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二周目

『となりのトトロ』二周目はサツキの背中を見る

遠洋の船の上で、陸に置いてきた家族を思って見た映画。親になってもう一度見たら、目で追う相手が変わっていた。弁当、雨、畑の野菜。大家族の父ちゃんが拾い直した場面の記録だ。

本文含有直到结局的剧透

范围『となりのトトロ』の結末とエンドロールまで

这是写给看完作品、想在二周目看得更有趣的人的文章。中段展开与结局、真相的细节都折叠起来,点击才会显示。

适合这样的人
『となりのトトロ』を何度も見てきた人へ。子どものころに見た映画を、親になって見直したい人にも。
剧透范围
会提及结局 『となりのトトロ』の結末とエンドロールまで
发言的人
Gen × Nagi
主张的种类: 事实 作品中的观察 有依据的推测 解读 喜好
目录 共 13 节·约 16 分钟
  1. 何回目のトトロか
  2. 第一章:引っ越しの日はもう大人の戦場だ
  3. 第二章:この映画の飯は全部だれかの手から来る
  4. 第三章:雨の日の傘は二本ある
  5. 幕間:末っ子は大人が忙しいときに冒険する
  6. 幕間:種は待たないと育たない
  7. 第四章:父ちゃんは信じる側に立つ
  8. 第五章:しっかり者のお姉ちゃん
  9. 第六章:走る足
  10. 第七章:エンドロールまでが映画だ
  11. 二周目に出てくるこわい噂について
  12. 作り手の話を少しだけ
  13. これから二周目を見る人へ

さあて、ゲンだ。今日は『となりのトトロ』の話をする。うちの家族で一番見た映画だ。何回見たか、もう数えてねぇ。ただ、いつ見たかで、見えるもんが全然違う映画だってのは、はっきり言える。ここから先は、最後まで見た人向けだ。大事なところは、開かないと読めない場所にしまってある。まだの人は、先に映画を見てくれ。損はさせねぇ。

何回目のトトロか

スタジオジブリの作品ページには、原作・脚本・監督が宮﨑駿さん、音楽が久石譲さん、主題歌が井上あずみさんと書いてある。公開日は1988年4月16日、上映時間は約86分、配給は東宝だ。事实[1]

俺が最初にちゃんと見たのは、遠洋の船の上だった。航海に持ちこんだビデオの一本で、陸に置いてきた家族を思い出す映画になった。あのころの俺は、トトロとネコバスばっかり見てた。でっかくて、ふかふかで、何考えてるか分かんねぇのに、なんか安心する。荒れた海の夜に見ると、それだけで救われた。喜好

それから何年もたって、子どもが五人になった。陸の仕事に移って、休みの日には家族で見るようになった。そしたらある日、気づいたんだ。俺、トトロを見てねぇ。サツキを見てる。一番上の子の背中ばっかり、目で追ってる。今日はその「二周目」の話だ。作品中的观察

Nagi

わかる気がする。私も最初はトトロのお腹ばっかり見てたけど、何回目かで、台所のほうばっかり見るようになった。喜好

Gen

だろ! ナギは飯のとこだよな。今日は飯の話もたっぷりするからな。

第一章:引っ越しの日はもう大人の戦場だ

映画の始まりは引っ越しだ。トラックに荷物を積んで、田舎の古い家にやってくる。一回目の俺は、子どもたちと一緒に、家の中を探検する気分で見てた。階段はどこだ、二階に何がある、黒いもじゃもじゃが走ってったぞ、ってな。作品中的观察

二周目は、父ちゃんのほうを見ちまう。引っ越しってのは、大人にとっちゃ戦場なんだよ。荷物をほどいて、寝る場所を作って、水回りを確かめて、近所にあいさつして。うちも一回だけ大きい引っ越しをしたことがあるけど、子どもが走り回ってるあいだ、大人は一日中、段ボールと格闘だ。この映画の父ちゃんは、その忙しさの中で、子どもの「なんかいた!」を一回も「気のせいだ」で片づけない。そこが二周目で一番効いた。解读

中段为止序盤の場面点击展开

最初の夜、風が強くて、古い家がぎしぎし鳴る。子どもたちが怖がると、父ちゃんは風呂の中で、みんなで大笑いしようって言い出す。三人で腹の底から笑うと、家の暗がりにいた黒いもじゃもじゃが、すーっといなくなる。一回目の俺は、ここを面白い場面として見てた。二周目は、父ちゃんの顔を見た。怖がってる子どもに「怖くない」って言い聞かせるんじゃなくて、一緒に笑っちまう。怖いもんを否定しないで、笑いで追い出す。……俺もやったことある。台風の夜、停電した家で、子ども五人と懐中電灯で影絵して、ゲラゲラ笑った。あれ、この映画のまねだったんだな。二周目で気づいた。それから、隣のばあちゃんが、あの黒いもじゃもじゃのことを、昔から古い家に住みつくもんだって、当たり前みたいに教えてくれる。この村の大人たちは、子どもの見たもんを、誰も笑わねぇんだ。作品中的观察

Nagi

怖いのを否定しない、っていいね。「いないよ」って言われると、見えた自分がおかしいみたいになるから。解读

Gen

そうなんだよ。子どもは見えたもんを信じてもらえねぇと、次から言わなくなる。言わなくなるのが一番こえぇ。解读

第二章:この映画の飯は全部だれかの手から来る

俺の研究テーマは「物語の中のごはんはなぜうまそうに見えるのか」だ。この映画は、その答えの宝箱だと思ってる。一回目は、ただ「うまそうだなぁ」で終わってた。二周目は、その飯がどこから来たかを数えた。喜好

そしたら、この映画の飯は、全部だれかの手から来てるんだ。店で買ってきた飯が、ほとんど出てこない。だれかが作って、だれかが持ってきて、だれかに渡す。食いもんが、そのまま人と人をつなぐ綱になってる。漁師の俺には、網を引く手が見える飯は、それだけでうまそうに見える。解读

中段为止序盤の場面点击展开

朝、サツキがお弁当を作る場面がある。小学生の女の子が、ばたばた走りながら、母ちゃんのいない台所を回してる。一回目の俺は「しっかりした子だなぁ」で終わってた。二周目は、胸がぎゅっとなった。しっかりしてるんじゃねぇ、しっかりするしかなかったんだ。それから、隣のばあちゃんの畑。川の水で冷やした野菜を、子どもたちがかじる。ばあちゃんは、畑のもんを食べればお母さんもすぐ元気になる、って言って、とれたてを持たせてくれる。一回目は、ただのうまそうな場面だった。二周目は、ばあちゃんがこの家族の台所を、そっと外から支えてるのが見えた。母ちゃんのいない家に、近所の手が入ってる。作品中的观察

Nagi

弁当の場面、私も好き。おかずの並べ方まで覚えてる。……でも、サツキが作ってるって思うと、たしかに急に重くなるね。喜好

Gen

うちの一番上もな、俺が船に乗ってたころ、下の子の飯を作ってくれてたんだ。帰ってきてから聞いて、泣いた。そういう場面が、この映画、朝飯からあるんだよ。

第三章:雨の日の傘は二本ある

この映画で一番有名なのは、たぶん雨のバス停だろう。夜、バス停で父ちゃんの帰りを待ってると、隣に大きなやつが来る。一回目の俺は、ここで大笑いして、大喜びした。でっかいのが傘を気に入る。あそこは何回見ても最高だ。喜好

二周目で気づいたのは、この映画には、雨の中で傘を貸す場面が二回あるってことだ。一回目は、バス停の場面より前。二回目が、あのバス停。同じことを、違う相手が、違う形でやってる。作品中的观察

中段为止中盤の展開点击展开

最初に傘を貸すのは、隣の家の男の子、カンタだ。最初はサツキたちの家を「おばけ屋敷」ってからかってた、ぶっきらぼうなやつ。雨宿りしてるサツキとメイに、何も言わずに自分の傘を押しつけて、自分はずぶぬれで走って帰る。一回目の俺は、照れ屋の坊主だなぁって笑ってた。二周目は、あいつの走り方が好きになった。ありがとうって言われる前に逃げる。かっこつけ方を知らねぇ子どもの、精一杯のかっこよさだ。で、その傘を、サツキは父ちゃんに届けに行く。バス停で隣に来た大きなやつが、雨にぬれてるのを見て、サツキは父ちゃんの傘を貸してやる。カンタからもらった親切を、サツキが次のだれかに渡してるんだ。大きなやつは、そのお礼に、木の葉で包んだ小さな包みをくれる。中身は木の実と種だ。貸した傘が、種になって返ってくる。二周目の俺は、ここで泣いた。傘一本で、親切が三人のあいだを回ってるんだよ。作品中的观察

Nagi

カンタの傘、たしかに置き方がぶっきらぼうなのに、すごく優しいよね。二回目で好きになる人、多そう。有依据的推测

Gen

いいじゃん、それ! 二回目で好きになるやつ。俺はこの映画で、カンタが一番伸びたと思ってる。喜好

幕間:末っ子は大人が忙しいときに冒険する

サツキの話の前に、末っ子のメイの話もさせてくれ。一回目の俺にとって、メイは一番かわいくて、一番笑わせてくれる子だった。走って、転んで、怒って、また走る。うちの末っ子にそっくりだ。喜好

二周目で気づいたのは、メイの冒険が始まるのは、いつも大人が忙しいときだってことだ。父ちゃんが机で仕事をしてる昼下がり。姉ちゃんが学校に行ってるあいだ。家の大人が手を離せない時間に、メイは一人で庭を歩き回って、何かを見つける。末っ子ってのは、そういう隙間で育つんだよな。大人が見てないあいだに、一番でっかいもんに出会ってる。解读

中段为止中盤の展開点击展开

父ちゃんが仕事をしてるあいだ、庭で遊んでたメイは、小さな生きものの後ろ姿を見つけて追いかける。生け垣の下のトンネルをくぐって、転がり落ちた先が、大きなやつのお腹の上だ。メイはそこで、ぐうぐう寝ちまう。一回目の俺は、ここで腹を抱えて笑った。こわいもの知らずにもほどがある。二周目は、目を覚ましたメイが、家族のだれにも信じてもらえないかもしれない話を、ちゃんと口に出して言う場面を見てた。姉ちゃんに、父ちゃんに、見たまんまを言う。一回目に信じてもらえたから、次も言える。第一章の風呂場で父ちゃんがやったことが、ここで効いてるんだ。それから、メイがサツキの学校まで行っちまう場面もある。姉ちゃんの教室に、泣きべそのメイがばあちゃんに連れられて来る。サツキは先生に頼んで、授業中、隣にメイを座らせる。一回目は、かわいい場面だった。二周目は、小学生の姉ちゃんが、授業と妹の両方を抱えてる場面に見えた。作品中的观察

Nagi

メイが一人で庭にいるとこ、私は好きだな。だれにも急かされないで、ずっと同じものを見てていい時間。喜好

Gen

ナギらしいな。たしかに、あの庭の時間は、なんにもしなくていい時間だ。……そうか、大人が忙しいってことは、子どもは自由ってことでもあるんだな。俺、さみしい時間だとばっかり思ってた。解读

幕間:種は待たないと育たない

雨のバス停でもらった包みのことも、二周目で見え方が変わった。一回目の俺は、包みの中身より、その夜のでっかい出来事のほうばっかり覚えてた。作品中的观察

中段为止中盤の展開点击展开

サツキとメイは、もらった種を庭にまいて、毎日のぞきこむ。まだか、まだ芽は出ねぇか。ある夜、大きなやつと小さいのたちが庭に来て、種のまわりで不思議な踊りみたいなことをする。すると芽が出て、ぐんぐん伸びて、あっという間に大きな木になる。二人はその木のてっぺんで、大きなやつと一緒に夜風に吹かれる。朝になると、木はない。でも、地面には小さな芽が並んでる。二人は、夢だったけど夢じゃなかった、と大喜びする。一回目の俺は、夜の大木のほうに目を奪われてた。二周目は、朝の小さな芽のほうが、ずっとありがたく見えた。漁師はな、待つのが仕事なんだ。潮を待つ、魚を待つ、天気を待つ。待って、待って、やっと網にかかる。種もそうだ。毎日のぞいて、なかなか出なくて、ある朝ちょっとだけ出る。その「ちょっとだけ」が本物なんだ。あの夜の大木は、待ってる子どもらへの、でっかいやつからの励ましだったんじゃねぇかと、俺は思ってる。解读

第四章:父ちゃんは信じる側に立つ

二周目でずっと見てたのは、父ちゃんの立ち位置だ。大家族の物語で一番えらいのは誰か、っていうのが俺のもう一つのテーマなんだけど、この映画の父ちゃんは、一番えらいところに立ってない。子どもの後ろ、半歩下がったところにいる。解读

父ちゃんは家で仕事をしてる。机に向かって、何か書きものをしてる。子どもが外で遊んでるあいだも、ずっと仕事だ。でも、子どもが何かを言いに来ると、必ず手を止める。そして、子どもの話を、子どもの言葉のまま聞く。直さない。笑わない。信じる側に立つ。船の上で何か月も家を空けてた俺には、この「手を止める」のが一番難しかった。作品中的观察

中段为止中盤の展開点击展开

メイが森の奥で大きなやつに会ったと話したとき、父ちゃんは笑わない。それはきっと森の主に会ったんだ、運がいいぞ、って受け止める。そして家族で、森の真ん中に立つ大きなクスノキのところへ行って、きちんと頭を下げてあいさつする。一回目の俺は、ここをほのぼのした場面として見てた。二周目は、父ちゃんが子どもに、目に見えねぇもんへの礼儀を教えてる場面に見えた。海にも山にも、人間が勝手にしちゃいけねぇ場所がある。漁師の俺は、それを親父から教わった。この父ちゃんは、それを説教じゃなくて、一緒に頭を下げることで教えてるんだ。作品中的观察

第五章:しっかり者のお姉ちゃん

ここからが、二周目で一番見え方が変わったところだ。一回目の俺にとって、サツキは「しっかり者のお姉ちゃん」だった。妹の面倒を見て、学校に行って、弁当を作って、手紙を書く。頼りになる子だ。作品中的观察

二周目は、そのしっかりの裏側ばっかり目に入る。泣いてる妹をなだめる側にずっといる子の顔を、親になった俺はつい見ちまう。大家族の一番上ってのは、そういう場所なんだよ。解读

中段为止中盤の展開点击展开

家族で母ちゃんの見舞いに行く場面がある。病室で、母ちゃんがサツキの髪をとかしてやる。サツキは、ちょっとくすぐったそうに、うれしそうにしてる。一回目の俺は、やさしい場面だなぁ、で終わってた。二周目は、この場面でもう泣いてた。家ではずっと母ちゃんの代わりをやってる子が、母ちゃんの前でだけ、髪をとかしてもらう子どもに戻れる。その数分間のために、この子は毎日がんばってるんだ。作品中的观察

结局·真相結末に向かう展開点击展开

病院から電報が届く。週末に帰ってくるはずだった母ちゃんの退院が、延びるって知らせだ。母ちゃんが帰ってこないと知って、メイが駄々をこねる。サツキは、つい妹を怒鳴っちまう。そのあと、ばあちゃんのそばで、サツキは初めて大泣きする。お母さんが死んじゃったらどうしよう、って。一回目の俺は、ここでサツキと一緒に泣いた。二周目は、ここに来るまでの全部の場面が、この一言のためにあったって分かって、もっと泣いた。弁当も、手紙も、妹の世話も、全部この不安を押しこめるためのフタだったんだ。一番上の子も、子どもだった。そして、姉ちゃんが泣いてるのを見たメイは、一人で母ちゃんのところへ行こうとする。ばあちゃんの畑のとうもろこしを抱えて。母ちゃんに食べてもらえば元気になるって、信じて。夕方になってもメイは帰ってこない。村の大人たちが総出で探して、池でサンダルが見つかる。大人たちが青くなる中で、サツキは、それがメイのじゃないって分かる。二周目の俺は、ここでばあちゃんの顔を見ちまう。自分が言った「畑のもんを食べれば元気になる」が、メイを一人で歩かせたかもしれない。大人の何気ない一言を、子どもは本気で持っていくんだ。作品中的观察

Nagi

ばあちゃんの言葉が、そこにつながるんだね。……悪いことは言ってないのに。解读

Gen

そうだ。悪いことは一個も言ってねぇ。だからこそ、子どもの耳は本気なんだって、親は覚えといたほうがいい。俺も、何気なく言ったことを、娘が何年も覚えてて驚いたことがある。解读

第六章:走る足

ここから先は、終盤の話だ。一回目の俺は、ここで「来た来た来た!」って拳を握ってた。二周目は、拳を握る前に、サツキの足を見てた。作品中的观察

结局·真相結末点击展开

サツキは森の大きな木のところへ走って、大きなやつに頼む。メイを探してほしい、って。大きなやつはネコバスを呼んでくれる。ネコバスの行き先の札が、くるくる回って「めい」になる。一回目の俺は、この札で大笑いした。二周目は、この札で泣いた。行き先が、場所じゃなくて、人の名前なんだよ。迷子を探すってのは、地図の上の場所じゃなくて、その子のところへ行くことなんだ。メイは、道ばたのお地蔵さんの横に、一人でちょこんと座ってた。とうもろこしを抱えたまま。それから、ネコバスの札がもう一回回って、母ちゃんのいる病院へ向かう。二人は、病院のそばの木の上から、病室の窓をのぞく。母ちゃんは元気そうに、父ちゃんと話して笑ってる。電報のわりに、たいしたことはなかったらしい。二人は降りて行かない。窓辺に、とうもろこしを一本だけ置いて帰る。「おかあさんへ」って、刻んで。母ちゃんは、いま木の上でサツキとメイが笑ったような気がした、って父ちゃんに言う。一回目の俺は、なんで会いに行かねぇんだって思った。二周目は、会わずに置いて帰る二人のほうが、ずっと大人に見えた。母ちゃんが元気なのを確かめた。それで十分なんだ。作品中的观察

Nagi

会わずに帰るところ、私、最初はさみしい場面だと思ってた。でも、元気な顔を見られたから帰れる、ってことなんだね。解读

Gen

そう。船から帰ってきたときな、家の窓から子どもらが笑ってるのが見えたら、俺、しばらく玄関の前で立ってたことがある。入るのがもったいなくてよ。あれと同じだ。喜好

第七章:エンドロールまでが映画だ

一回目の俺は、エンドロールが始まったら立ち上がってた。船の上だと、次のビデオを入れる係だったからな。二周目からは、絶対に最後まで座ってる。この映画、エンドロールがおまけじゃねぇんだ。喜好

结局·真相結末(エンドロール)点击展开

エンドロールには、本編のあとの日々らしい絵が、歌に合わせて一枚ずつ流れていく。母ちゃんが家に帰ってくるところ。サツキとメイが、近所の子どもたちと遊んでるところ。家族がそろってるところ。台詞は一個もねぇ。でも、本編で一番心配だったことの答えが、ここで静かに渡される。一回目に立ち上がってた俺は、この答えを見てなかったんだ。二周目で初めて最後まで見たとき、母ちゃんが帰ってくる絵で、声を上げて泣いた。子どもに笑われた。大人になってから見る人は、エンドロールまで座っててくれ。この家族がちゃんと元に戻ったのを見届けてから、立ち上がってほしい。作品中的观察

二周目に出てくるこわい噂について

この映画を何回も見てると、どこかで「本当はこわい話なんじゃないか」って噂を聞くことがある。難しい話は苦手だけど、これだけは言っときたい。2007年5月、スタジオジブリは日誌の中ではっきり否定している。「となりのトトロ」のどこを探しても、トトロが死神だなんて設定はないし、メイちゃんが死んでるなんて事実もない、ってな。事实[3]

结局·真相結末にかかわる公式の説明点击展开

終わりのほうでサツキとメイの影が描かれていない件も、同じ日誌が答えている。絵を描くうえでいらないと決めて省いた、それだけのことだそうだ。噂は信じないでほしい、と広報部がちゃんと公式に書いてくれていた。二周目の俺は、噂のほうじゃなくて、窓辺のとうもろこしと、エンドロールの母ちゃんを見てほしいと思う。この映画が最後に見せてくれるのは、ちゃんと帰ってくる家族だ。解读[3]

Nagi

公式がちゃんと書いてくれてるの、ほっとする。こわい話が苦手な人も、安心して二周目できるね。

作り手の話を少しだけ

スタジオジブリの歴史のページを見ると、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』は並行して作られていて、公開も1988年4月に2本立てだった。『となりのトトロ』は宮崎駿さん、『火垂るの墓』の監督は高畑勲さんだ。事实[2]

同じページには、トトロの商品が生まれたあと、ジブリの会社のマークにもトトロを使うことになった、と書いてある。事实[4]

あの2本が同じ日に並んでたって知ったとき、俺は少しびっくりした。片っぽは、いまもうちの家族で何べんも見る映画。もう片っぽは、俺には重すぎて、二回目をまだ見られてない映画だ。二本並べたら、子どもが生きていくのに何がいるか、両方の側から見せられる気がする。難しいことは分かんねぇ。でも、トトロの二周目で弁当と畑の野菜ばっかり目に入るのは、もしかしたら、飯が家族をつなぐ綱だって、どこかで知ってるからかもしれねぇな。解读

これから二周目を見る人へ

二周目をやるなら、一回だけ、サツキだけを追って見てくれ。トトロが出てきても、サツキの顔を見る。走ってるときは足を見る。妹をなだめてるときの、本人の顔を見る。一回目とは別の映画になるはずだ。喜好

それから、飯が出てきたら、だれの手から来たかを数えてみてくれ。弁当、畑の野菜、ばあちゃんの手。この映画の飯は、全部だれかの手から、だれかの手へ渡ってる。それを数え終わるころには、腹が減って、だれかに会いたくなってるはずだ。喜好

二周目は一番上の子の背中を見てくれ。しっかり者の顔の下に、まだ小さな子どもの顔がある。

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