十一時すぎ。予讃線の観音寺駅で電車を降りたカノンは、駅名標の下に書かれた一行を読んで、声を上げた。「砂浜に銭形のある駅」。そこへ、隣の車両から、角刈りの大きな人が降りてきた。
ゴウさん!? ゆうべ、高松のライブの、いちばん後ろにいましたよね。腕、組んで。
……用事だ。こっちに。
よかろう、ではついて参れ、苦しゅうない……じゃなくて! 私、これから聖地巡礼なんです。よかったら、一緒に行きませんか。
……用事の途中なら、いい。
駅舎の上に、三連のアーチのモニュメントが載っている。市内の三架橋をかたどったものだ。カノンはそれを見上げてから歩きだした。休日には市内のコミュニティバスが基本的に動いていないと、前もって調べてあった。そもそも、財布にも余裕がなかった。
ゴウは、三歩うしろを歩いた。カノンが振り返ると、三歩うしろにいる。止まると、三歩うしろで止まる。ライブのあと、駅まで少し離れて歩いて帰るときと、同じ距離だった。
あの、隣、空いてますよ。
……ここでいい。それより、何の巡礼だ。
時代は神世紀三百年の四国。主人公の友奈ちゃんは中学二年生で、「勇者部」っていう部活に入ってます。親友の東郷さんと、部長の風先輩と、その妹の樹ちゃんの四人で、人の役に立つためにいろんな活動をしてるんです。[1]
可愛い女の子たちの話なんですけど、怖い場面も、胸がぎゅっとなる場面もあって。でも友奈ちゃんは、いつもまわりの子のことを先に考えるんです。私、誰かのために頑張る女の子がいれば、最後まで観ます。
……人の役に立つための部、か。筋が通っている。
それから、うどんは香川の名物なので、主な登場人物の好物は全員うどんなんです。[1]
昼は、駅前通りのうどんの店に入った。カノンは品書きのいちばん安いところを、指でなぞって決めた。ゴウは何も言わず、大きいほうの丼に、ちくわの天ぷらを二本つけた。
席に着くと、ゴウは天ぷらを一本、カノンの丼の上に置いた。
……多すぎた。
えっ、あの、それは、施しは受けぬ……じゃなくて。……いただきます。勇者部の活動として、ありがたく。
腹ごしらえを終えて、二人は海のほうへ歩いた。琴弾公園の範囲は、琴弾山から、瀬戸内海に面した有明浜のあたりまでだという。道の先に、砂浜が開けた。
浜には、江戸時代に作られたという、寛永通宝をかたどった巨大な砂絵がある。周囲は三百四十五メートル。けれど、浜の高さから見ると、砂の溝がどこまでも続いているようにしか見えなかった。
近すぎて、ぜんぜん銭の形に見えない……。あっ、あのへんに立って撮ったら、銭の上に乗ってるみたいな写真に——
入るな。
声は短く、低かった。カノンの足が、砂の上で止まった。砂絵の中は、立ち入り禁止になっている。見るのは自由で、無料だ。
春と秋に、町の人たちが総出で砂をならして直しているそうだ。台風で流されたときもだ。人が守っている線を、写真のために踏むな。[3]
……はい。今のは、リハーサルです。本番は、ちゃんと外から撮ります。
カノンは砂絵に背を向け、深く一礼してから、浜の端へ戻った。ゴウはそれを、三歩うしろから見ていた。
琴弾山のてっぺんに建つのが琴弾八幡宮。その西にある展望台に立つと、燧灘に浮かぶ伊吹島と、銭形砂絵が見えるのだという。二人は山道を登った。
展望台の手すりの前で、カノンは息をのんだ。下で見たときはただの砂の溝だったものが、きれいな丸になって、浜に置かれていた。
本当は、東西に百二十二メートル、南北に九十メートルの楕円だそうだ。山の上の展望台から見ると、真円に見える。[3]
楕円なのに、ここからだと丸……。
カノンは手すりを握ったまま、しばらく黙った。それから、隣ではなく、三歩うしろにいる人のほうを振り返った。
ゴウさんがライブで、いつもいちばん後ろに立ってるのって……もしかして、そこからだと、舞台が丸く見えるからですか。
……別に。
ゴウは目をそらし、伊吹島のほうを見た。風が、カノンのツインテールを横に流した。しばらくして、ゴウが、島のほうを向いたまま言った。
……後ろからだと、全部見える。転んだところも、起きたところも。前の客には、片方しか見えない。
転んだ回数だけ、起き上がった回数がある、ってことですね。……ゆうべは、二回転びました。
三回だ。二曲目の入りで、一回。あれは転んだうちに入る。半拍、早かった。
カノンは目を丸くした。二曲目の入りでつまずいたのは、自分でも舞台を降りてから気づいたことだった。客席のいちばん後ろから、そこまで見えるものだろうか。
……ゴウさん。それ、すごくちゃんと観てくれてる人の感想です。
……別に、そんなことはない。
二回目の「別に」、いただきました。
山を下りるころには、日が傾いていた。銭形砂絵は、日没から夜の十時まで明かりで照らされる。二人は浜の端に立って、灯りが入るのを待った。
砂の線が、下からぼんやりと浮かび上がった。浜から見るそれは、やっぱり少しつぶれた楕円だった。
下からだと楕円でも、いいや。上から見たら丸いって、もう知ってるので。
勇者部って、人のためになることを、誰かに頼まれる前にやる部活なんです。……今日のゴウさん、ちょっと勇者部でした。天ぷらと、砂絵と。
……用事の途中だっただけだ。
駅へ戻る道で、カノンは一度も振り返らなかった。振り返らなくても、三歩うしろに足音があるのが分かった。改札の前で向き直り、カノンは舞台の終わりと同じ角度で、深く一礼した。
次のライブも、いちばん後ろ、空けておきます。
……押忍。
言ってから、ゴウは自分の口を手で押さえた。カノンは聞こえなかったふりをした。数日後、カノンは次のライブの客席の図に、いちばん後ろの席を一つだけ、鉛筆で塗った。