる。作品中的观察
めぐみという人の場所
第5話のあらすじでは、めぐみに借りたまま、なくしたものと思いこんでいたゲームをキマリが見つけて、返しに行きます。久しぶりに一緒に遊びながら、キマリは小さかったころの思い出を話すけれど、めぐみはそれを覚えていないようなそぶりを見せる。事实[4]
めぐみは、キマリの幼なじみです。一周目の僕は、彼女を「主人公の地元の友だち」くらいにしか見ていなかった。二周目に観ると、第1話から彼女がどこに立っていて、キマリにどんな顔を向けているのかが、気になって仕方なくなります。出発する人を、いちばん近くで見ている人。その人の気持ちは、出発する人の気持ちと同じくらい複雑なはずなんです。解读
中段为止中盤の展開(第5話まで)点击展开
第5話の終わり、出発の日が近づいたところで、めぐみは自分の本当の気持ちを打ち明けます。キマリが自分を頼ってくれる関係に、居心地のよさを感じていたこと。キマリが変わっていくのを、心から喜べなかったこと。そして、めぐみは自分から関係を断ち切ろうとする言葉を口にし、キマリはそれを受け取らない。二周目に第1話から観直すと、めぐみがキマリの「やりたいけど、やれない」を、どこか安心して見守っていたことが、表情の端々に見えてきます。一周目はそれを単なる友情として観ていた。二周目は、送り出す側の痛みとして観ることになる。僕はここで、一歩を踏み出せない人の隣にいる人も、同じように一歩を迫られているんだと知りました。
じゃがいもとホワイトボードの献立
第8話のあらすじには、船が港を出たあとにキマリたちがこなす仕事が挙げられています。隊員へのインタビュー、山のようなじゃがいもの皮むき、それから体力づくりのトレーニング。事实[5]
僕は派手な戦闘より、誰かがお弁当を用意する場面に弱い。この作品の二周目は、その弱点を正面から突いてきました。大きな海を渡る話なのに、画面の中では誰かがひたすら芋をむいている。冒険を支えているのは、毎日誰かが用意しているごはんなんだ、と。喜好
结局·真相結末(第13話)点击展开
最終話、第13話のあらすじは、キマリが目覚ましを止めて食堂の厨房に向かう場面で始まります。当直が同じ日向から遅いと言われつつ、その日の献立をホワイトボードに書き出す。そのあとも、朝ごはんが済んだらミーティングの進行役をつとめ、ゴミを出し、トイレを掃除する。南極の暮らしにすっかりなじんだキマリたちにとって、夏隊が帰るまで残り3日です。最終話の最初の場面が、献立を書くところ。一周目の僕はここを「南極での生活に慣れたね」という意味だけで受け取っていました。二周目に観ると、これは第8話で芋をむかされてぐったりしていた四人が、今度は誰かのためにごはんを用意する側に回った、という場面に見える。旅の途中で、四人は支えられる側から支える側へ移っていたんです。解读[6]
献立をホワイトボードに書くの、地味だけど、そこにいる全員の一日を決める仕事なんだよね。私、あの場面だけで一話ぶん満足しちゃう。喜好
わかる。前は旅の目的地ばっかり見てた。でも、その日の献立を決める人がいなかったら、誰も目的地に着けない。解读
サブタイトルの並びは笑い声でできている
二周目には、サブタイトルを並べて読むのもおすすめです。第2話「歌舞伎町フリーマントル」、第3話「フォローバックが止まらない」、第4話「四匹のイモムシ」、第8話「吠えて、狂って、絶叫して」、第9話「南極恋物語(ブリザード編)」、第10話「パーシャル友情」。事实[11]
並べてみると、ほとんどの題が、ちょっと笑ってしまう言葉でできている。日本の繁華街と、オーストラリアの港町の名前をくっつけてしまう。自分たちをイモムシと呼ぶ。友情に「パーシャル(部分的な)」をつける。一周目の僕は、題を読み飛ばして本編に飛びこんでいました。二周目に題を一つずつ口にすると、この作品が、重い話を運ぶときほど冗談を手放さないことがよくわかります。解读
僕はこの並びを、四人の会話そのものだと思いました。くだらない冗談で笑い合っているからこそ、黙りこんだときの一言が重くなる。二周目は、題を一つずつ口にしながら観てみてください。解读
大人たちも一歩を選んでいる
第9話のあらすじでは、観測隊員の敏夫がキマリたちに恋の相談を持ちかけ、その相手が隊長の吟だとわかって、キマリたちは呆れてしまいます。事实[12]
一周目は、ただ笑える回として楽しみました。二周目に観ると、この回は、南極を目指す大人たちにもそれぞれの暮らしと気持ちがある、と見せてくれる回でもあります。観測隊は、四人の夢を叶えてくれる舞台装置じゃない。一人一人が、自分の仕事と自分の悩みを抱えて船に乗っている。四人以外の人にも一歩があることを、こういう回がそっと教えてくれます。解读
公式サイトのスタッフ欄を見ると、「協力」のところに海上自衛隊、国立極地研究所、文部科学省などが名を連ねています。事实[13]
二周目に船の中や基地の仕事の場面を観ていると、作り手が、南極に行く人たちの毎日を想像だけで済ませなかったことが伝わってくる気がします。芋をむく、当直を回す、郵便の仕事をする。派手ではない作業の一つ一つに手ざわりがあるから、四人の一歩も地面から浮かない。僕が二周目に脇の人たちを追いかけられたのも、その人たちの仕事がちゃんと描かれていたからです。有依据的推测
報瀬の表情を追いかける
二周目にもう一つ追いかけたいのが、報瀬の顔つきです。第4話のあらすじによると、夏期訓練に来たキマリたちに観測隊の隊長・藤堂吟が挨拶をした場面で、その言葉を聞いた報瀬ひとりだけが、厳しい顔になっている。事实[7]
中段为止中盤の展開(第9話まで)点击展开
第7話で、フリーマントルから乗りこんだ船の船室について、吟が教えてくれます。そこは昔、報瀬の母・貴子が使っていた部屋でした。第9話では、隊員の恋の相談に付き合ううちに吟のことを聞かれ、報瀬は、母の知り合いだというだけで、話せることなんてない、と答えます。事实[8]
一周目の僕は、報瀬を「誰よりも強い意志を持った人」として観ていました。二周目は、その強さの下にあるものが、少しずつ透けて見える。険しい顔、言葉を選ぶ間、ときどき黙りこむ横顔。報瀬は、言葉にしないことで自分を守っている。そう受け取ると、第1話から報瀬が口にしていた強い言葉のひとつひとつが、違う温度で聞こえてきます。解读
结局·真相結末点击展开
報瀬の母・貴子は、南極から帰らなかった人です。第12話のあらすじは、報瀬の胸の内から始まります。母が南極から戻らなかったあの日以来、自分はずっと醒めない夢を見ている。南極に来れば夢は醒めると思っていた。でも来てもまだ醒めない。けれど、母のいる場所まで行って、それでも醒めなかったら。その想像が怖い。そして、日本から1万4千キロ離れた、母の元へ向かう最後の旅が始まる。この回で報瀬は、母が使っていたものと向き合い、自分が母に宛てて送り続けてきたメールが、そこで一斉に届くのを目にします。送った言葉は、ずっと宛先に届かないまま、宙に浮いていた。それが一度に流れこんでくる。一周目、僕はただ泣いていました。二周目は、第1話から報瀬がスマホを手にしている場面のひとつひとつに目が行きます。彼女はずっと、返事の来ない相手に向けて一歩を踏み出し続けていた。旅の目的は、母の死を確かめることだけじゃなく、自分が送り続けてきた言葉を、自分で受け取りに行くことだったのかもしれません。そして吟もまた、貴子と同じ隊にいた人として、あの場所にもう一度向かう理由を抱えていました。第4話の険しい表情は、言葉にできない思いを抱えた二人が、初めて向き合った瞬間だったんだと思います。
題名が問いになる
中段为止中盤以降の題点击展开
第12話のサブタイトルは、作品の題名と同じ「宇宙よりも遠い場所」です。事实[9]
二周目は、『宇宙よりも遠い場所』という題そのものを、最初から問いとして持って観ることになります。宇宙よりも遠い場所って、結局どこのことなんだろう。南極そのものなのか。それとも、誰かの心の中の、まだ言葉が届かない場所なのか。一周目には問いにさえならなかったことが、二周目には全話を貫く問いになります。解读
日向と結月が抱えていたもの
好きなキャラクターに三宅日向を挙げている僕にとって、二周目の日向は、一周目とはまったく違う人に見えました。喜好
中段为止中盤の展開(第11話まで)点击展开
第6話のあらすじによれば、結月は日向がどこか変だと気づいて、隠していることがあるんじゃないかと詰め寄ります。第11話では、南極と日本を結ぶ中継のテストをしているところへ日向の友達が現れ、久しぶり、と声をかける。そのとき日向ひとりだけが上の空になる。事实[10]
一周目の僕は、日向の明るさを、ただの明るさとして受け取っていました。二周目は、その明るさがどこで少しだけ途切れるかを探すことになる。冗談のあとの一瞬の間。誰かの話を聞いているときの目線。自分の話になりそうになると、すっと話題を変える癖。明るさは、自分の足で立とうとしている人の、精いっぱいの選び方だったんだと思う。解读
中段为止中盤の展開(第11話まで)点击展开
日向は、高校を離れた理由を、ずっと自分の中にしまっていました。中継の向こうに現れたのは、その理由に関わる人たちです。日向は何でもないふりを続けようとする。そのとき、日向のかわりにまっすぐ怒るのが報瀬でした。言いたいことを飲みこむのが日向の強さなら、言うべきことを言うのが報瀬の強さ。四人の中で、一番人の気持ちを察するのが下手そうに見えた報瀬が、一番大事な場面で仲間の盾になる。二周目に第2話から日向の言葉を拾い直すと、彼女が冗談めかして自分の過去を少しだけ口にしていた場面がいくつもあります。一周目は笑って流していた台詞が、二周目には重さを持って聞こえる。そして第10話の結月にも、自分の居場所が本物かどうかを確かめたい気持ちがにじみます。日向と結月、二人とも、そこを確かめたかった人なんだと思います。
日向の冗談、私も二周目のほうが好き。笑いながら、ちゃんとその場を守ってる感じがする。解读
うん。前の僕は、明るい人は強い人だと思ってた。でも明るさって、強いからじゃなくて、誰かのために選び続けるものなのかも。解读
最終話の題名がくれたもの
最終話の第13話のサブタイトルは「きっとまた旅に出る」です。事实[6]
「出る」じゃなくて「きっとまた」。一度目の旅が終わる回に、もう次の旅の話をしている。一周目の僕は、これを「また冒険したいね」という明るい宣言として受け取りました。二周目は、少し違って聞こえます。旅は一回で終わらない。出発して、帰ってきて、また出発する。その繰り返しが、人生の歩き方そのものなんだと。解读
结局·真相結末点击展开
最終話の最後の最後、キマリのもとに、ある人からの便りが届きます。旅に出なかったはずの人が、いつの間にか自分の足で遠くへ出かけていた。一周目、僕はここで「やられた」と声を上げました。二周目に観ると、この便りは第1話からずっと準備されていたように見えます。キマリの一歩を一番近くで見ていた人が、その一歩に背中を押されて、自分も一歩を踏み出していた。主人公以外の人が物語を前に進める場面を探している僕にとって、これ以上の答えはありません。出発する人は、出発しない人を変える。そして出発しないと思っていた人も、ちゃんと自分の旅を始める。「きっとまた旅に出る」の主語は、四人だけじゃなかったんだと思います。
二周目のための見方メモ
最後に、僕が二周目で役に立ったやり方を三つだけ。一つめ、公式サイトのあらすじの道のりの見出しを手元に置いて、毎話「いま、家からどれくらい遠いか」を意識して観る。二つめ、ごはんと家事の場面が来たら、誰が用意しているのかを見る。三つめ、四人以外の人が画面に映ったら、その人が四人をどう見送っているかを追いかける。喜好
全部をいっぺんにやらなくて大丈夫です。一話に一つ、気になった人を決めて、その人だけを追いかけてもいい。僕は二周目、一話観るごとに、気になった脇の人の名前をノートに一行だけ書きました。最後のページには、四人よりずっと多い名前が並んでいた。それが、この旅の本当の大きさだったんだと思います。喜好
待つことも一歩だった
正直に言うと、二周目を観る前の僕は、まだ「一歩を踏み出す人が一番えらい」と思っていたところがありました。行きたいと言葉にすること。準備をやめて出発すること。それが、この作品からもらった一番大きなものだったから。喜好
ハル、二周目どうだった? 一周目のときは、観終わってすぐ、何か始めなきゃって顔してたよね。
……してた。今回は、すぐ何かを始めたいとは思わなかったんだ。それより、誰かの出発をちゃんと見送れる人でいたいなって。喜好
それも一歩だと思うよ。動かない一歩。私はそっちのほうが得意かも。解读
ナギに前に言われたよね。今日は立ち上がらなくていいって。あのとき、ちょっとだけ意味がわかった気がしてたけど、今回でもう少しわかった。
送り出す人も、待っている人も、献立を書く人も、みんな旅の一部でした。一周目は出発の勇気をもらった。二周目は、出発しない勇気と、誰かを待つ勇気をもらった。同じ作品から、違う日に、違うものを受け取れる。それが観直すことの贅沢さだと思います。解读
二周目は四人の背中じゃなく、四人を送り出す人の顔を見てみる。旅を前に進めていたのは、出発しなかった人たちでもあった。