定休日の札を下げたまま、カオルはカウンターの奥のテレビをつけた。昼の野球中継は、まだ始まる前の練習の映像だ。ドアが開いて、日に焼けた大きな体のゲンと、その後ろから小柄なナギが顔を出す。
いやあ、助かった! 駅の中で同じとこ三回まわってよ。ナギがいなかったら、まだ地下にいたぞ。
出口の番号、ゲンさん全部ちがうほう見てました。……はじめまして、ナギです。お休みの日にすみません。
ええねん、ええねん。休みの日は昼から野球つけて、誰か来たらラッキーやと思てるから。座って座って。
カウンターの端、ボトルの列に一台のタブレットが立てかけてある。画面の中では、マントを羽織ったおじさんが腕を組んでいた。
余は魔界大帝である。……そなたら、試合の前に何を食うか、もう決めたのか。
魔王? いいじゃん、それ! 俺はゲン。漁師だ。試合の日は枝豆と決めてる。
枝豆なんですね。殻を入れるお皿、ちゃんと用意するんですか?
船じゃ海に……いや、今はちゃんと皿だ。シズカに怒られるからな。それに高校野球のアニメなんか観てると、九回の前に泣いちまうだろ。枝豆どころじゃねえ。
ゲンさんはな、試合の流れより先に泣くねん。私が横で、ここから逆転あるで、って言うてる間に、もう鼻すすってる。ティッシュの箱、ゲンさん専用で一個置いてるくらい。
余はスポーツの物語は、立って観る。座っておると、負けておる側の気がしてくる。
立って観る人、このお店に二人目ですね。座って観るのは、私とゲンさんだけ。
野球はそれでええねん。問題はアニメのほうや。私な、ギャグアニメの日は豚まんって決めてんねん。地元から届くやつ。銀魂とか、もう定番。
侍の町に宇宙人、っていう出だしからもう笑える。ほんで笑いながら豚まん食べるから、だいたいむせんねん。[2]
むせるのに、やめないんですね。
やめへん。むせるとこまでがセットや。熱々のほうが、ツッコミの声もよう出る気がすんねん。
ロボットのアニメの日はな、船ではカップ麺だった。お湯を入れてオープニングが始まると、終わるころにちょうどできる。
オープニングを、湯を待つ時間に使うとは何事か。あれは名乗りである。……だが、名乗りを聞きながら湯を待つのは、悪くない。
大帝、怒るんか許すんか、どっちやねん。
許す。麺がのびぬなら、許す。
分かる。俺は泣ける話の日は握り飯だな。船の上で観てたころからそうだ。塩だけのやつ。
どうして塩だけなんですか?
具があるとよ、泣いてる途中で味が変わるだろ。梅が出てきたら、涙が引っこんじまう。塩なら最後まで同じ味で泣ける。
なんでやねん。涙のために具ぬくて。
泣ける話の日の握り飯は、いくつ作るんですか?
三つだ。一つ目は泣く前、二つ目は泣いてる最中、三つ目は泣き終わってから。三つ目がいちばんうまい。しょっぱさがちょうどよくなってんだ。
泣き終わりの握り飯て。それはずるいわ。……今度うちも試そ。
いや、理にかなっておる。兵の糧は、乱れぬことが第一である。……ナギとやら、そなたは何を食う。
私は、ごはんの場面が多いアニメの日は、観る前に晩ごはんを済ませておきます。お腹がすいたまま観ると、画面の鍋ばかり見ちゃうので。ゆるキャン△の日は、そのあとに小鍋でホットミルクを温めます。
山梨のあたりを舞台に、女の子たちがキャンプをする話なんです。原作は漫画で、作者はあfろさん。[3]
一人でテントを張る子と、みんなで行くのが好きな子がいて。どっちの過ごし方も楽しそうに描いてあるのが、なんか好き。[4]
焚き火の音のとこだろ。あれはいい。キャンプ場で同じ音を聞いてると、ナギは本当に何もしなくなるんだ。
何もしないのを、ゲンさんが全力で手伝ってくれるんです。薪だけどんどん増えていく。
ほな、ナギちゃんは、ごはんのアニメの日は、食べてから観る派なんや。うちと逆やな。
はい。観ながら食べると、自分のお皿と画面のお皿、どっちを見ていいか分からなくなるので。
余も同じである。食卓の場面の多い作品は、腹を満たしてから観る。満たさずに観ると、画面の飯に負ける。負けるのは好かぬ。
負けるって、飯にか!
飯にである。ダンジョン飯を初めて観た夜は、腹をすかせたまま再生して、第一に腹が鳴り、第二に家臣が起き、第三にじいやに叱られた。
食料を失って、空腹のまま竜に挑んだのが始まりなのだ。腹が減っては戦えぬ。見たか、兵站である。[6]
ほんで魔王さん、宇宙の騎士の映画の日は?
水である。あの物語の重い一本を観る夜は、何も食わぬ。水だけ置く。
カオルは何も言わずにグラスを一つ出して水を注ぎ、タブレットの前に置いた。画面の向こうで、魔王が一度だけまばたきをした。
……うむ。受け取っておく。
で、カオルは? 野球のアニメの日は何食うんだ。
何も食べへん。立って観るから。ピッチャーが振りかぶったら、こっちも腰が浮くねん。手に何か持ってたら、絶対落とす。
食べないのも、お供なんですね。
せやな。ほんでホラーの日は? って聞こう思たけど、この顔ぶれ、誰も観れへんやろ。
観ねえ。心霊のやつは無理だ。
私も……。ホラーの日は、観ない日にしてます。
余は観る。観るが、字幕を大きくする。
大帝、字幕でごまかしてるやん。
いつのまにか、カウンターの上には紙ナプキンが一枚ずつ配られていた。カオルが話のあいだに置いていったものだ。ナギはそれを四つに折って、湯のみの下に敷いた。タブレットの前の水のグラスにも、同じ一枚が敷いてある。
テレビの中で、試合開始のサイレンが鳴った。ゲンは自分で冷蔵庫の瓶を一本頼み、ナギは温かいお茶を選んだ。カオルは豚まんを三つ蒸し器に入れて、タイマーを回した。
おい、豚まん、今日はギャグの日じゃねえだろ。
野球も、うちにとっては笑う日やねん。勝っても負けても。……ナギちゃん、一個いける?
半分だけ、いいですか。残りはゲンさんに。
余の分はないのか。……まあよい。この試合が終わったら、もう一話である。