十一時。約束は十二時半なのに、タカシとガクは一時間半前から座っていた。ガクの前にはメロンソーダ、タカシの前には、二回目のお湯を注いだ紅茶のティーバッグ。テーブルの真ん中に、取り皿だけが三枚並んでいる。
……機動戦士ガンダム、第20話です、ガクさん。ここだけは譲れません。
ランバ・ラルの回だね。
はい。手元のモビルスーツは、ザクが一機だけになっていました。補充を頼んでも、マ・クベが間に入って、その策で握りつぶされたからです。それでも彼は斬り込み隊を編成する。白兵戦で艦を乗っ取るためです。[1]
現場に資源が届かない組織の話だよね。食堂でいえば、仕入れの担当が隣の店との付き合いで野菜を止めちゃって、厨房は包丁一本で営業しろって言われるようなものだ。
まさに。そして艦の中で、フラウ・ボゥと鉢合わせする。敵のはずの彼女に、拳銃を叩き落として、隠れているように促すんです。[1]
ここなんです。子どもとは戦わない。私が小学生のとき、主役の機体より先に、敵の機体のプラモデルを作った理由が、ここなんです。
タカシさん、声が三十歳くらい若くなってる。
……失礼しました。続けます。最後に、ブライトたちがブリッジへ入ってきます。その目の前で、手榴弾を抱えて、そのまま外へ飛び降りるのです。[1]
負けると分かっていて、負け方を選ぶ。……ああいう最期を見ると、僕は彼を一機のザクで戦わせた仕組みのほうを考えちゃうんだ。歴史を見ても、前線より会議室で決まった負けは、いくらでもあるから。
会議室で決まった負け、でしたら、私はどうしても古代の……
話はそこから、なぜか二千年ほど前の地中海まで戻った。紙ナプキンに地図が描かれ、矢印が三本引かれ、紅茶が冷めた。
「お待たせしました」の声に、二人が顔を上げる。十二時半ちょうど。ナギが、少し首をかしげて立っていた。
……いまの、何の話?
あ、ナギさん。ええと、ガンダムの話から始まって……
気づいたら、二千年ほどさかのぼっておりました。
二千年。……あと、私が観てない作品の最後のほう、いま聞こえちゃった気がする。
あっ。
……ごめん。またやった。
いいよ。たぶん観ないし。じゃあ、ここから先は、まだ観てない人がいる席ってことで。
観ないと決めるのは、まだ早いのではないでしょうか。
じゃあ、一話だけなら。
ナギはドリンクバーへ行き、温かいミルクにココアを半分だけ足して戻ってきた。ガクはメロンソーダにカルピスを足し、タカシは同じティーバッグで三回目に挑んでいる。
タカシさん、それもう色ついてないですよ。
二回目までは、許されると思っていたのですが。
誰に?
……誰にでしょう。
ガンダムって、ごはんの場面、ありました?
ごはん、ですか。
タカシは腕を組んで天井を見上げ、それからガクを見た。
……何十年も観返してきて、食事の場面を一つも思い出せないことに、いま気づきました。
僕もだ。誰が何を運んだかは言えるのに、誰が何を食べたかは言えない。
じゃあ私、もし観るなら、ごはんの場面だけ数えながら観る。
……それは、新しい観方です。いえ、本当に。
補給線の先には、必ず誰かの食卓があるからね。……あ、また。
いまのは、ちょっといい話だったから、いい。
ナギさんは、このごろ何観てるの?
ゆるキャン△を、また一話から。寒くなってきたから。
いいね。あれは山梨県のあたりが舞台で、キャンプやアウトドアの楽しさを、自分たちにできる範囲で味わう話なんだよね。[2]
あのあたりは湖が多くて、湖ができた成り立ちから話すと面白いんだ。あと、キャンプ場ごとに焚き火の決まりが違って、その違いがまた土地の事情と……
ガクさん。それ、知らずに観てもいい?
ガクのストローが止まった。
……いい。全然いい。ごめん。知識を、観るための入場券みたいにしてた。
私ね、あれのいちばん好きなところ、一人でキャンプする子と、みんなでわいわいする子がいて、どっちもちゃんと楽しそうなところなの。一人も一緒も、どっちでもいいよって言われてる気がする。
あと、湯気。外で食べるあったかいものの湯気って、なんであんなにおいしそうなんだろう。器を両手で持つ角度まで、覚えちゃった。
私は……まだ観ていません。
タカシさんは、たぶん最初の十分で寝ちゃう。いい意味で。
いい意味で、寝る。
焚き火の音がするアニメは、寝てもいいアニメなので。
今夜、一話観る。解説なしで。メモも取らない。
メモは取ってもいいよ。好きだった場面を、一行だけ。
ナギさんは、日曜の夜は何を。
きのう何食べた? を一話だけ。毎日のごはんを作って、二人で食べるお話。台所に二人で立つときの、半歩くらいの距離が好き。
料理の話?
料理の話。でも、ちょっとだけ、二人の話。観たあとに、自分のごはんをちゃんと作りたくなるの。
観たあとに何かをちゃんとしたくなる作品は、良い作品です。……と、分析しかけました。失礼しました。
いまのは分析じゃなくて、感想だと思う。
二時。ポテトの二皿目が来た。窓の外を、同じ柴犬が、今日三回目の散歩で通りすぎていった。
ナギさんの「知らずに観てもいい?」、ずっと残ってる。僕は誰かに勧めるとき、いつも先に地図を渡そうとしてた。
地図は、あとでほしくなったら、もらいに行く。
じゃあ地図は、折りたたんでポケットに入れておく。
私は、若い方に何か勧めるとき、歴史のたとえを三つ添えてしまうのです。
一つでいいと思います。
……一つにします。
タカシさんって、夜は何観てるんですか。戦争のお話以外で。
タカシはカップを置いた。考えると少し間が空く人だが、今回の間は、いつもよりずっと長かった。
……五等分の花嫁を。
ガクが、メロンソーダとカルピスの混ざったものに、盛大にむせた。
五つ子の?
ご存じでしたか。
はい。……この作品は、分析しません。今日はただ救われたい、という日に観るものですので。
でも、家庭教師っていう仕組み自体は面白いよね。家の中に、家族じゃない人が、決まった曜日に入ってくる。昔の家だと、書生を住まわせたりして……
書生でしたら、明治の……
いまの、何の話?
……また歴史の話にしてしまいましたね。
五つ子の話、もっと聞きたかったのに。誰が好きなんですか。
長い沈黙があった。店員さんが一度お冷やを注ぎに来て、何も聞かずに去っていった。
……それを口にすると、何かが壊れる気がいたします。
組織の話をしてるときより、真剣な顔してる。
いいな、それ。言ったら壊れちゃいそうなくらい好きなの、いいと思う。
五時。三人のグラスは、合わせて十九杯になった。タカシは結局、同じティーバッグを四回使った。
ここは、私が。
割り勘で。今日、私もちゃんと楽しかったので。
……では、そうさせていただきます。楽しかったと言っていただけるほうが、ずっとありがたい。
僕は今夜、ゆるキャン△。解説なし。
私は、もう一度第20話を。
……私も観てみようかな。20話から。
それだけは、なりません。一話からです。
歴史と同じで、順番を飛ばすと……
ガクさん。
……ごめん。またやった。
帰りの電車で、ナギはメモ帳に一行だけ書いた。「タカシさんの、それだけは、なりません」。観た本数は書かなかった。